2012.01.31

アーサー王伝説におけるロマン主義、曖昧性について

Authur
1.アーサー王伝説の発祥と発展
 アーサー王は6世紀頃に活躍したブリタニアの王と伝えられる。アーサー王をめぐる一連の伝説は、彼自身の栄光と波乱の生涯にとどまらず、円卓の騎士たちの活躍、聖杯探索、王妃グウィネヴィアと騎士ランスロットの禁断の愛など、様々な逸話を包含する壮大な大河物語である。伝説の起源にはケルト起源、スキタイ起源など諸説あるまま解明されておらず、また、アーサー王その人の実在性も曖昧なままである。
 アーサー王伝説は、最初は吟遊詩人たちによって口承で伝えられ、やがてラテン語や各国語で記述されるようになり、長い年月を経て形成された。そして、とどまることなく変容を続け、各時代の様相を反映した文学作品が各国に生まれた。中世においては、騎士道のモデルとして、ロマンスとして熱狂的に読まれ、また、政治的プロパガンダとして利用された。アーサー王ロマンスは、15世紀のマロリーによる『アーサー王の死』で集大成され、印刷術によって大量に出版されベストセラー、ロングセラーとなった。

2.衰退と復活
 ところが、中世が終わると、ルネサンス以降の古典主義、合理主義の高まりとともに、アーサー王熱は一気に冷めてしまった。産業革命に向かって機械化、合理化に邁進する時代に、実在性が乏しいアーサー王ロマンスは受け入れられなかったのだろう。中世を否定する時代に中世の花ともいえるアーサー王文学は荒唐無稽なものとして否定され、印刷術の普及とともに継続していたマロリーの『アーサー王の死』の出版も1634年から途絶えていた。
 アーサー王の人気が復活し、マロリー作品の復刻版が出版されたのは、中世主義が盛り上がりを見せていた1816年だった。

3.中世主義とアーサー王伝説 
ヨーロッパでは、18世紀末から19世紀前半頃を中心に、理性偏重の古典主義、啓蒙主義の時代の反動として、感性を重視するロマン主義の時代が到来し、文学、芸術などに感情や情熱の自由に表現する風潮が高まっていた。その中で、中世の騎士道や宮廷文化を賛美し懐古する中世主義、中世趣味が文芸に蔓延し、中世騎士道の象徴ともいえるアーサー王の世界は憧れの的となり、アーサー王伝説の人気は再燃した。
ロマン主義の時代には、中世趣味からのゴシックリバイバルの他、ケルト文化への回帰を主張するケルトリバイバルの動きもあり、ケルト的要素の強いアーサー王伝説は、その面でも理想的な題材となった。
 ロマン主義が最高潮に昂揚したのは1820年代だったといわれるが、その後も合理性重視の傾向、科学技術の発達が続き、革命や戦争などで疲弊する社会において、ロマン主義の芸術が完全に廃れることはなかった。世紀末にはテニスンらの詩にうたわれ、ロセッティやバーンジョーンズらラファエロ前派の絵画に描かれ、さらにはリヒャルト・ワーグナーのオペラの主題ともなった。

4.現代におけるアーサー王伝説
現代もなおも、ロマン主義の文化は静かに継続しており、新たなアーサー王物語も誕生している。現代において新しく加わったジャンルに映画があるが、解釈や人物設定など様々な「アーサー王」が存在する。また、『ハリー・ポッター』などファンタジー小説やディジタルゲームに登場する英雄や舞台設定などにアーサー王伝説の流れを汲むもの、影響がみられるものも少なくない。
 アーサー王とは誰なのか? アーサー王伝説の成立に関する歴史的背景、アーサーの都キャメロットの所在など、アーサーは今なおも研究の対象となっている。すべて結論には至っておらず仮説のままにされているが、アーサーの存在の曖昧性こそが、多くの芸術家や学者にインスピレーションをあたえ、また創作の自由をあたえ、文学的にも空間的にも時間的にも壮大な作品群が生み出す原動力になったといえるだろう。


※大学院の単位認定試験のために用意していた原稿。ヤマかけしたのと違う出題だったので没。しかし、せっかくまとめたのでこちらで公開します。

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2012.01.24

この意気地なし!!

Yellow_flower_2 私は日記を書かない。したがって、ここで公開しているテキストは日記ではない。

 前にクローズなSNSで日記のような内容をアップロードして、そして詳細は省略するが被害に遭ったことがある。そのトラウマもあって、ぜったいネット上に日記を公開したりしない。するもんか、金輪際! 

 私的な内容を公開する場合、自慢話か笑い話であって、自慢話の場合は読者に不快感をあたえるものかも知れない。被害にあったあれも、そうだった。そして、誰かの憎悪を買ったにちがいない。

 イヤなことは忘れて、本題へ。

 ようやく facebook を本名でやってみる決心がついた。しかし、いざ本名を使うと、テキストを公開する気になれない。言語の自己表現や自己暴露は一切控えたくなってしまう。「書き急げ!時間がない!」とここで叫び、ペンネームで書きまくっているというのに、なんという意気地なしだろう!?

 しかし、facebook そのものにはハマってしまった。言語を使わないで何をやっているかといえば、ひたすら写真をアップしている。ヒマさえあれば、書けばいいのに、撮影を画像加工ばかりやっている。

 こんなふうに。 

 これはこれで楽しいので続けることにする。表現手段が広がるのはよいことなのだろう。


 私の場合、本名だと言葉の意味が重くなって、軽々しく書けなくなってしまうらしい。この意気知なし! 書き急ぐには軽々しさも必要だから、こちらではペンネームのまま続けていきます。

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2012.01.14

若けりゃいいってもんじゃない!のよ

Ywien2 年が明けるたびに、今年も年を重ねるのだと嘆く。

 若いっていいなあ、あの頃に戻りたいなあと思う。


 しかし、
 若けりゃいいってもんじゃない
!のよ

 
 たとえば、

 私、実は、若い頃、この写真の通り、ブスでした。

 20代にウィーン旅行に出かけたときの、最も幸福な、最も輝いていた頃のはずなのに。


 この太い眉! マスカラもアイシャドーもない目元、地味な服装、野暮ったいポーズ。


 そう、若ければいいってもんじゃないんです。
 今の自分のほうがまだマシ。


と、たぶん5年前にも書いけど、10年後も20年後も書くんでしょうね。
その時の現在と過去の比較において。

成長がない?

いえいえ、成長する人物はかくあるべし。
常に過去を凌駕して生きるのよ! ホッホッホ!

English


 
 

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2012.01.01

書き急げ!時間がない!

あけましておめでとうございます。

書きながら年を越すつもりだったのに、この新規作成ページへのアクセスを待ちながら越すハメになってしまいました。

今年もガンガンいきます。

去年まで自重気味だったのですが、もう出し惜しみはやめにします。
書きます。歌います。

ジャンルにこだわらずに、書きたいことは書くことにします。純文学も、BLも、修士論文も、アートレビューも。

ジャンルにこだわらずに、歌います。ソプラノ・レッジェーロであることにこだわらないことにします。

Yukaaihara_3

今年もよろしくお願いいたします。
 

  

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2011.12.30

Lessons and Suggestions for Our New Revolution Era

Viole2011 is ending. This year will be remembered as one of the worst years in the 21st century. And 2011 should have been a memorable year when Japan entered a new era. The northern-eastern earthquake and Tsunami on 11 March 2011 have brought the conclusion of an era. We have been facing the biggest change since World War II since the day of the disaster.

We have many natural disasters and overcome them. However, the 3.11 disaster was not only a natural one but included the worst destructive accident, a nuclear meltdown. That was a human-caused accident, because the tragedy could have been avoided if the nuclear plant itself have not existed there. And the recent report revealed that TEPCO employees’ lack of knowledge and technology was one of the causes of the meltdown.

After the Chelnobyl explosion, some scientists predicted that the same accident could occur in Japan, submitted/published simulation reports, and suggested to stop all the nuclear plants, but Japanese government ignored them.

Soon after World War II, Japan had Recovery Era full of hope and succeeded in the economic recovery. However, too rapid and unbalanced development have brought severe confusion. The boom completely ended long years ago before the 1980s and we have been in the long Stagnation Era since then. Many issues have been caused and some had been resolved but some have been left and even not recognized.

The 3.11 Earthquake and Tsunami was an inevitable natural disaster. But the nuclear plant accident could have been avoided if the government had received the scientists' suggestions. Their ignorance about nuclear issues was one example of bad results from unbalanced growth after World War II. And unfortunately enough, we have experienced the worst case.

We should never stay in the same stagnation. We have to change our culture itself drastically. Due to so many failures, we have lost confidence in the government. However, some brave efforts have been done by local governments, enterprises, individual groups, etc. Their contribution has taught us that we can do anything by ourselves. We must conclude the Stagnation Era and start a new Revolution Era to survive safely and hopefully.

For about 10 months after the 3.11 disaster, I have learned a lot. I have three suggestions for Japanese ordinary people, including myself, for living in a new era.

1. Don't depend on others. Seeing the series of actions and attitudes by the Japanese government, we have got to know that we can't expect them to do anything, anymore. The myth that Japan is a peaceful and safe country has been broken. We have to start by considering by ourselves.

2. Try to get and tell the truth. We have many options to get and communicate information. Although it may be hidden or distorted, we have to pick out the truth. Utilize all the available technology to achieve this and learn hard to gain the intelligence and ability to get the truth.

3. Take action by oneself with intelligence. And collaborate with the most reliable individuals and groups. Action without intelligence is rather dangerous. Intuitive actions may be always welcomed if it comes out from intelligence.

2012 will come soon. I wish the coming year will be the real starting year of a new Revolution Era. And during the short days left in 2011; the ending year of the Stagnation Era, I will try to review and criticize Japanese history after World War II to really conclude the old era.


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いつくしみ深き

Wf 詳細は省略するが、都内の音楽事務所に所属してブライル歌手のシゴトをしていたことがある。東京や横浜のホテルや式場などのチャペルの結婚式で賛美歌を歌う真面目なシゴトだ。

 結婚式のために音楽事務所から派遣されるのは、2~5名の聖歌隊、オルガン奏者、式を取り仕切るブライダルアシスタント、そしてプロテスタントの牧師先生。赤いロングガウンに大きな十字架のペンダントというコスプレも聖歌隊のシゴトのうち。ハイシーズンには土日祝日のスケジュールは全て埋まり、1日に複数の式をこなすとかなりのギャラなった。

 毎回ほとんど同じ賛美歌を歌うのだが、「いつくしみ深き」や「妹背を契る」の名曲は何度歌っても飽きることがない。しかし、何度も式に出演するうちに、別の理由でうんざりするほどの飽きを感じるようになってきた。結婚式のハイライトは指輪交換だが、牧師先生のお祝いのお言葉も重要だ。いつくしみ深き神の愛を説き二人の幸せを祝福するありがたいお話なので、最初に聞いたときは涙が出そうなほど感激する。しかし、毎回同じ話を、同じ声で、同じ調子で語られたら流石に飽きてくる。ほとんどの牧師先生が1パターンのお話しか用意しておらず、同じ先生とご一緒に担当することが多いので、ありがたい話にもうんざりしてくる。

 新鮮さ、ユニークさが魅力的なコンテンツの条件である。それがこの歌手経験で学んだことなのだが、実際、何度同じ話をしても、牧師先生にクレームが来ることはなかった。なぜなら、聖歌隊歌手には退屈な同じ話でも、新婚カップルにとっては感涙を呼ぶユニークな話なのだから。

 ある秋の日、都内のあるホテルで三つの結婚式を担当することになった。初めての派遣先だったが、3回とも同じ話を聞かされるものと覚悟していた。ところがその日の牧師先生は、3回の式でそれぞれ違うお話を聞かせてくれた。初めてのことに嬉しくなり、
「この先生ってすごい!」
と言ってしまった。
「1回ごとにちゃんとオリジナルの話ができるなんて、すごいことだわ!」」
 しかし、このホテルの常連メンバーの音大生歌手は冷たく言い放ったのだった。
「別にすごくないわよ。あの三つで全部だから、もう飽き飽きよ」
  


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弟よ!

Leaves 弟はすべてにおいて私を凌駕した。人格においても、風格においても完全に私を超えた。

 準教授就任と博士号取得を機に、私は弟を「兄」に昇格させることにした。いや、ずっと前から、私を弟を「兄さん」と呼んでいた。




長男 「自分のトシがバレるのがイヤだから叔父さんのことを『兄さん』と呼ぶのはいいとしても、ボクのことを『援助している美少年』と紹介するのはやめて!」


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2011.12.23

ヴァイタリティは、ある!

 Photo5  ヴァイタリティは「伝染」しない。ある人にはあるが、ない人にはない。健康、黒い瞳、名誉ある家柄、バリトンの美声のように。  --F・スコット・フィッツジェラルド(拙訳)

  1920年代にジャズエイジの申し子として一世風靡した流行作家、フィッツジェラルドは、後期のエッセイ「崩壊」で、このように書いている。フィッツジェラルド自身は、青年時代にはヴァイタリティに恵まれ華麗なる成功を収めたが、浪費し、次第に消耗し、39歳にして既に喪失していた。「崩壊」を読む限り、そう解釈することができる。

  さて、私たちはどうしようか? ヴァイタリティはある人にはあるがない人にはないというのは真実だろう。しかし、それならひとまず、自分にはある! と仮定してみよう。妄想でもいい。ない! と思い込んでしまったら何も始められない。

  自分の中にはヴァイタリティがある! そう自己暗示にかけることで、他人からは決して「伝染」しないヴァイタリティが、自分の内から生まれ出てくるかも知れない。

  以上、オプティミストの独り言。


英語版はこちら/English

  

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さらば、ワイヤーズ!

Photo2 詳細は省略するが、久しぶりに IT 企業のお手伝いに行った。

 初日から、IT業界というか日本のオフィスの風景がすっかり様変わりしていたのに仰天してしまった。思えば当然のことなのだが、既にワイヤレス社会に移行しており、最先端のIT企業、特にICT企業はほぼ完全なワイヤレス化を遂げていたのだ。

 私の愛するワイヤーちゃんは何処? 周りを見渡せば各自のデスクに1本以上は見つかるものの、全てが然るべきところに接続されている。オフィスがクリーンなのは結構なことだが、どちらかというともう少し散らかっているほうが、できれば、もつれたワイヤーやケーブルがあちこちに散乱している・・・くらいが私の好みだ。こんなことを言っては叱られるかも知れないが。

 私はワイヤーズ愛好家、いや、ほとんどフェチと言っていいくらい、ワイヤーやケーブルが好きなのだ。ただし、もつれたの限定。実は毛糸でも髪の毛でも何でもいいのだが、ぐちゃぐちゃにもつれたものを解きほどくことに、無上の喜びを感じてしまう。脳の快楽、指の快楽!

 そんなわけで、IT企業でまた解きのエキスパートとして活躍することを心待ちにしていたのだが、夢は無残に破れてしまった。

 数年前、私があるソフトウェア会社の美人?社長秘書だったとき、社内では解きの天才として尊敬の的だった(と、記憶している)。毎日、大勢の技術スタッフが私のデスクに「解いて~」と、もつれたワイヤーやケーブルを持ってやって来た。実際、この高度な技術を会得している人は一人もいないので、エキスパートに任せたほうが時間の節約というわけだ。私のおかげで社員全員が本来の仕事に打ち込む時間を確保することができ、私の技術は会社の生産性向上に貢献した。

 ある日、華麗な解きのテクニックでもつれワイヤーの山を解消したのを見届けた社長と技術スタッフが言った。
「人間関係のもつれも、そんなふうに解きほぐすこともできる?」
「いえ、どちらかといえば、ぐちゃぐちゃにもつれさせるほうが得意なんです、ホホ」
 ウケを期待したのになぜか誰も笑ってくれなかった。

 しかし、ワイヤレス社会が到来した今、人間関係のもつれを解きほぐすという、さらに高度なテクニックを会得して、新たな解きのエキスパートとして再デビューを目指したほうがいいかも知れない。いや、それはたぶん、私の最も不得意とする分野なので、無駄な努力はやめておこう。それに、まだワイヤーズは絶滅したわけではない。重要拠点のルータやサーバに接続され、重要なポジションで活躍している。オフィスのどこかにもつれたワイヤーの塊が必ずあるはず。持て余しているワイヤーがあれば、私を呼んでください。最新のオーディオ&ビデオ完備の快適なお部屋におやつとランチ&ディナー付で軟禁して下されば、綺麗に解いてさしあげます。

英語版/English

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2011.12.21

読んでくれなきゃ、イヤ!

ブログネタ: ブログ、どのくらい更新してる?参加数

Tmtjn しばらくサボっておりましたが、またがんばって更新することにしました。ここでは確実にアクセス数が上がるのでやりがいがあります。 

 ブログはもちろん、どなたにもご覧いただけるのですが、お○モネタとか、○女子ネタとかあるので三親等以内の血族、姻族の閲覧は歓迎しておりません。 それと、シゴト関係の方にもできればご遠慮いただきたいかと。

 というわけで、別ブログを始めてみました。
 ついでに英語も書いちゃえ!とバイリンガルブログにしてみました。

Yuka's Open Secret

 がんばってやってみましたが、もうやめることにします。

 だって、、、アクセス数が上がらないんですもの!!

 当ブログ「書き急げ!時間がない!'blog」でおかげさまで連日(?)高アクセスをいただき、読んでいただけることに慣れてしまいました。
 
 それが、あちらでは2か月でたった62なんて・・・…! 
 やりがいがないので1か月放置。
 ええい、もう、やめてやる!!

 せっかく書いたので、日本語のはこちら「書き急げ!時間がない!」に移して、英語のは、ちょこっとやってみて少しはマシだったこちらYuka's Secret Messageに移します。

 三親等以内の血族、姻族も、シゴト関係の方も、どうぞご覧ください。


 「書き急げ!時間がない!」だからもう、読まれないブログなんてやっているヒマなんてないのよ!! 

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2011.12.15

キリスト教/イスラム世界の交流 ~チューリップをめぐって~

450pxtemples_favourite_2 古来、キリスト教とイスラム教は対立しながらも文化的な交流が継続し、互いの文明レベルを高め合ってきたといえる。また、共通の物をめぐって交流が深まることもある。本稿では、チューリップをめぐるキリスト教/イスラム教、両世界の交流について考察する。

 天山山脈由来といわれるチューリップは、騎馬民族の移動などにより中近東に伝えられ、ゾロアスター教のペルシャで聖なる花と崇められ、イスラム教のトルコでも、トルコ語のチューリップ=「ラーレ」がアラビア語の「アラー」と同じ綴りであることから神聖視され、イスラム寺院の壁画にも描かれた。

 ヨーロッパには16世紀頃に伝わったといわれ、最初の導入者を自称するブスベックは、ヨーロッパに侵攻したオスマン・トルコへ神聖ローマ帝国が和平交渉のために派遣した大使であり、いわばキリスト教世界、イスラム教世界の平和を取りもつ親善大使だった。当時、オスマン・トルコは希代の園芸マニア、スレイマン1世の治世にあり、宮廷庭園には様々な種類のチューリップが咲き誇っていた。チューリップはヨーロッパの園芸愛好家や植物学者たちを魅了し、各地に伝えられた。17世紀にはヨーロッパ全土に普及し、王侯貴族に愛され、パリ社交界では貴婦人の胸を1輪のチューリップで飾るスタイルが流行した。

 チューリップ人気は特にオランダで次第に白熱し、1634年頃からチューリップ狂時代に突入し、希少種の球根が投機の対象となり法外な値段で取引され市場を沸かせた。このバブル景気は短期間で崩壊しヨーロッパ経済は深刻な打撃を受けた。
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 一方、本場トルコでも、1703年、熱烈なチューリップ愛好家アフメト3世の即位を機にチューリップ狂時代が到来する。国内でも様々新種が生み出されたが、輸出先のオランダからも大量の球根が逆輸入された。その後、トルコではチューリップ熱は急激に冷めたが、ヨーロッパでの人気は継続し、今もキリスト教のイースターの花として親しまれている。オランダのチューリップ業界は次第に回復し、現在に至るまで球根や切り花の主要輸出国の地位を不動のものにしている。

 こうして、チューリップを通じてキリスト教、イスラム教の文化が交流し社会・経済に影響を与え合った。また、チューリップという花の種(しゅ)は人々の交流を通じて増え、美しく変貌し、その分布域を世界中に広げていった。

※通信制大学院の課題。提出後に執筆者本人が掲載したもの。

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2011.12.11

嫁は死んだ

Pflower 「神は死んだ」と、ニーチェは言った。
 「嫁は死んだ」と、私は言う。

  こんなことを言ったらテロリストの標的になりそう?なので言い出しかねていたが、温存しておくのも危険なのでぶちまけてしまう。

 嫁は死んだ。いや、もう既に死んでいる。現代において、ヘンが女、ツクリが家なんて漢字に定義される存在は、ない。だって、無理でしょ? 現代の若く美しく自己が確立している女たちに、「家」、それも核家族の家庭ではなくいわゆる「家」に帰属させるなんて、どう考えても無理です。

義母 「アナタ、お嫁さんでしょ?」
私  「は?」
義母 「だって、アナタはお嫁さん」
私  「へっ???」

 こんな会話が繰り広げられたのは何もうちだけではないと思う。普通に恋愛結婚した人に、核家族単位を超えるサービスを求めても、「お嫁さんだから」当然○○してくれるべき等と期待されても、「は??」としか言いようがない。もちろん、人道的に手を差し伸べることはあるが、、「だってお嫁さんだから」と言われても、そのようなアイデンティティを自分の中に認めてないし、そもそもそのような概念が欠如しているので、「へっ???」としか言いようがない。

 結婚式~披露宴のときに「花嫁」になったけど、あれはあの日で終了。「嫁」って何? 食べれるの?
 
 もし、夫の尊族が、「お嫁さんだから」という理由で理不尽な要求をしてきたとき、不要な忍耐を強いてきたとき、現代の若く美しく自己が確立している女たちは「NO」を言えるはず。または、こんなふうに言ってしまってもよいのではと思う。

 「私、儒教ってキョーミないし」

 現代の自己が確立した女たちには、お説教は無用。この種のことを理解するリソースが脳内にないので「は?」とか「へ???」とか聞き流されるだけ。儒教精神を描いた昔の中国の絵に、自分の子供を犠牲にしても老いた舅に乳を与える嫁の図というのがあったが、思い出しただけでも吐き気を催す。それと同等のことを、現代の自己が確立した女たちに要求するのは無理。ぜったい不可能。

 それでも、老後には息子の妻にサービスを受けたいという奇特な方は、彼女とそれなりの人間関係を築けるように自ら努力しておく必要がある。ただ、「お嫁さんだから」と要求しても「私、儒教ってキョーミないし」論破されてしまう。論破するまで引き下がらない相手にお説教しても屁理屈が返ってくるだけなので、嫁は死んだ。とあきらめて、友情を構築するしかない。血族ではないので「民法877条!」と言われたらそれまで。買収でもリップサービスでもいいので恩を着せておく必要がある。あらゆる手段をつかって彼女の友情を獲得すること。敬愛を獲得したかったら、まずは彼女を尊重すること。

 あらゆる人間関係の構築と維持に努力が必要なように、この友情を維持するのにも努力が必要なのだ。

  
  

 
 
 
 

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2011.12.10

ウィーンのカフェ

220pxcafe_braeunerhof_wien_2004_2 寒くなると、思い出すのはウィーン。 ウィーンの春は素晴らしいと聞きますが、冬にしか行ったことがありません。それも、極寒の12月~2月だけ。

 バブル期の日本にはグランドツアーの習慣?がありました。グランドツアーというのは、昔、ヨーロッパの貴族の若者が社会に出る前に見聞を広めるために行なっていた華麗な欧州周遊旅行のこと。いわゆる卒業旅行のことをグランドツアーというのはかっこつけすぎかもしれませんが、当時の2〜3月には、クラスの友達にルーブル美術館でばったり会うほど、日本人学生が外国旅行に出かけていました。

というわけで、20世紀末、私も欧州周遊旅行に出かけ、ウィーンも訪れました。颯爽と街を闊歩するつもりが、寒さのあまり脚が動かなくて文字通り凍結しそうになり、とりあえず暖をとりたくて最寄りの建物に避寒。そこはカフェではなくギャラリーだったのですが、ウィーンに想いを馳せて書いた小文をコピペします。もちろん、自分の文章です。通信制大学院のレポート課題をとりあえずやっつけて提出したものです。居酒屋やカフェの社会的役割について興味のある地域に絡めて調べて1000文字以内にまとめるというのが課題。

 コピペレポートが問題になっているらしいけど、これは本人がレポート提出後にこちらにアップロードしたものです。先生方、どうか誤解のないようにお願いします。誤解を招いて不合格になるのは悲しいので、以下削除しようと思いましたが、書き急げ!時間がない!なのでこのままにしています。レポートなのでお堅い論部調です。


ウィーンのカフェ、その文化と社会的役割 ~19世紀末を中心に~

220pxwien_cafe_central_2004 イスラム圏から伝わったコーヒーは瞬く間にヨーロッパ全土に伝播した。17世紀以降、ヨーロッパの主要都市の多くでカフェが創業し、各地で様々なカフェ文化が発展し、店舗数も次第に増えていった。

 オーストリアの首都ウィーンのカフェハウスの起源は、17世紀のウィーン包囲の際にオスマントルコの兵士が落としていったコーヒー豆にあるといわれる。18~19世紀にはカフェハウスの数も増え、文化人たちが集うようになった。

 19世紀末には、市街中心部のメインストリート、ヘレン通りの古風な建物にあるカフェ・グリエンシュタイトルがウィーンきっての文人カフェとして人気を集めていた。才能あふれる詩人、作家、ジャーナリストたちがこのカフェにたむろし、コーヒーを飲みながら語らい、新聞を読み、ビリヤードで遊び、また原稿を書いた。

 1898年、カフェ・グリエンシュタイトルは取り壊され、古きよき文人カフェの時代は終わりを告げたが、その後、やはりヘレン通りのカフェ・ヘレンホーフが彼らの拠り所となった。常連客には志を抱いて地方からウィーンへ来た若者も多く、その中には後に有名になる小説家ムージルらの姿もあった。一方、分離派会館近くに開業したカフェ・ムゼウムは若き建築家アドルフ・ロースが内装をデザインし、あまりのシンプルさのため風変わりなカフェとして注目を浴びたが、そのシンプルな壁面に絵が展示され、ウィーン初のカフェハウス・ギャラリーとなった。ここにはクリムトやシーレら、分離派の芸術家たちが通い、分離派発行の新聞の執行部も置かれていた。

220pxsachertorte_dsc03027 このように、ウィーンのカフェは芸術家や一般市民の交流の場、創作の場として栄え、才能を育み文化を盛り上げ、都市を活性化していった。また、様々なカフェでウィーン独特のコーヒーの飲み方が多様に考案され、現在も営業しているカフェ・ザッハーのザッハトルテなど、多彩なケーキや砂糖菓子の数々が生み出され現代にまで継承されており、カフェは豊かな食文化を育む役割も担ってきたといえる。

 19世紀末に芸術家たちが集ったカフェの多くは現在も存続しており、引き続きウィーンの文化の発展に寄与している。由緒あるカフェの多くはガイドブックで紹介され、世界中から多くの旅行者が訪れ、ウィーンの経済的繁栄の一部を支えているといえる。


参考文献 『世紀末ウィーンを歩く』 池内紀、新潮社。他

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2011.12.07

華麗なる復活のための4回転ジャンプ!

華麗なる復活を目指す貴方へ。
フィギュアスケート男子シングルを観ましょう!

今や勝ち残るには、4回転ジャンプが必須。彼らは果敢に挑んでくれます。そして、転ぶこともあります。でも、大丈夫。すぐに立ち直って切り替えていい演技を見せたら、挽回できるんです。

減点の1点や2点はへっちゃら!
優勝だってできるんです。

例えば、今回グランプリファイナル進出を決めた羽生結弦クンのFS。4回転ジャンプ成功後に転倒。ステップの最中にも転倒。減点2点だけど見事優勝。

羽生クン、勇気をありがとう!
元気づけられたよ。

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2011.12.04

ギリシャ神話&古代ギリシャの美少年たち

 修士論文執筆中。第1章は古代ギリシャの少年愛について。
 集めた画像を並べてみると、

 ジョニー・ウィアー に似てる???

 と思うのは私だけでしょうか?
 
 最後のアルキビアデスさんだけが実在人物。ソクラテスに寵愛された美少年。
 美青年、美壮年に成長して、美少年キャラのままの気まぐれで周りの方々を惑わせたとか。


800pxhyacinth_bosio_louvre_ll52
ヒュアキントス


800pxborghese_hermaphroditus_louvre
ヘルマプロディウス


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ガニュメデス


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アッティス


359pxbust_alcibiades_musei_capitoli
アルキビアデス


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2011.12.03

重要文化財「泰西王侯騎馬図屏風」

企画展「南蛮美術の光と影 泰西王侯騎馬図屏風の謎に迫る」 サントリー美術館 ~12/4 2011

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 ここに展示されている絵画の多くが16~17世紀初期に日本人画家が日本画の絵の具を使って日本で描いたものだということに単純に驚いた。スペイン、ポルトガルの宣教師や商人が盛んに渡来していた16~17世紀に、長崎の神学校セミナリオでキリスト教ともに絵画を学んだ画家たちの描いた絵を初期洋風画というらしいが、この煌びやかな様式は、まるで西洋の国際ゴシック様式か、初期ルネサンス様式に属するものだ。

 国際ゴシックの国際性は日本にも至っていた。また、ルネサンス芸術は確かに日本にも伝わっていた。新しい技法、遠近法や明暗法を取り入れ、人物や自然、建築がリアルに、そして美しく、描かれている。

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 この企画展のポスターを見て、「東方の三博士」の屏風絵が見られるのだと勘違いしていた。エチオピア王の騎馬像が三博士の一人ガスパールを思わせ、金細工の華やいだ雰囲気がジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの絵を思い出させたからにちがいない。

 初期西洋画の発展、才能の炸裂、しかし、それはあまりにも短い期間で終了し、キリスト教の禁止と共にほぼ完全に終結。その最後を飾るのが地獄絵のような殉教図。ドラマ性のある見ごたえのある展示に感動を覚えた。

 重要文化財「泰西王侯騎馬図屏風」、サントリー美術館で12月4日まで公開されています。お見逃しなく!


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「東方の三博士」 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ 1423年頃 ※参考、展示品ではありません。


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2011.11.27

羽生結弦クン、おめでとう!

羽生クン、グランプリファイナル出場決定おめでとう!!

実はまだFSの演技見てないけど、録画をじっくり見てから、あらためてレビューしますね。

何だか真央ちゃんおめでとうの声ばかり聞こえてくるけど、私はここで大声で言うよ。

羽生クン、おめでとう!!


まだまだ先は長いし、君も色々と成長して変わっていくんだろうけど、今の君を愛してるよ。少年の君をいつまでも忘れないよ。

いつまでも、ほんとうの自分を見失わないでね。君にしかできないことを大切にしてね。例えば、今、男子シングル選手で君にしかできないビールマン・スピン。

今からTOEICだからここでストップだけど、もう一度大声で。


羽生クン、おめでとう!!



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2011.09.19

[訂正版]映画レビュー『コクリコ坂から』

Kokurikosaka1 建築家の相原聰さんと映画に行った。
 スタジオ・ジブリの新作『コクリコ坂から』。舞台は昭和38年の横浜。詳しいストーリーは公式ページへ。海の見える丘に建つ下宿屋「コクリコ荘」を切り盛りする少女海(通称メル)と、新聞部部長の美少年(どうしてもこの言葉を使ってしまうのは単なる私の趣味です)俊との恋、そして、文化部クラブハウス「カルチェラタン」をめぐる学園紛争。この二つがパラレルに進行するノスタルジックな物語。

 俊の出生の秘密が物語の鍵となるが、一度は異母兄妹だからと恋を諦めかける二人。亡父の旧友に真実を確かめ兄妹ではないと判明。同じ日に「カルチェラタン」の存続も決まり、ハッピーエンド。
 素直に爽やかにハッピーエンドに感涙すればよいのだが、これはフィクションであっても、『~アリエッティ』のようなファンタジーではない。時代背景や整合性について色々検証してみたくなるのが大人の見方。一応、見ているその時は登場人物に感情移入し素直に感動してみたのだが、後で色々と突っ込みを入れてみたくなってしまった。

 まず、二人が結婚するとしたら、DNA鑑定は避けられないだろうという事実。お父さんの旧友が、俊の父は三人組の親友同士の中の立花という人物で海の父ではないとはっきり言ってくれた。この人は信用できる。この映画の結末としてはそれでよいが、俊が確認したとおり、戸籍上は父親が一致しているのであるから、兄妹でないことを証明しなければ法的にも結婚は無理。DNA鑑定は現代でも高額と聞くが、当時、実現可能だったのだろうか? しかし、あの聡明なお母さんなら、どんなに高額でも二人のためには必要だと理解するだろうし、そのときにはコクリコ荘の住人だった女医の北斗さんが力になってくれるだろう。北斗さんの職業が原作の獣医から医師に変更されたのはそういう伏線なのかも知れない。海自身も「お医者さんになりたい」と言っているので、たぶんこの問題は大丈夫。

 また、何度考えてもすっきりしないのは、海の父が俊を引き渡すときに「自分の子」と嘘をついたこと。育てるのは無理でも責任を持ちたいと思ったからと説明できるのだろうが、必然性があるのか首を傾げてしまう。天涯孤独になった親友の子では、風間夫妻が引き取ってくれないと思ったのだろうか? 実の子ということにしなければ養育費を受け取ってもらえないと思ったのだろうか? どちらにしても、実の父の名を養父母に伝えておかないのは、俊の実父である親友を尊重しない行為ではないだろうか?

 昭和38年は単なるほのぼのとした古き佳き時代ではなかった。昭和38年に高3の俊は昭和20年度の生まれといことになる。実父の立花氏は引き揚げ船で事故死、実母は出産時に死亡、親戚は原爆で全滅という戦争の悲劇で孤児になった。輸送船の船長だった海の父は朝鮮戦争時に撃沈されて殉職。昭和38年には、第二次世界大戦や朝鮮戦争の傷痕が生々しく残っており、一見、希望に満ちた青春を謳歌する高校生の少年少女たちもそのトラウマを背負っていた。映画の中には残酷なシーンはほとんどないが(海の想像の中の父の船が撃沈されるシーンが唯一か)、東京オリンピック前年の昭和38年の横浜、東京の風景が、あまり美化されずに、煙を吐く工場群の煙突や自動車の排気ガスで汚染の進む淀んだ空気も含めリアルに描かれている。あの現代よりも濁った色彩の都市の風景の影に潜む重々しい痛みについて、後で色々考えさせられる。

「でもね、あの二人にはやっぱり、DNA鑑定が必要だと思うの。だって、戸籍がそうなっているのなら・・・」
映画の後のランチでそんなことを喋ったら、建築家の相原聰さんに怒られてしまった。
「せっかくいい映画を見ていい気分になっているのに、そんなことを言わないでほしい」

 そんなものだろうか? 昭和38年横浜が舞台のこの物語は、検証なんて野暮なことはしないでむしろファンタジーとして観るべきなのだろうか? そのような感覚で楽しむのもよいだろうが、やはりこの種の作品ではリアリティを徹底追及してほしい。ジブリ作品だからこそ、そこまでのクォリティを要求したくなる。

 まずは単純に感動して、後で色々と考えさせられる映画。説明不足のためか、計算のうえでのことかはわかりかなるが、DNA鑑定のことも含めて、完全無欠のハッピーエンドより未解決事項を残した結末の方がリアルで面白い。『コクリコ坂から』は、その意味でもよい映画だと思った。

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お詫びと訂正

 先日、このブログで映画『コクリコ坂から』のレビューを掲載しましたが、誤認による誤記がありましたことを取り急ぎお詫び申し上げます。
 不明点として俊の実父である立花氏の死因を挙げましたが、映画の台詞の中で「引き揚げ船の事故」で死亡したと語られていました。海の父が赤ん坊の俊を抱いて帰宅する衝撃的なシーンで早口で語られるのですが、聞き逃しておりました。情報提供されているのに不明等と書いたのは、私の落ち度でした。
 誤記のあったレビューを取り下げ、訂正版をあらためて掲載致します。
 読者の皆様、この映画の関係者の皆様、誠に申し訳ありませんでした。

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2011.07.18

タジコン宣言

美少女偏愛のことはロリータ・コンプレックス、略してロリコンというそうです。その類義語で美少年偏愛のことはショタコンというそうですが、正式名称は何コンプレックスなのかご存じですか? 
 私のような人をまさにショタコンというらしく、「あたし、ショタなの」などと軽々しく名乗ってきましたが、実は「ショタ」の意味することを知らず、ショタって何? ショコラ―タ?? などと悩んでおりました。

 ところが最近、ようやくその意味がわかりました。ショタ=正太郎。鉄人28号を操る少年。そして知った途端、何かちがうんじゃない?? ぜったいちがう!!と叫びたくなりました。いわゆるショタコンの人が思い浮かべる美少年の典型は、生太股も健康的なお坊ちゃんタイプの正太郎少年ではないはず。私たちの美の基準にこのレトロな漫画の主人公はまったく当てははまりません。

それでは、美少年偏愛者の思い描く美少年の典型とは? 美の基準とは?
By_2 即答します。
 ビョルン・アンドレセン君扮する、タジオです。
 タジオは、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』に登場する超美少年。ベニスに療養中の作曲家が美少年タジオを見染め、死に至るまでただただ眺めている、一度だけ接する場面があるにしても、ほとんど全編においてただただ眺めている、そんな映画。トーマス・マン原作のこの映画を語るのにもっと相応しい言葉があるかも知れません。 しかし、ただただ眺めているというのが、不毛な美少年偏愛の本質なのでは?

 以上の理由により、私は提唱します。美少年偏愛のことを「ショタコン」と呼ぶのはやめにして、「タジオ・コンプレックス」略して「タジコン」と呼ぶことにしましょう。そのほうが、ピンとくるでしょ? ぐぐっとくるでしょ? ヴィスコンティも喜んでくれるはずです。

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2011.07.16

Café&Barスクランブルの一夜

Scramble 文字通りふらりと入ったその店では、ファッション雑誌から抜け出てきたようなイケメン軍団がフロアの真ん中を陣取り、陽気なパーティーで盛り上がっていた。店内全体にコーディネートされたような都会的な雰囲気が漂う。
入ってもいいものか戸惑い、思わず聞いてしまった。
「貸し切りですか?」
「いえ」
 ということはしばらくこの店Café&Bar Scrambleに居てもいいということ。店内は色々な年代や国籍のお客で混み合っていてスタンディングで飲む人も多いが、空いた席に案内してもらえた。
 ホットソイラテ&ポテトチップス。フードメニューはポテトチップスとチョコレート、チーズくらいしかないので、ひとまずはそれだけ注文。これでようやくひと休みすることができる。
 Café&Barとは懐かしい響きだが、大型スクリーンには海外アーティストのPV、赤のミラーボール。そんな80年代風の雰囲気が私には嬉しかった。

 2011年3月11日金曜日21時。渋谷駅前は帰れない人々で溢れかえっていた。私もその一人。いつもの金曜日のように六本木のオフィスに居れば同僚美女軍団とワイワイ楽しく過ごすこともできたのだろうが、通院のため早退したので、青山一丁目の地下鉄駅ホームで独り、震度5強の地震に遭遇してしまった。ようやくタクシーを見つけて渋谷まで来てみたら、電車は全線運休、バス停留所やタクシー乗場には長蛇の列。携帯充電器売り場に群がる人々。交番前では警察官さんが歩いて帰ると覚悟を決めた人々に道順を案内。

 ホテル前ではホテルマンさんが避難所MAPを配っている。
「うちはもう満室ですので、避難所へどうぞ。一番近い避難所は青山学院大学です」
 避難所? そう私達は難民なのだ。帰宅手段がなく行き場のない難民(後に帰宅難民と呼ぶのだと知った)。モアイ像の前の柵に腰掛けて股関節を休めていると、雪がちらちら舞ってきた。風花程度の雪はすぐに止んだが、寒く、暗くなっていくにつれ、難民性が絶望感を帯びてきた。

 しかし、ふらりと入ったところがCafé&Barスクランブルだったばかりに、この夜を悲壮感なく、けしからんくらいに楽しく過ごしてしまった。イケメン軍団はますます明るくしかし決して乱れることなくオサレ度をキープしつつパーティーを継続。
 君たち、大丈夫か? 状況読めてる? あのね、仙台で震度7の地震があったの。それで電車止まっちゃって帰れないんだけど。ねえ、君たち、ほんとに大丈夫?
 しかし、全員徒歩圏在住なのか、ホテルを既に予約してあるのか、朝まで飲み明かすつもりなのか、陽気なパーティーは陽気なまま継続。
 周りを見渡せば、イケメン軍団とほどよく距離を置く壁際の席には、彼らを傍観するお姉さま方。女同士のお喋りを楽しみながら、目の保養ねとチラリチラリと渋谷的イケメンを鑑賞。私はお独りさまだけど、ソイラテ(それもホット)、ポテトチップ、チョコレートを順々に注文して居座り、読書やiPhoneいじりでそれなりに充実した時間を過ごすことができた。
 電話をかけるために一歩外に出ると、そこはやっぱり難民の世界。休憩所として開放された銀行CDコーナーには、電車の回復を待つ難民の方々が悲壮な面持ちで座り込んでいる。しかし、店内に戻ると、陽気なパーティーはなおも継続。

 やがて、大江戸線が回復したのを知り、白金台の弟宅に泊めてもらえることになった。大江戸線の駅からはかなり歩かなければならないので覚悟を決め、居心地の良すぎるCafé&Barスクランブルを後に。イケメン軍団のオサレパーティはなおも継続。君たち、本当に大丈夫か? このお店が閉店になったらどうするの? 避難所は青山学院大学だよ。東急ハンズも開放されてるってさ。ま、そんな情報は既にTwitterでゲットしてるよね?
 お勘定を済ませYahooにアクセスしてみると、ようやく本命の東急田園都市線も回復したとのこと。お泊りは中止。午前1時30分、無事帰宅。こうして私の3.11は終了した。

 その後、あのときリアルタイムで被災地を襲っていた惨事の映像を何度も見ることになり、また、現在に至るまで続いている過酷な現実を思えば、あの日の難民状態なんてどうでもいいと思えるようになってきた。
 しかし、少なくともあの日のあの時間、Café&Barスクランブルで過ごすことができたのは、幸運だったといえるだろう。あのとき、あの場にいたお姉さま方の中には、例えば小さなお子さんがいて、渋谷で夜遊びなんて平時にはとてもムリという人もいたかも知れない。でも、帰宅手段がない震災の夜なら、お子さんは夫さんにおまかせしてCafé&Barスクランブルでイケメンパーティを眺めて過ごすのも仕方のないこと。たまにはそんな時間があってもいい。
 あの日のイケメン君たちも今では現実に戻り、自分の持ち場でがんばっていることと思う。君たち、ほんとうに大丈夫か? と今でも思うが、けしからんくらい素敵な夜をありがとう!

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2011.02.11

詳細は省略しますが

2779341_252 詳細は省略しますが、ちょっと今iede(最後のeにアクサン記号)中。おかげさまでまた書く時間が降って沸いてきました。

 最近、やっと気づいたこと。頑張っても不可効力な場面では脱力したほうがいいということ。

 思えば、不毛な頑張りを続けてきました。例えば、大雪の日、バスに乗ったけど雪で道が狭くなっているからちっとも進まない、このままじゃ高校に遅刻するーというシチュエーション。頑張っても仕方がないのに、愚かな高校生だった私は、祈れば、念力をかければ、不思議なパワーがはたらいて少しでもバスが動くのでは? などと考えて、ひたすら念じていたのでした。決断してバスを降りて、徒歩で登校すればよかったのです。しかし、あの雪の中、約4kmの通学路をズボズボと歩いて行く気にはとてもなれませんでした。それならぼーっと雪景色でも眺めながらバスに乗っていればよかったのです。

 今でも、気がつけばバカなことをしています。自転車で駅へ急ぐとき、急に赤信号。早く変われ~と念じてみたり、東急田園都市線や東京メトロ半蔵門線で電車が「前の電車がつかえているため」進まないときもまた、ありもしない超能力を発揮しようとメ無駄な努力をしてしまいます。

 もちろん、念じたから信号が変わったり電車やバスが進むなんて、そんなシュールなことが起こるはずはなく、ただただ疲れるだけでした。 

 こんな場面では不毛な努力はやめて脱力していたほうがいい。そんな当たり前のことにようやく気づきました。他にも、自分の努力ではどうしようもないこと、他の人にまかせたほうがいいこと、待つしかないことを見極めて、リラックスしていられる時間を増やしていきたいと思います。ほんとうにがんばりたい場面のために、パワーを温存しておくためにも。

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2011.02.06

パパの肖像

 父の遺影は享年の肖像写真ではない。
 全盛期、恐らく40代の写真。バリバリ仕事をしていて、自信に満ちていた頃なので、かっこいい。自惚れも含む自信をひけらかすのではなく、内に秘めつつ謙虚なふりをしていた。それでなおさらかっこいい。仕事仲間のカメラマンが撮って現像したと思われるモノクロの写真。お見せしませんので想像して下さい。

 父は地方のテレビ局のプロデューサーだった。
 地方だからと侮るなかれ。あの地方では文句なしに一番かっこいい職業だった。ネット社会到来の前、テレビの草生期から全盛期にかけて、テレビの世界で活躍した。NテレビのAさんと言えば知らぬ人はない(と、娘には語っていた)。

 大学時代はNHK放送劇団の声優として地元のラジオドラマに出演し、アナウンサーとしてテレビ局に採用。若い頃はメインのニュースキャスターとして毎日テレビに出ていた。その後、ディレクター、プロデューサーとなり才能を発揮した。

 当然、女性にもてた。
 父はお酒が飲めなかった。飲めないから飲まなかった。それがまた強みでもあった。行き着けのバーでは、ジンジャーエールをウィスキーのグラスに入れてもらい、飲むふりをしていた。飲み仲間が皆ぐてんぐてんに酔いつぶれたところで女性にアプローチ。そんなヒキョーな作戦を使っていたにちがいない(未確認)。

「俺は、影の人でいいんだ」
 と、父はよく語っていた。ほんとうは地元の番組等に出演も可能だしそういう話もあるが、プロデューサーの仕事に徹しているという意味。かっこいい台詞だと、娘の私も思った。こういう台詞をさりげなく言って、女性ファンを増やしていたことだろう。

 そう、父はかっこいい人だった。華やかな人生だった。
 と、記憶している。

 父が倒れて入院したとき、その大病院の美人看護士さんたちが大勢病室に押しかけた。
「私もAさんと踊った」
「私も何回も踊ってもらった」
「とっても上手だった」
 父はダンスクラブの常連で、毎夜のように通いつめ、若いOLさんや看護士さんたちと踊っていたらしい。お酒を飲まない分、しっかりしたステップで美女たちを颯爽とリードしていたころだろう。
 退院後、父は足が不自由になっていたが、私は無理にねだってダンスを教えてもらった。

 その後、父がダンスクラブを訪れることは二度となかった。
 
 もうすぐ父の命日だ。
 梅の季節に逝ったので、父の戒名は「梅窓院」で始まる。
 
 
 

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2010.12.10

観て、考える ゴッホ展

レビュー「没後120周年 ゴッホ展 -こうして私はゴッホになった-」
国立新美術館  2010.10/1-12/20 http://www.gogh-ten.jp/tokyo/

Gogh_iris00_2 ゴッホ展には何度も行った。2005年に東京国立近代美術館で開催されたときにも足を運んだ。当時はまだ普通に歩いていたのでちゃんと入場料を支払って観た。このときの展示は、時系列で作品を展示する「いわゆる」ゴッホ展だったように記憶している。

 国立新美術館で現在開催中の「没後120周年 ゴッホ展」は、5年前に観たのとはかなりちがう。「こうして私はゴッホになった」というサブタイトルが示す通りのコンセプチュアルな展示になっている。「いわゆる」ゴッホ展に比べ、「いわゆる」ゴッホの作品が少ないような印象を受けるが、修作や、参考にした本等も展示され、ゴッホという人はほんとうに絵が好きで真剣に勉強していたのだということがよくわかる。

 そして、ゴッホが影響を受けた画家や、同時代の画家の作品も数多く展示されている。シスレー、マネ、クールベ、ピサロ、それに歌川広重といった有名画家の絵も見られるので、得した気分になれる。シスレーの風景画を見るために通ってもいいくらいだ。

 他の画家の作品と並べられて、際立ってくるのはゴッホの絵の特異性である。ゴッホの特異性、その本質はやはり「狂気」にあるのかも知れない。印象派の画家の風景画にある癒される調和、静寂、安定感といったものがゴッホの絵にはない。ゴッホの絵は常に動的である。風景画だけでなく、肖像画も、静物画もみな静止することなく動いている。それも前方へ。奥行きや横の空間の広がりに誘うのではなく、緊張感をもって突出してくる。

 そうした要素は絵画としては負の要素と言えるのかも知れない。しかし、それを抱えながら、やはりゴッホの絵は美しい。他のどの有名画家のものより美しい。何故かといえばたぶん、内面に炸裂する力を秘めながら、安定することなく動き続ける、それもたぶん真実であり、美の本質であることを私たちは知っているから。

 ゴッホは病んでいた。狂気に悩まされていた。そんなゴッホの負の要素を知りながら、他の画家と並べられてあからさまに暴露された状態にあって、私はなおもゴッホを美しいと思う。負の要素をも受け入れ、理解し愛する能力、美の本質を見抜力が、私にはある。ゴッホ展に集まった沢山の人々(平日なのに満員)も恐らくそうなのだろう。ゴッホは生前不遇だったが、後世の人々は美の本質を見抜き、ゴッホの絵を正当に評価した。自分の内面に、適応できない社会に凄絶な闘いを挑みながら描き続けた沢山の絵は、天才の芸術作品として残された。

 ただ観て楽しむというより、比べて頭で考える、観ながらゴッホという画家について考える、それが今回のゴッホ展だった。色々頭で考えさせられた結果、到達した結論に感動を覚えながら、それをまた確認する喜びを味わいたくて、明日も明後日も、私はゴッホを観に行くのだろう。


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2010.12.05

遠野阿璃子、アートレビュアー デビュー!

 詳細は省略するが、美術館にフリーパスできるカラダになってしまったので、わずかな空き時間を利用して美術館通いをしている。何しろタダ(\0)なので、日々わずかな時間しかなくても何回か通えば全体をじっくり見ることができる。

 タダだからと言ってあまりに通いつめるのは何だか申し訳ないので、レビューでも書いて宣伝に協力しよう! と決意。開催後すぐにレビューしたほうが集客に貢献できるというものだが、いつもグズグズしているうちに終了日間近になってしまったり、も書かないうちに終了日を迎えてしまう。

 最近、見てきたのは、新国立美術館のゴッホ展。これももうあと2週間くらいで終了。アタマの中にコンテンツはあるので、早くレビューしてアップしなければ!

 とは言え、気がついたらもう午前3;30。美容に悪いのでもう寝なければ。

 そんなわけで、がんばってアートレビューを書いていこうと思いますのでどうぞよろしく!
 

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2010.09.21

書評: 森口奈緒美著 『平行線』  

Heikousen


 この本の著者、森口奈緒美さんは高機能自閉症アスペルガー症候群の診断を受けている1963年生まれの女性です。
 『平行線』は、前作『変光星』の続編にあたる、第二作目の自伝です。二つのタイトルにこめられた深い意味、象徴性については、彼女自身にも、解説者達にも感慨をもって語られています。私が『平行線』のタイトルを知ったときに真っ先に感じたことは、意味的なこと以前に、「へんこうせい」に「へいこうせん」とは、ずいぶん洒落たつけ方だなということです。お気づきでしょうか? 偶然かも知れませんが、アナグラム、すなわち、言葉の文字を入れかえてちがう言葉をあらわす知的な言葉遊びが完璧に成立しています。彼女のユーモア、言葉のセンスに敬服してしまいました。
機会があれば真似させていただきたいのですが、なかなか思いつきそうにありません。ついでに言えば、私のPCで「へんこうせい」と打つと、「偏向性」と変換されます。…冒頭から余談で失礼いたしました。


 『平行線』では、高校入学から『変光星』出版の頃まで、すなわち彼女の青年期が題材となっています。中学校卒業までの少女期を描いた『変光星』の直後に続く時期が描かれているわけですが、どういう事情か、出版されたのは六年もの沈黙を経た後となっています。前作を出版当時に読んだ人は、その後の彼女がどのような人生を歩んだのか、ずいんぶん気になっていたのではないでしょうか。『変光星』の結末は、罪なき彼女の精一杯の努力の結果の敗北であり、そしてまだ続いていくであろう彼女の不幸が暗示されていました。カタルシスの得られない悲劇というか、何ともやりきれない思いが残りました。
 ところが、『平行線』の結末は『変光星』とはちがっています。後半では、音楽活動、書評が認められたこと、そして『変光星』の出版を契機に彼女の心にようやく希望の光がさしてきます。読者にとっても、二冊読んでようやく救われた思いになるというものです。『平行線』はしかし、単純なハッピーエンドの物語ではありません。その境地に至るまでの道はあまりに険しく、陰惨でさえあります。


 森口さんは、『自閉症だった私へ』(原題:Nobody,nowhere)の著者ドナ・ウィリアムズと同年齢であり、二人とも女性で、高機能自閉症という障害をもっているという点でもよく似た存在のようにも思えるのですが、二人の世界はまるでちがっています。ドナは母親から虐待を受け続ける劣悪な家庭環境の中で育ちましたが、森口さんは愛情あふれるお母さまに守られたむしろ理想的な家庭で育っています。こうした家庭環境の違いや、オーストラリアと日本という社会環境の違いもありますが、二人の世界には、それ以上に本質的に異なるものがあります。
 ドナ・ウィリアムズの世界にはファンタジーがあり、特に第一作目の自伝には、文体にもある種ファンタジックな雰囲気があります。ドナは逃避できるファンタジーの世界を持っており、自己防衛のために自閉症者である自分とは別人である二人の人物を演じることもできました。それに対して、森口奈緒美の世界はあくまでリアルです。森口さんは逃避や自己防衛の手段をもっていませんでした。
 彼女は勇敢にも、生のまま、自閉症のままの自分で、社会に対峙していきます。欺瞞に満ちた友人達や教師達、必ずどこかに矛盾がある学校/教育システム、彼女にとっては常に遅れた速度でしか進歩しない社会、そして、無秩序と混乱だらけの世界そのもの…。こうした過酷な状況の中で、彼女は常にリアルに世界を見つめ、そし
て、自己を見つめていきます。


 優れた長期記憶をもっている彼女は、自らの体験とその背景を赤裸々に再現していきます。大げさに演出された筆致ではなく、むしろ冷徹さをもった語り口で、ありのままに事実を記述していきます。自閉症者特有の記憶力の良さ、体裁をつくろったり嘘をついたりできない性質がリアリティをいっそう強烈なものにしているといえるでしょう。しかし、彼女の文章に高度に結実しているリアリズムは、単なる自閉症者の性質というより、それゆえの、あるいはそれ以前の彼女自身の優れた洞察力、文学的才能によるものであると解釈した方が適切かも知れません。彼女の書いたものは、自閉症者の自己の記録、研究対象のテキストとしてだけではなく、文学的にも価値あるものと評価されるべきでしょう。
 モリグチ・リアリズムは、平凡な人たちの鈍感な目には映らない現代社会の実情を鋭く洞察しています。『変光星』で、子どもの頃、テレビ番組で人口増加の問題とが頻繁に報道されていたので、自分と同世代の人は子どもを作ることに消極的になるかもしれないという意味のことを書いていましたが、少子化が問題視されているに現在において、彼女の予感は見事に的中しています。『平行線』においても、教育問題や環境問題等に、鋭い洞察に満ちた記述がみられます。
 彼女の鋭敏な感性が本質を捉えるのはいつも時期尚早で、常にパイオニアたるべく運命づけられていると、今や彼女自身自覚しています。先駆者ゆえの孤独を知り尽くしたうえで、「扉になる」という希望をもって生きていこうとする彼女の潔さには心を打たれるものがあります。
 彼女が文中でさりげなく提案している事柄には、自閉症の障害をもつ人だけではなく、すべての人が快適に暮らせる世界をつくるためのヒント、アイデアがあふれています。政府が未来を見据えた政策を打ち立てたいのなら、企業がイノベータとして社会に貢献したいのなら、彼女のような人が求めること、語ることに、真剣に耳を傾ける必要があります。この場を覚書に利用するのは申し訳ないのですが、私自身にとって非常に参考になる記述がありましたので、一箇所引用させていただきます。


…居住者の健康と安全と独立性が近隣モラルに完全依存しなければならない住居は、いわば設計思想上の甘えと欠陥が招いたものとも言えるだろう。じっさい、自閉症の人の鋭敏な感覚が住宅デザインのスタンダードとなるならば、それはきっと、すべての人にとっての快適な住まいとなるのでは、と思う。
 私は、知覚過敏の人でも住みやすく、学びやすく、仕事のしやすい、≪自閉症者のバリアフリー≫があってもよいのではと考えている。(p.268)


 モリグチ・リアリズムは、社会を鋭く洞察するだけでなく、自分自身の内面の闇をもリアルに描き出していきます。彼女なりに社会に適応しようと努力しているのに、勉強を続けたいという強い願望があり、恐らくはその能力もあるのに、多数派のためのシステムはいつも、結果として、彼女の道を閉ざすように機能してしまいます。正しい診断が得られるまでは、福祉や医療でさえ、彼女にとっては迫害者以外の何者でもなく、誤った方法によるカウンセリングや投薬ミスによって、精神的にも肉体的にも傷つけることしかできません。多感な思春期、青年期にこのような状態が長く続けば、精神に不調をきたしてくるのはやむを得ないことなのかも知れません。
 人一倍過敏で繊細な彼女は、「日に日に荒れて」いき、「目標と生きる理由を失い」、自殺を試みるようになります。幾度となく繰り返される自分自身の修羅場の場面を、彼女は生々しく再現していきます。特に、新興宗教の集会で「手かざし」受けたのが効きすぎて錯乱し、その帰り道でお母さんを角材で殴打してしまう場面などは凄惨を極め、読むのが耐えがたいほどです。少し長いですが、引用してみます。


その帰りの夜道を、母とともに歩く途中のことだった。
 足元にコツンと躓くものがあった。よく見るとそれは、角材だった。
 とつぜん私は、自分の進路を妨害した「それ」に対して逆上した。私は母を睨みつけ、過去の妄想に行きつ戻りつ、反射的かつ無意識的に、その角材を拾い上げた。
 命が、憎かった。自分がこの世に生まれてきたことが、とことん、許せなかった、
そして私は自分をこの世に産み落とした母を、このとき初めて、心底、憎悪した。
 私は母が、許せなかった。できることなら殺してしまいたかった。そして自分もすぐに、死んでしまいたかった。
 私はこの世では、何の価値もない…(中略)
 私は満身の呪いを込めて、母を、手にした角材で強打した。そして、叩き、叩き、叩き続けた。ダッ、ダッ。骨と棒とが、ぶつかり合う音。関節の、もげる音。私は怒りに燃えた。大地の奥底から吹き上げる、激しい黄泉のエネルギー…(中略)
 人が自暴自棄に陥るのは、夢を失うからではないだろうか― (p.150-151)


 この後、彼女は睡眠薬を呷って自殺「未遂」をしてしまいます。目覚めて、頭が悪くなったと悲観する彼女に、「母は、頭の回線は復旧するから大丈夫よ、と言ってくれた」ということです。この場面では、彼女自身が追い込まれた心の闇の深さに戦慄を覚えると同時に、お母さんが味わった地獄、そしてそれでも娘を思う愛情の深さに心を打たれます。


 最近では、ドナ・ウィリアムズの他にも、テンプル・グランディングニラ・ガーランドウェンディ・ローソンリアン・ホリデー・ウィリーケネス・ホール等、多くの自閉症者本人による手記が出版されており、日本語にも翻訳されています。森口奈緒美の『平行線』と『変光星』も、各国語に翻訳されて、世界中で読まれるべきです。彼女の本は、リアリティにおいて、彼らの誰にも引けをとりません。自閉症の研究者はもちろん、世界中の人に彼女の世界を知ってもらいたいと思います。
 森口さんは『平行線』を出版される前にお母さまを亡くされ、近年お父さまも亡くされて、今はお一人になられたとのことです。彼女のホームページには興味深い文章がすでにいくつも発表されていますが、今後もぜひ執筆活動を続けて、『平行線』の続編も発表してほしいと思います。今や自閉症者である以前に作家である彼女の、これからの作品に期待しています。


 ご参考に:
 自閉症納言のホームページ(森口奈緒美さんのオフィシャルHP)
 http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/8331/
            
『平行線』-ある自閉症者の青年期の回想-
   森口奈緒美著, ブレーン出版, 2002年, ISBN4-89242-680-6.

『変光星』―自閉の少女に見えていた世界
   森口 奈緒美 (著), 花風社, 2004年,
ISBN-10: 4907725590, ISBN-13: 978-4907725594


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2010.09.19

臨時休講 (3)  それとも、アイスクリームがいい?

(1) ケーキ食べに行きましょ♪
(2) 夢が、消・え・て ・ い ・ く ・ ・ 。

520pxicecreamsundaesinosaka 冒頭で私自身の大学時代における臨時休講のエピソードを長々と披露してしまったが、森口さんが日々真剣勝負で勉強に人間関係に挑戦していた学校時代に比べて、同年代の頃の自分がいかに怠惰で不真面であったかを思い知らされ、恥ずかしくなってくる。大学四年間分の講義をほとんど講義机に突っ伏して眠って過ごしたというのは今思えばもったいない話であるが、それが理由で落第点を取ることもな)やり過ごすことができた。人間関係におけるトラブルがなかったわけではないが、どうにかやり過ごした。登録したことさえ忘れ一度も出席しなかった講義もあったが、必修科目ではなかったので卒業に影響はなかった。
 彼女が妥協することなく真摯に取り組んできた多くのことを、私はやり過ごすことによってクリアしてきた。臨時休講→ケーキ食べにいきましょ♪と発想してしまういい加減さ、不真面目さを持ち合わせていたため、それなりに楽しい経験もしながら学生時代をやり過ごすことができた。
 『変光星』『平行線』を読み返す度にある種罪の意識のようなものを感じてしまう。


 あるいは私の臨時休講のエピソードに登場する匿名抗議文の送り主は、森口さんに近い感性をもった人だったのかも知れない。突然の休講に、彼女のようなカタストロフの幻影を見た人だったのかも知れない。あの後、休学した人はなかったし、「英米詩購読」を欠席する人もいなかったから、自殺を図ることも心身に不調をきたすこともなかったのだろうが。いや、色々と想像をめぐらせてみても根拠に乏しい憶測に過ぎない。全員に突然そのときになって臨時休講が告げられた私たちの場合と、一人だけ知らされていなくて登校したら誰もいなかったという彼女の場合とではシチュエーションに違いがある。それに、私のクラスメートは少なくともあの後、抗議文を送りつけるという積極的態度に出ることができたし、その後の日々をやり過ごすのに成功し、無事に卒業することができた(その年の英文学科に留年者はなかった)。


 余計な想像をもう一つ。たとえば私が京都の大学ではなく、東京代々木のデザイン専門学校に進学していたとする。そこで森口奈緒美さんのクラスメイトになっていたとする。
 少し遅刻して教室に到着したら授業は臨時休講だった。…そう言えばそうだった。寝ていて連絡を聞いてなかったから、誰かが教えてくれたのにすっかり忘れていて、わざわざ早起きして来てしまった。あああ、またドジなことやっちゃった。教室には一人だけ先客がいる。森口さんは泣き出しそうな顔をしている。私は彼女に話しかけるだろう。
 私には何かが欠けている。それでしばしば、誰でも気づくこと、誰もが感じ取るその場の空気がわからない。彼女が既にパニック状態にあることもきっとわからない。彼女がクラスで浮いた存在であることに恐らく私は気づかない。むしろ、知的な風情のある彼女に好感を抱いている。
 だから私は何の気がねもなく、彼女に話しかけるだろう。
651pxitalian_ice_cream「休講になったみたいね。早起きしてせっかく来たんだから、ケーキ食べにいきましょ♪ それとも、アイスクリームがいい?
 彼女は一緒に来るだろうか? 私がその場にいたら「臨時休講→パニック」の後の「→自殺未遂…」を避けるバイパスを敷くことができただろうか?


 いや、安っぽい妄想を繰り広げるのはやめにしよう。
 森口奈緒美さんは臨時休講のカタストロフを乗り越え、それを糧として次のステップへ進むことができたのだから。私たちが学校時代をやり過ごして普通に卒業して成し得たことよりもっと偉大なことを彼女は成し遂げるだろう。
 『変光星』『平行線』に続く彼女の作品に期待している。彼女の書くもの、彼女の人生そのものが自閉症スペクトル文化の結晶であり、日本のドナ・ウィリアムズ*と呼ぶに相応しい森口奈緒美は既に文学の一ジャンルにおける代表者なのである。

  


『平行線』-ある自閉症者の青年期の回想-
   森口奈緒美著, ブレーン出版, 2002年, 四六判, 297頁, \2800, ISBN4-89242
    -680-6.

森口奈緒美さんのサイト
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/8331/
自閉症納言のホームページ

*ドナ・ウィリアムズ
自伝 Nobody Nowhere で世界的に有名なオーストラリア生まれの自閉症女性。

画像はWikipedia(Ice Cream)より
上)photo by FlyingToaster (talk)
下)photo by Alessio Damato

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2010.09.18

臨時休講 (2)  夢が、消・え・て ・ い ・ く ・ ・ 。

Heikousen さて、私自身の「臨時休講」のエピソードで無駄にデータを重くしてしまったが、何も自分の思い出話を語りたくて書き始めたわけではない。この文章が目指すところは、森口奈緒美『平行線』を読んでの感想文である。というか、衝撃を受けたある場面をただただ紹介したいのだ。
 『平行線』は、「ある自閉症者の青年期の回想」という副題の示す通り、高機能自閉症およびアスペルガー症候群の両方の診断を受けているという森口奈緒美さんの青年期の回想であり、高校入学から『変光星』の出版までのことが書かれている。
 彼女の青年期は文字通り傷だらけであった。既存の教育システムの中で学ぼうとする努力は、高校中退、大検不合格、専門学校中退という結果になり、この本の結末の時点では結局、実を結ぶことはできなかった。学びたいという意欲と学ぶ能力を持っており、血のにじむような苦労を続けてきたのにもかかわらず、である。


 『平行線』の後半では、「学校」を離れて自分の生き方を音楽や執筆に模索していく彼女の日々が描かれており、自伝『変光星』の出版を機に、ようやく彼女の人生にも光が見えてくる。その境地に至るまで彼女は何という苦難の道を歩いてきたことか。全ては自閉症という生得的な障害ゆえの苦難であった。「和や協調の大切さ」が必要以上に求められる日本社会において、高機能者の自閉症の存在自体が一般に認知されていない時代に学校時代を送らなければならなかった彼女の青年期は痛々しい。
 『平行線』にも、臨時休講のエピソードが出てくる。彼女の専門学校時代の話である。以下、本文を引用してながら、臨時休講が彼女にもたらしたことの顛末を追っていくことにする。
                           

 森口さんは大検不合格となった後、「グラフィック・デザイナーになろう」という夢を抱いてデザインの専門学校に入学する。しかし、そこでも友人に恵まれず、教師たちからも理解されず、人間関係に悩まされることになる。それでも、苦手な満員電車での通学にも耐え、精神的、肉体的に圧し掛かるストレスと闘いながら通学を続ける彼女であった。毎日の無理が祟って体調を壊したが、数日間の病欠の後、再び満員電車で学校に向かった。その日の電車も凄まじく混雑しており、「いわしの缶詰」のごとくであった。
 ところが、学校に到着したら授業は臨時休講になっており、クラスメイトたちの姿はない。事前に伝えなかったことを担任にクレームしたが、伝えたはずだと取り合ってもらえない。そして…(以下引用)

 それを聞いてからまもなく、私は急に全身から力が抜けて、頭がふわ~として、次の瞬間、コントロール不能に陥ってしまった。(中略)
 最初の通りすがりの学生らは気味悪がって素通りして、その次の人が知らせてくれたらしく、ただちに養護室に運ばれた。
 しばらくすると、
「病気を隠して入学したな」
 という声が聞こえた。(p.216-217)

 最初に読んだとき、あるいはこの声は幻聴だったのではと思ったが、それは私の誤読だった。その教師は実際にその台詞を言い、既にパニック状態にあった彼女を絶望に陥れる。専門学校の入学規定には、病気や障害をもった人の入学がご法度であると定められており、書類に「健康」と書いて提出したことを彼女はずっと気にかけていた。「自分の夢を果たすために、敢えて『嘘』を吐いた」と。

 私は理由のない恐怖に駆られ、思わず大声をあげた。するとその先生は私を正気にさせようとしたのか、思いきり私の頬をひっぱたいた。たぶん善意だろうと思って、いちおうはお礼を言ったのだが、しかしこのとき彼は、ほんとうのところ、規則違反を咎めたい気持ちもあったように思えなくも、なかった。(p.217)

 いきなり頬をひっぱたかれたのに善意に受け取ってその相手にお礼を言えるとは、感服すべき理性、冷静さだとも思えるが、正直言ってちょっと異様でもある。
 さらに、この状況において彼女は、「自閉症者『専用』のアートスクール」があればいい、それがないために自分達は「複雑な人間関係で資質や個性もろとも、健康や生命力をも破壊される」ことになり、、「それは社会にとっての損失でもある…と、非常に理に叶った思考を展開する。
 臨時休講のエピソードがここまでで終わりであれば、まだ救われる。つらい思いをしたけれど、それがきっかけで自閉症者の教育について考察を深めることができた等と結ぶこともできる。しかし、彼女にとって臨時休講とはそれだけで収拾のつくことではなかった。
 彼女の憎しみはひっぱたいた教師、理不尽な入学規定を持つ専門学校、「自閉症者『専用』のアートスクール」のない社会ではなく、「嘘を吐いて」まで入学した自分自身に向けられる。

 私は自分が許せなかった。神に従うなどと言いながら、嘘を吐いた自分が憎くなり、そこら辺を煮えたぎるマグマで埋め尽くしたいぐらいだった。(p.218)


 そして、次の「実行」という名の章において、自分への憎しみは最大級の激しさをもって爆発する。

 みじめだった。何もかも、終わらせたかった。

  カレッジの帰り、代々木の駅に向かう途中、私はふと、ある幻想に駆られた。そして踏み切りの上で、ふわあっと横になってみたくなったのだが、その路線は貨物線ので、ほとんど電車が通ることもなかった。
 やろうかやるまいかそわそわしながら、私は駅に向かった。どうにも落ち着いた気分にはなれないまま、電車が通過するたびに、またチャンスが一つ、また一つと逃げていく。
 一瞬、人影が誰もいなくなった。私は「今だ!」と思い、それまでの鬱積した思いを爆発的に実行に移した。
 私はホームから線路際に下がって、次いで、へばりつくように線路の上に伏せた。
たい中央線というのは電車の間隔がとても短く、しかも速いから、いつでもあの世に行けるはずだった。私は頭の中で数えるのに専念した。あと何秒で、この世にピリオドが打てるのか…。
 ところが、三分たっても、五分たっても、いや、それどころか十分以上経過しても、くるはずのものが来ない。そのあいだに通報されたらしく、無理やり抱きかかえられて私はホームに運ばれた。目の前には緊急停車したままの電車があった。
 私はふたたび線路に下ろうとしたが、見知らぬ年配の男性が私の腕を掴んで離そうとしない。私が動こうとするたびに、その拘束も強くなった。私はその男性をギッと睨みつけ、心のなかで叫んだ。
 「どうして邪魔するのかよ!」、と。(p.218-219)

 その後、彼女はパトカーで警察に連れて行かれる。精神科の薬を携帯していたため誤解を受け、横柄な警察官に色々と質問されるが答えることができない。そこへ父親が駆けつけ、警察署を出ることができたものの、父は優しい言葉をかけることもなく…

 帰りのタクシーのなかで、父は泣いている私をなんべんも叩いた。
 涙の数が増えるほど、そのビンタも強くなった。 (p.220)

 数日後、後掛かりつけの精神科に連れて行かれるが、自殺未遂の場面が鮮烈にフラッシュバックし、医者の目前でパニックを起こす。

 …すると医者は、問答無用で私の下半身を強制的に脱がし、正体不明の注射を射った。
 とたんに私は眠くなり、帰りの電車で昏睡した。

 ――勤労者の夢が、消・え・て ・ い ・ く ・ ・ 。

 私には、子供のときからの夢が、あたかもカタストロフを見るかのように、どんどん壊れていくのを”見た”。そして、ずっと自分のなかに棲んでいた”勤労者”が息絶えていくのを感じていた、自分のイメージのなかで、子供の頃からずっと思い描いていた「橋」や「塔」、「超高層ビルディング」や「地下鉄」、「高速道路」や「飛行場」などが、次々と崩壊していくのが、”はっきりと見えた”。あるものは巨大な潮汐と津波にまみれ、あるものは大火災で溶解し炎となり、あるいはそれらが同時に起こり、巨大都市が破壊されていく――。
 「大いなる都市が三つに割れた――」(p.221)

 ランボーの散文詩さながらの文章だが、彼女が”見た”のは恐ろしいほど現実感をもった幻影だったのだろう。
 そして、彼女の人生における何度目かのカタストロフが現実に訪れる。
 精神科医が射った注射が原因で足の筋肉に痙攣が起き、通学を断念し、長期休暇を取らなければならない状況となる。そして、そのまま復学できぬまま、翌年、専門学校に退学届を出す。ここで彼女は自分のヴィジュアル・アートの世界における可能性を完全に閉ざす決意をする。
 これが彼女の「臨時休講」のエピソードの顛末である。このカタストロフを招いたものは、専門学校での周囲との不調和による極度のストレスと精神的疲労であると言うこともできるが、直接の引き金となったのは、「臨時休講」に他ならない。


 病欠後、ようやく学校に行く決心をして、満員電車に長時間揺られて登校してみたら、臨時休講になっていた。確かに気の毒なことだと思う。他の学生には彼女の病欠の間に伝えられたのかも知れない。そして、それを連絡してくれるような友人を持たなかった彼女には伝わらなかったのだろう。確かに気の毒なことではあるが、一度の
臨時休講がきっかけで、線路に横たわって自殺をはかるような人が他にいるだろうか? 大カタストロフの幻影を見るような人がいるだろうか? 心身ともに回復不可能なまでにの打撃を受け退学に追い込まれるような人がいるだろうか? 
 臨時休講が彼女にもたらした運命(臨時休講→パニック→自殺未遂→心身の不調による休学→自主退学)は、超非現実的なまでに過酷である。彼女の場合に限って、なぜここまでのことになってしまったのか? その問いには、それは彼女が自閉症だからと答えるべきだろう。このエピソードから、私たちは自閉症という障害をもつ人が社会に適応して生きていくことの困難さについて考えさせられる。


 多くの専門書で解説されているとおり、自閉症の人たちは、独特の「こだわり」を持つ精神構造のために、しばしば急激な状況の変更に対応できず、パニック状態になることがある。それは重症の自閉症者の場合や幼児の場合には特に顕著であり、彼女自身、『変光星』幼児期には電車を見るのは好きだったが、いざ乗ると見知らぬ人が次々と乗ってきて予測のつかない場所に座ったり立ったりするのが怖かったと書いている。このような傾向は、適切な療育によって、または成長に応じて軽快していく場合もある。しかし、このときの彼女のように、二十歳の高機能者の場合にも起こりうることなのである。そして、このときの彼女は、学校・社会でのストレスがピークに達していた状況にあったことを忘れてはならない。
 この結末を彼女自身の能力で回避することは不可能であった。彼女自身がいかに努力を続けてきたかは、『変光星」、『平行線』を読めば瞭然である。しかし、臨時休講→パニック→自殺未遂という事態が起こりうる自閉症者特有の繊細さを備えた彼女が、孤立無援の状態で学校という社会において学び続けていくことは難しすぎた。周囲の理解、何らかのサポートが得られていれば状況は違っていたかも知れない。しかし、友人たちはみな彼女を裏切り、見捨てた。また、当時のその専門学校では心身ともに健常な者でないと入学自体が許可されなかったらしい。つまり、社会の方が自閉症者の能力を超えた死に者狂いの努力を受け入れる努力を怠り、排除したのである。


 彼女はその後、長い引きこもり生活に入る。そして、音楽活動、執筆活動を通じて、自分の表現手段を確立していき、『変光星』の出版を機に彼女の人生は好転し、明るい世界が開けてくる。それを成し遂げたのは、彼女自身の強さである。
 臨時休講のエピソードは、『平行線』におけるクライマックスであり、最大のカタストロフであった。それを乗り越えた彼女に敬意を表するとともに、私たちは自閉症をもつ人たちが協調を強いられて生きていくことの困難さについて、理解し、共に生きていけるよう努力していかなければならないことを深く認識するべきであろう。

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2010.09.15

臨時休講 (1)  ケーキ食べに行きましょ♪

――森口奈緒美著『平行線』を読んで――
  
 「英米詩購読」の講義に遅刻した。よくあることなので気にしない。後の戸口からそっと入ってさり気なく席に着く。なるべく教授と目を合わさないように。
 しかし、その日は席に着く必要がなかった。
 遅れてきた私とすれ違いに、助手らしき女性が前の戸口から出ていった。友人たちは帰り支度をしている。状況がよくわからなかったので、どうしたのかと聞いてみると、M教授が歯医者に行くために臨時休講になったとのことだった。
「ラッキー!」
 私は狂喜した。
「ケーキ食べに行きましょ♪」
Cake2
 それはすてきな思いつきだと、友人たちは立ち上がった。
 講義が臨時休講になったら、みんなでケーキを食べに行く。これこそ女子大生ライフの正しい楽しみ方というものである。
 そこは京都の女子大であった。
 私は通学圏外の出身なので大学の近くの民間女子学生寮に住んでいたが、遠くから自宅通学をしている人もいる。1時限目がある日よりはましだが、神戸から通っているリエちゃんや三重県から通っているマサミさんにとって、午前10:30からの授業に間に合うように登校するのは大変なことだと思う。2~3時間も電車に揺られてやって来たら突然の休講というのはひどい話だ。せめて一緒にケーキでも食べに行って有意義な楽しい時間を過ごさせてあげたい。
 というより、ただ自分が楽しく過ごしたかったので、大勢引きつれて女坂沿いの喫茶店に入った。そのクラスには特に関西系エレガンス(?)を身につけたお洒落な美人が多かったので、女子大生で賑わうその店の中でも私たちは派手で目をひく集団だった。
 チーズケーキパフェは品切れだったので、無理を言って、メニューにはないがチョコレートケーキパフェを作ってもらった。私たちは、ケーキやパフェやプリンを味わいながら、華やいだお茶の時間を過ごした。私の後に着いてきたのは、私と話の合う人たちだったので、特に私は楽しかった。


「こないだ、玄関の前のドブに鍵を落としちゃってね。自分では取れないから、管理人さんにお願いしたの。三十分くらいドブさらいしてもらって、ようやく見つかったんだけど、管理人さん、ドブ泥まみれになっちゃってすごくかわいそうだった。私はごめんなさーいって言いながら、ただ見てただけ」
 友人たちは、この手の我ながらバカな話を楽しそうに聞いてくれる。
「そういうところがいかにも阿璃子ちゃんらしいねん」
 などと適当に相槌を打ちながら、決してバカにすることはなく、面白い話として聞いてくれる。そんなすてきな友人たちだ。
 普通に振舞うより、少し変わっていると思われていた方が快い。大学ももう三年目なので、クラスではそういうキャラクターを確立させることにかなり成功していた。
 京都に来て三年目になるが、関西弁を喋ろうとしたことは一度もない。だいたい、方言というのは排他的な冷たい響きがあるからキライだ。それはホームタウンの地方都市にいたときから思っていたことだった。友人たちの多くは自宅通学のお嬢様、つまり関西弁のネイティブさんだったが、私の言葉に違和感をあらわにすることなく接
してくれる。
 午後、教職員による作品展の会場になっていた教室でM教授に顔を合わせた。歯の治療がうまくいったらしく、事務員らしき人を相手に自作の絵を自慢しながら談笑していた。
 と、この日は臨時休講のおかげで楽しくお茶できてよかったね♪ ということで終わった。私にとって、臨時休講というのはその程度のことだった。
Tea12        
 しかし、この話には続きがある。
 1週間後、同じ「英米詩購読」の講義に、やはり私は遅刻した。
 M教授は遅れてきた私をとがめることなく、全員に対して言った。
「歯が痛くて歯医者に行ってはいけないのですか?」
 現代詩の訳かと思ったが、違ったようだ。途中から来た私には意味がわからない。
 何やら白けた沈黙の後、講義は始まった。いつになくそっけない講義だった。さらりと事務的に教科書の内容を流すという程度だ。いつものようにどうでもいいエピソードや自慢話は入らなかった。少なくとも、私が起きていられた短い時間には。そして終業の五分前に、教授は憮然と退室した。
 何かあったのかと聞いてみると、それを知らない私に友人たちはあきれた。
「だって、遅刻したんだもん」
 友人たちの説明によると、私たちがケーキを食べに行った次の日、教授のもとに匿名の手紙が届いた。手紙の内容は、歯医者ごときで臨時休講にしたことに対する抗議で、激怒した教授はその手紙を(遅刻した私を除く)全員に対して読み上げた。午後、作品展でお見かけしたときには大声で笑っていらっしゃったが、そんな元気がお
ありなら、臨時休講なんかにしないで授業をするべきではなかったか? 等と非難轟々の文章の一文一文に、教授は逐一言い訳のコメントを加えながら全文を公表したということだ。


 なるほど手紙の内容は正論だ。正しい。わざわざ講義の時間に歯医者に行くこともあるまい。水曜日の二時限目が英文学科三年生Aクラスの英詩の時間であることは決まっているのだから調整は可能なはずだし、調整するべきだ。抗議されても弁解の余地はない。
「歯が痛くて歯医者に行ってはいけないのですか?」
 に対して、
「いけないのです、九十分はご辛抱なさいませ」
と返されても仕方あるまい。
 私は英語の詩は好きだが、M教授は好きではなかったので、講義が一度くらい臨時休講になっても大して気にならなかった。出席しても、起きていられる時間はわずかに過ぎない。私を90分間覚醒した状態でお勉強させるのは、並大抵のことではない。だいたい、英語の授業が一番眠たかったのに、英文学科に入っったのがまちがいだった。
 私立大学の学費を提供してくれている親には申し訳ないが、どうせ居眠りしているなら、講義があってもなくてもかわりはない。ケーキを食べながら、気心の知れた友人たちとおしゃべりをしているほうが私にとっては有意義なのだ。


 閑話休題。私は抗議文の送り主の勇気に感心しつつ、匿名じゃなかったらもっとかっこよかったのにとか、それにしてもこんな講義をどうしてそんなに受けたいのか等と思っていた。あきれるべきは、それをわざわざ全員の前で読み上げて怒りを露にして言い訳する教授の卑小さだった。
 ところが、友人たちの反応はちがっていた。
 抗議文を送るなんて、そんな過激な行動に出る人がこの中にいるなんて、信じられへん! 一体だれやねん?
 言われてみればそれはもっともだ。この中に抗議文を送りつけるなんて過激な行動に出る人がいるとは思えない。当分の間、だれやねん? という話題で盛り上がっていたが、誰にもわからない。そして、私は愕然とした。
「私以外に考えられないかも」
 偶然、あの午後作品展で顔を合わせており、大声で笑っていた場面も目撃しているし、おっとりしたお嬢さん達が揃ったあのクラスでそんな思いきった行動に出るのは客観的に考えて私以外に考えられない。疑われているに違いない。
「でも、あの後、みんなでケーキ食べに行ったよね。だから、ぜったい私じゃないよね?!」
 と、自信たっぷりに主張してみたが、
「いいや、阿璃子ちゃん、それはアリバイにならへんで」
 と指摘されて、再び私は愕然とした。手紙を書いて投函するのはいつでもできることで、直後にケーキを食べに行ったという事実は何のアリバイにもならない。しかし賢明な友人達は、私にとって臨時休講は「ケーキ食べに行きましょ♪」程度のことに過ぎないと理解してくれていた。


 その後も、「英米詩購読」の講義はそっけなかった。そして、全員がC評価だった。私たちはたいへん優秀な学生だったので、それはあり得ないことだった。テストはさほど難しくなかったので、私でさえA評価を確信していた。全員C評価が「匿名抗議文事件」を根に持つ教授の陰謀であることは明白だった。D評価以下の落第点に
したら、気に入らない私たちをもう一年受け持つハメになるのでかろうじて合格点のC評価にしたのだろう。
 エミコさんはAランクマニアで、難しい科目のテストは受けずにわざと単位を落として次期でAを取ることにしていた。まさか「英米詩購読」でCをつけられるとは予期しておらず、オールAのはずの成績表に汚点がついたことを悔やんでいた。私にはそのようなこだわりはなかったので私の成績に関してはどうでもよい。しかし、誰よりも深く詩を理解する知性とセンスの持ち主である親友リエちゃんの成績表にまでCをつけたことは許せない。
 あの手紙が匿名だったから全員がこうなったと恨みを言う友人もいたが、私が憎悪したのはあくまでもM教授の卑小さだった。抗議文の差出人に恨みはない。というか、「英米詩購読」の成績がC評価だったことなど、私にとってはどうでもいい。あの日、楽しくケーキを食べに行けたからそれでよかった。その程度のことだったの
だ。
 抗議文の差出人がだれだったのか、結局、今もってわからない。どうして彼女はあの日の臨時休講に、抗議文を送りつけるほどの憤りを感じたのか? 全くもってミステリアスな話だ。
 「匿名抗議文事件」のミステリーは卒業するまでしばしば話題にのぼったが、誰にも解明することができなかった。そして、そのうち笑い話として笑い飛ばされるようになり、やがて忘れ去られた。私もすっかり忘れていた。その本を読むまでは。

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2010.09.12

カラメル・プディングの奇跡

 今夜はいつになく調子がいい。
 この私が、カオスを極めたキッチンのおかたづけに着手したのだから。この私が、である。まさに奇跡と言ってよかった。
 我ながら、調子が狂うほどに調子がいい。まるである薬を1T服用したときに匹敵する効果だ(※当時は禁止されてなかった)。
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この快調をもたらしたものは何か? それはケーキ・ヴァイキングである。
 ケーキ・ヴァイキングには、女友達と行くべきではない。例外もあるが私の女友達はたった3~4個かせいぜい5~6個のケーキやプディングを食べただけで、
「そんなにたくさん食べられるものじゃないわね」
 と、終わりにしてしまう。
 冗談じゃない! 私なら最低20個は食べたい。最初に全種類を1個ずつ味見して、最後に気に入ったのだけを満足いくまで食べつづけるのが私のやり方。
 彼女達のペースに合わせていると、全種類を食べ終える前に、
「そんなにたくさん食べられるものじゃないわね」
 と、終わりにされてしまう。
 「そ、そうね」
 と一緒に店を出るのだが、私の心は憤死しそうなほどの欲求不満に震えている。


 というわけで、ケーキ・ヴァイキングのお相手は男性限定にしたい。せっかくケーキ・ヴァイキングに来て、そこまで食の細い男性はまずいないだろう。
 お酒が好きな人はビターな味やホットな味を好むらしいが、甘いものが好きな男の人も案外少なくない。
 デザート・ヴァイキングに行くと、いつも必ず何人か見かける。一人で長時間席を構えて、幸せそうに食べ続ける男の人。今日のサロン・ド・テにもいた。一見、仕事途中の営業マンふうのグレーのスーツの紳士。ハードカバーの本を読みながら、なかなか上品な手つきで林檎のタルトを召し上がっている。窓際に腰を据えた小太りの青年も、至福の笑みを浮かべながら焼きたてのクレープに生クリームを塗っている。彼らは何時間も何時間もそこに居続けて、ただただ幸福に食べ続ける。


 そんなわけで、建築家の相原聰さんとヒルトンホテル(西新宿)のデザート・バイキングに行き、至福のときをたっぷり過ごしてきた。
 最後のとっておきに選んだプディングは、カラメルソースがパリパリと香ばしく、甘すぎない甘さに優しささえ感じた。マロン・ムースの胡麻豆腐のような食感もよかった。定番?の苺ショートやザッハトルテはなかったが、大人好みの上品なケーキやムース、焼き菓子や生菓子が揃っていて、なかなか私好みだ。店内の雰囲気も明るくあたたかく、私達にしては非常にめずらしく、会話もはずんだ。
Teset
 至高の満足感とともにサロン・ド・テを出て一人で帰宅した私は、何を考えたのかリビングのテーブルのおかたづけを始めた。何と、支払うべき公共料金等の振込用紙やら健康保険証やらをまとめてポーチに入れることができた。そして、未整理だった病院の領収書や経費扱いにできそうな書籍代の領収書を、箱にしまうこともできた。さらに、あろうことか、数ヶ月間、散らかるがままに放置されていたキッチンのおかたづけに着手したのだった。私の脳を普通の人と同レベルでこのような分野に機能させるには、いつも糖分が不足していたのかも知れない。
 この絶望的な空間をまともにすること等、不可能であることは最初から察しがついていた。それでも、せめて何とかましなようにと、私の理性がはたらいた。整理棚の位置を移動し、めったに使わない保存容器を出して食材を入れ……、しかしそこで電話が入った。


 郷里の友人からだった。私の陽気さは電話の向こうの彼女にも伝わったらしい。
「……だから、ツェルニーはもう弾かないで。練習曲なんて、貴女にはもう十分。基礎なんて振り返らないで、楽しい曲を弾きなさいよ。それと、リストカットはだめ。深くやったら神経に来て弾けなくなるから」
「うん、わかった。モーツァルトにする。リストカットはやらない」
 ショパンにしたら? と言いたかったが、せっかくツェルニーを閉じる気になった彼女に、そこまでは言えなかった。


 いつものような長電話にはならなかったが、言いたかったことがやっと言えた。
 彼女はセンスのいいピアニストだったが、「ランメルムーアのルチア」と同じ理由で重度の鬱病を発症してから、まったく弾けなくなってしまった。数年前、少しは回復して弾けるようになったものの、ツェルニーの練習曲ばかり弾いていた。
 別のピアニストにその話をしたら、どう考えてもそれは病気だと言った。
 「ランメルムーアのルチア」が狂乱したのがルチアのせいではなかったように、彼女が病気になったのは決して彼女のせいではない。それでも彼女は自分が悪かったと、真摯に、呆れるほど真摯に反省していた。そして、長い長い年月、自信を失ったまま過ごし、ツェルニーしか弾けなくなってしまった。少女時代、驕慢なまでに自信に輝いていた彼女なのに。そんな彼女に何と言ってあげればいいのか、言葉が見つからなかった。それがふと口に出た。
「ツェルニーはもう弾かないで」
 これもカラメル・プディングの至福で訪れたある種の心の高揚がもたらした奇跡なのだろうか?


 さて、私は彼女の弾くモーツァルトを脳裏に再現しながら、勢いでこの文章を書いている。
 ……キッチンのお片づけは? もう午前一時を過ぎた。夜中にやるべきことではない。明日にしよう。保存容器が床に放置されたままだが、気にすまい。どうやら少しばかり糖分の摂取が足りなかったようだ。カラメル・プディングをあと3個、いや5個は食べておくべきだった。

2003年11月30日

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2010.09.04

畢竟の果て、夜の女王

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 ある局面をモーツァルトがカストラートのために書いたモテット「Exultate, jubilate....(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)KV.165」で乗り切ろうと思った。
 しかし、暗譜が不十分なため、途中から「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナのアリアになってしまう。

 誇り高くも屈折したドンナ・アンナ。
 複雑な心情が音楽で表現された美しい曲だが、私には不十分だ。ノーミスで歌いきっても、私にとっては煮え切らなさが残る。
 何故なら最高音がB♭だから。

 それでは私は何を歌おう?
 畢竟(=ひっきょう 何という美しい言葉だろう、ヴィジュアル的にも)、モーツァルトなら、夜の女王

 畢竟 私のオペラでのキャラは『魔笛』の夜の女王。それしかない。
 実際、二つの「夜の女王のアリア」しか暗譜できてないし、コンサートで主催者からリクエストされるのは第2幕の「復讐の心は地獄のように」。
 私の性格とか容貌とかは関係なく、音域的にそうなのだから仕方がない。

 そんなわけで、
 畢竟 私は夜の女王! というイメージングでその局面を乗り切ることにした。
 ザラストロの新興宗教団体に滅ぼされるのだから最強とは言えないが、音域的に物理的に最高なのだ*。

 夜の女王は「最高の」ヒステリー女、そしてアジテイターである。
 王子タミーノを自己実現への試練の世界へ導いたのは、ザラストロではなく夜の女王なのだから。第一幕での彼女は慈愛に満ちた母、いや、それだけではない。蛇に怯えて逃げるような気弱な若者だったタミーノ王子を鼓舞し英雄的行動へのモティヴェーションを吹き込むのは彼女なのだ。
 このアリアの終盤のハイFに至るパッセージの華麗なこと。癒し系ではない、煽り系の音楽。Allegro Assai ではなく Allegro Moderato なのが第二幕のアリアよりも難しいところだが、ここではヒステリーではなく安定感ある威厳を示したいところなので、過度に速く流すのは避けたい。

 畢竟 私は夜の女王。

 本人の意思に関係なく、音域的にそのように生まれついているのだから仕方がない。さあ、皆の者、静粛に。反論無用。誰が何と言おうとも、私が真理。私のハイFを聴きなさい。


※実際、モーツァルトが他の作曲家のオペラの挿入歌として作ったソプラノのアリアに3点Gを要する曲もあるが、あまり知られていない。


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2010.09.02

痛いの恐いの飛んでゆけ 〔歯科治療録1997-2010〕 4

第4章 妄想笑気麻酔

※これまでのお話 
第1章 静脈内鎮静法    
第2章 障害者歯科
第3章 日帰り全身麻酔

「あらゆる手段を使って苦痛と恐怖を回避せよ。医学的に可能であれば」
 それは絶対に譲れない主義である。アスペ的こだわりなどではない。

 そして、主義はもう一つある。これも絶対に譲れない。
「あらゆる手段を使って文献を入手せよ。時間的、経済的に可能であれば」
 参考になる文献の存在を知っても、図書館で取り寄せるのに時間がかかりすぎて締切に間に合わない場合や、あまりに高額で購入できない場合は断念するが、その他の場合は日本語または英語の文献はあらゆる手段を使って手に入れる。大学で卒論を書くときにそのように指導されたし、プロの物書きならば誰でも徹底すべきことである。実際、『古代文明ビジュアルファイル』誌に歴史読物を書いていたときには地元の図書館の貸出冊数に制限がないのをよいことに、2週間毎にあるテーマの本をごっそり自宅に移動していた。

 この二つの「主義」が拮抗した場合は私はどちらを選ぶのだろうか?
 いや、歯の治療と文献入手が関わり合うことがあるなんて思いも寄らなかった。ところが、ある日、そうした状況がやってきたのだった。

 詳細は省略するが、ある出逢いが縁で久々に某誌に歴史関連の文章を掲載してもらえることになり、奮起して参考資料を集めていた。テーマは古代エジプトの女性ファラオ=ハトシェプスト。耽美系歴史ライターを自認する私の執筆意欲を燃え立たせるお題である。

 どのような文献がどこに存在するのか、大抵のことはネットで調べられる。そして、学術論文を検索しているうちに、ハトシェプストに関する魅力的なタイトルの論文を見つけた。早速、考古学者の兄にメールを送り、勤務している博物館の図書館にこの論文があったらFAXしてと頼んでみた。送られてきたのはその概要のみで、全文が掲載されている冊子はないという。他にも、大学に問い合わせたり、同じ著者が同テーマで書いた文章が掲載された雑誌を購入したりとあらゆる手段を尽くしたが、論文全文を取り寄せることはできなかった。

 それでも、色々検索していくうちに、著者のホームページを発見しメールアドレスを知ることができた。
「あらゆる手段を使って文献を入手せよ。経済的、時間的に可能であれば」
 これは、可能なケースに当たるのだろう。ホームページによると、エジプト在住だが日本に滞在中とのことなので。そこで、私としては一大決心をしてメールを送り、論文を読ませていただきたいとお願いしてみた。しばらく返信がなかったのでエジプトに発った後と思い断念することにした。エジプトでのご活躍を祈念するメールを送ると、ご本人から返信が来た。現在、東京在住とのこと。そして、お会いして論文のコピーをいただくことができるとのこと。しかも、ホームページによると私好みの長髪男性らしい。

 さて、ようやく「歯」の話に戻るのだが、その頃、上の前歯2本が虫歯になり黒ずんでいるという最悪状態のため、なるべく人前では口を開けないように、手や髪でさりげなく口を隠して喋るようにしていた。日に日に痛く、黒くなっていくのに、あの大げさな日帰り全身麻酔の予約をとる決心がつかず、しかし一般歯科で治療を受ける勇気はなく、どうするべきか悩んでいた。

 一方、「ハトシェプストの(論文をいただく)日」が近づいていた。初対面の方に会うには口を隠すしかない。マスクをしていこうかとも思った。ところが、その人とコミュニケーションをとるには、口元を隠さない方がよいということをホームページから知り、私は決心した。

 久しぶりにY歯科クリニックに行き、前歯の治療を願い出たのだ。こんなに黒いのだから、削られるに決まっている。そんな恐ろしいことに耐えられるだろうか? しかし、日帰り全身麻酔の予約は早くても2ヶ月先にしかとれない。別に歯が黒くても気にしなければよいのだが、初対面でこの黒い歯を見られるのは嫌という見栄もあり、結局、見栄が恐怖に勝ったのだった。

「ああ、ではすぐに直しましょう。大丈夫です。白くできますよ」
 Y先生はそう言ってくれるのだが、私は前歯を削られる!という恐怖に怯えていた。
「あのー、笑気と麻酔を併用してください」
「大丈夫ですよ。神経のない歯ですから。ちょっと響きますが痛みはないはずです」

 え? 前歯って神経がないの? 
 削られるダメージを想像しただけで暴れだしそうだったが、この汚い前歯が元通りに白くなる!と想像するだけで、何とか耐えられそうだった。そして、このとき初めて知ったのだが、私は数年間の読書や執筆から、治療の恐怖を紛らわすだけの妄想力を獲得していた。

Tokyu Y先生の技術のおかげで、前歯の処置は短時間で済み、幸い、妄想力より見栄のパワーでこの治療を終えることができた。約束通り白い前歯を取り戻すことができた。
 その日には田園都市線と山手線に乗って、その人に会いに行き、ハトシェプストの論文のコピーをいただくことができた。もちろん、口を隠さず楽しくお喋りすることもできた。

 そんなこともあって少し度胸がついたのだが、まだフォビアを完璧に克服するには至らなかった。
 そして、その後さらに深刻な痛みが歯を襲った。静脈内鎮静法に出会うきっかけとなった歯、3本分のブリッジをかけたところがまた痛み出したのだ。付け根がえぐれて黒ずみブリッジにも経年が傷みがあり、前歯ではないが、喋るとき笑うときには醜態が晒される状態になっていた。

 やがて、ストックしていたロキソニン(痛み止め)を使い果たし痛みに耐えられなくなったので、Y歯科クリニックに駆け込んだ。
「手前の歯は神経が残ってますね。日帰り全身麻酔の予約を今からとるとなると、さらに進行してしまいますので・・・・・・どうしますか?」
「うっ、考えさせてください」
 結局、その日は痛み止めのロキソニンをもらって帰った。しかし、歯科ではロキソニンは3日分しか処方できないらしい。3本連結分のブリッジを取り外して神経が残っている歯を削り、神経を抜く。そんな治療に笑気と局所麻酔だけで耐えられるのだろうか?

 ところが、思わぬモティヴェーションが降って湧いてきたのだった。全くの偶然なのだが、あのハトシェプストの方とまたお会いすることになったのだ。その頃にはただただ痛くて歯の醜態なんて気にしてはいられなかったのだが、ふと鏡を見ると、普通の会話で可視の部分が黒くてえぐれていて、見るに耐えられない。歯のことなんて気にしないでちゃんとお話しするには治すしかない。

 そしてついに、私は神経の残っている歯の治療を笑気と局所麻酔だけで受けることを決意したのだった。
「よく決心しましたね」
 とY先生も言ってくれた。

 笑気をたっぷり(?)。麻酔の注射の本数も念のため多めに。針がぶすっと刺すのも痛くて嫌なので歯茎に麻酔テープを貼ってもらう。
 そして、妄想の世界へ。今度は治療時間も長いので、どっぷりたっぷり妄想に浸ることができた。ヘルムート・バーガーよりも美しい黒髪のルートヴィヒ2世本人と、マーク・ポネルより美しいリ金髪のりヒャルト・ホルニヒの(以下省略)。

 思ったより痛くなかった。と言うか、妄想と笑気が効いてくれたので恐怖も痛みもほとんどなかった。そして何より、その日の治療費は2000円もかからなかった。今まで、かくも長く格闘してきた日々は一体何だったのだろう?

 こうして、私は歯科恐怖症を克服した。
 この先もう、よほどのことがなければ全身麻酔のお世話になって歯科治療を受けることはないだろう。大抵の治療は一般の歯科で、局所麻酔&笑気で受けることができるだろう。これからの生涯に重く圧し掛かるはずだった全身麻酔治療のための莫大な治療費ともったいない時間、そして治療遅延のために悪化する歯痛。苦痛と恐怖を回避するための無駄な苦痛から逃れることができるのだ。

Italien ありがとう! ありがとう!  
 さあどうぞ、読唇術を。







※最初の画像 新アレクサンドリア図書館(Wikipediaより)
Exterior photo of the Bibliotheca Alexandrina library in Alexandria, Egypt.
Photo taken by Hajor, December 2002. Released under cc-by-sa and/or GFDL.
本文と関係ないですね。

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2010.08.12

踊れ、喜べ、幸いなる魂よ!

Lake_2「この曲を最初に歌うのはどうかと思う。高尚すぎて聴く人を緊張させるから。貴女の曲なら、『サウンド・オブ・ミュージック』のオープニングか、トスティの『夢』のほうがいいんじゃない? その方がリラックスした気分になれるし、優しく迎え入れるという雰囲気があるでしょ?」

 2010年6月、私達は小さなコンサートを開催した。声楽、ピアノ、フルートの独奏者たちが好きな曲を持ち寄って演奏する入場無料のコンサート。
 主催者のKさんが最初に歌うのに選んだ曲は、モーツァルトのモテット『エクスルターテ・ユビラーテ踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)』KV.165。

 彼女はこの曲で始める理由を、自分の声帯のコンディションを整えるのに都合がいいからと説明し、私は納得した。私も同じ理由で「夜の女王」の前にこのモテットの第3楽章「アレルヤ」を歌うことがあるので。

 コンサートは無事終わり、(詳細は省略するが)私はある新しいプロジェクトを始めることになった。そのとき自分の中に響き渡ってきたのは他ならぬこの曲だった。

  Exultate, jubilate, o vos anime beate, 
   踊れ、喜べ、幸いなる魂よ、
  dulcia cantica, cantica canendo,
   歌え、楽しき歌を。
  cantui vestro respondendo, psallant aethera com me.
   汝の歌にこたえ、天はわれと共に歌わん。

 祝福を受け、強い意思をもって光の中へ踏み出していく。そんなイメージが必要だった。聞けば、彼女も同じような状況にあったという。大切な仕事をやり遂げられるように祈りながら、神秘的な力も借り、勇気を得て決意をもって立ち向かっていく。そんなときにはこの曲がいい。コンサートの最初を飾るのにこれほど相応しい曲はないだろう。

 現代では私や彼女のようなソプラノ・コロラトゥーラが歌うことが多いが、本来、カストラート(男性去勢歌手)のために作られたこの曲を歌うには、ある種の力強さが必要だ。宗教曲なので、オペラのプリマドンナに必要な色気や女らしい情感はなくてもいい。きっぱりと厳かに清々しく歌う。

 ところで、「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」と自分を鼓舞することに取りあえず成功したとしても、それでそのまま「アレルヤ」の境地に至れるほど現実は甘くない。実際、音楽的にはこのモテット第2楽章の長大なレチタティーヴォに当たるような試行錯誤が執拗に繰り広げられた後に「アレルヤ」に昇華することができるのだろう。

 しかし、私の場合はまた少しちがった展開になるのかも知れない。「Exultate, jubilate….」と口ずさんでいたら、何故かいつもモーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナのアリア「Crudele?」になっている。大貴族の令嬢ドンナ・アンナの屈折した情熱。それはドン・ジョヴァンニへの復讐を完遂するのだが、彼女の内面も人生も屈折したまま。決して幸福にはなれない。

 いや、そんなふうに考えるのはやめよう。暗譜が不十分なので似たフレーズに飛んでしまう。それだけのことだ。第3楽章「アレルヤ」はもう何度も舞台で歌ってきたので、第1楽章「エクスルターテ・ユビラーテ」に戻って、やり直していくことにしよう。この曲の響きが今の私には必要なのだ。Yukaport2


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2010.07.24

東京ミッドタウン、ランチタイム、おひとりさま

01imgproduct01 詳細は省略するが、毎日六本木というディープな日が始まって1ヵ月半、ランチタイムは東京ミッドタウンで充実した時間を過ごしている。
 グループに所属するより個人でいるほうが心地いいので、ランチタイムはその日の気分次第で色々。あ、私も入れて~と、美女軍団に混ぜてもらうときもあるし、お友達をご招待することもあるし、お誘いお受けすることもあるし、パワーランチなときもある。
 そして、実際、週のうち半分くらいは「おひとりさま」行動。たまにはぶらりとウィンドウショッピングを楽しむのもいいし、Tsutayaで立ち読みも楽しい。一番の楽しみはサントリー美術館など、このエリアにある美術館でアート鑑賞すること。何しろタダなので(SS手帳持っているから)、何回も通ってじっくり見ればいい。しかし、あまりに濃い時間を毎日過ごすと疲れそうなので、毎日美術館というのは避けようと思っている。
 「おひとりさま」タイムを楽しむには、ランチは短時間で済ませたほうがいい。どうせならコンビニで買ってくるより外食したいのだが、ゴージャスにすると時間とお金がかかるので、カジュアルにシンプルに美味しく食べられるところがいい。

 そんなわけで、ガイドブックと直感で探し当てた「おひとりさま」ランチにお勧めのお店。

スターバックスコーヒー トウキョウミッドタウン コンプレックス スタジオ
STARBUCKS COFFEE TOKYO MIDTOWN COMPLEX STUDIO
http://www.tokyo-midtown.com/jp/shop-restaurants/food-cafe/SOP0000034/index.html
CD試聴席がおすすめ。お金がないときは、スタバなのにお飲み物をパスしてサンドイッチだけという変な客になってみる。テラスに面していて都会的な雰囲気。

ディーン&デルーカ カフェ DEAN & DELUCA CAFE
http://www.tokyo-midtown.com/jp/shop-restaurants/food-cafe/SOP0000038/index.html
お水のみ放題なので、キッシュやマフィン、トマトフォッカ、キャロットケーキ,etc.から2品くらい選んでささっと。BGMはマリア・カラスのことも。

ディーン&デルーカ DEAN & DELUCA
http://www.tokyo-midtown.com/jp/shop-restaurants/food-cafe/SOP0000037/index.html
こちらの方がメニューが充実。混んでいることも。

チャウダーズ セレクト スープ! Chowder's Select Soup!
http://www.tokyo-midtown.com/jp/shop-restaurants/food-cafe/SOP0000036/
トマトライス&スープ、またはスープにライスを入れてもらうといい。カウンター席のみ。

妻家房 サイカボウ
http://www.tokyo-midtown.com/jp/shop-restaurants/food-cafe/SOP0000029/index.html
夏場に短時間で美味しく食べるには冷麺が一番! 回転が早いので満席でも少し待てば入れる。カウンター席のみ。お客はほぼ全員おひとりさま女子。ただし、ビビンバ冷麺は強烈なので食後に歯磨きが必要。

 どのお店も、同じようなおひとりさま女子がたくさん来ているのが特徴。皆さんそれぞれ、かっこいい! 美しい! お若くはないけど輝いている。自分の仕事とスタイルを確立した大人の女達の充実「おひとりさま」タイム。味のあるお姉さま方をさりげなく眺めているのも美味しいけど、お食事はささっと済ませて、サントリー美術館へ!

 何しろミッドタウン通いを始めてからまだ1ヶ月半しか経ってないので、他にもいいお店があるかも。ご存知の方は教えてください。

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2010.06.26

怒涛の青山一丁目

黄色い線の内側までお下がりください
Bottun
 それが駅ホームでのルールだと思っていた。

 なので、東京メトロ半蔵門線青山一丁目駅でもそうしていたら、突出している非常用停止用ボタンに側頭部が激突! たんこぶができてしまった。

 怒ろうと思ったら青山一丁目駅のアナウンスが言った。

白線の内側をお歩き下さい

 この場合は、怒れないのだろうか? 
 私が悪いのだろうか?

 どうも納得がいかない。

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2010.06.23

ウェルテルの殺害と葬送について

Window_5さあれ、友よ、
私はこれによって滅ぶ。
私はこの壮麗な現象の力に
圧倒されてくずおれる。

『若きウェルテルの悩み』 
ゲーテ著 竹山道雄訳 
岩波文庫

 東急田園都市線が二子玉川で地下に潜ると、ケイタイは「圏外」となる。そこからは読書の時間。ケイタイをいじるのではなく紙の本を出してひたすら読む。二子玉川から青山一丁目までの読書タイム。なかなか有意義なひとときだ。

 昨日読破したのは『若きウェルテルの悩み』。今さらながらという感じだが、なかなか新鮮だった。素直に感動できる自分が嬉しかった。

 親友の妻ロッテに恋したウェルテルの苦悩。あまりにも純粋で繊細な感性の持ち主であるウェルテルは、知性と才能に恵まれながらもうまく世渡りすることができない。妥協して適応する道を選ぶこともしない。結局、彼が選んだ自身の結末は自殺。

 ウェルテルが一人称で語る心情にはどっぷり共感できるし、自然描写の美しさは感動的だ。しかし、彼が死に至る理由も理解できてしまう。彼のように無垢で繊敏な人は所詮この世では生きていけない。

 ウェルテルの死。それが必然である社会を憎む。しかし、誰もが自己の内なるウェルテルを殺して――それも最も残酷な方法で――現世に適応し生き存えていくのだろう。ある意味、私も貴方もウェルテル殺しの共犯者である。

 自己の内なるウェルテルの殺害。人はそれを成長と呼ぶ。しかし反面、堕落でもある。キリスト教の教義では自殺は罪だから、一人の僧侶の参列もなく葬られたウェルテル。せめて私の内なるウェルテルは厳かに葬ってやりたい。

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2010.06.04

痛いの恐いの飛んでゆけ 〔歯科治療録1997-2010〕 3

第3章 日帰り全身麻酔

Cakes  虫歯治療の痛いの、コワイのが嫌なら、虫歯をつくらなければいい。甘いものを食べなければいい。今後一切、スウィーツを断てばいい。とはわかっているものの、食べちゃうんですよねー。
 さて、話せば長ーくなる「歯」のお話の続きです。
※これまでのお話 
第1章 静脈内鎮静法    
第2章 障害者歯科


 私が通った高校は「知・徳・体」が理念だった。 「病める者は医者に行け」という標語?が正面玄関の目立つところに貼られていた。

 あらゆる手段を使って苦痛と恐怖を回避せよ。医学的に可能であれば。病めるときは医者に行け。 何度もしつこく言うが、これだけは妥協することができない。

 しかし、技術的には可能な手段が、医療制度の事情で利用できない場合もあるし、有効なはずな療法が自分のカラダの事情で効かない場合もある。 長期にわたって歯科治療を受けながら色々なことを体験するうちに、世の中、思い通りにならないこともあるのよー!ということがわかってきた。

 例えば、ADHDの症状改善にはリタリンが有効なのに、おかしな使い方をした人がいたせいで、清く正しく使っていた人まで処方禁止になってしまった。

 変形性股関節症を改善するには、自骨手術が有効な場合も多いが、私の場合は大腿骨骨頭に穴が開いているため、これで改善する確率は50%くらいらしい。

 そして、苦痛と恐怖を軽減して歯科治療を受けるには静脈内沈静法が有効だが、医療制度が変わったため、麻酔医のいる病院でしか受けられなくなってしまった。

 自分の努力や能力ではどうにも対処できない局面に至ってしまったら、「我慢しなさい」とか「妥協しなさい」とか自分に言い聞かせるしかなののだろうか? しかし、歯の治療に関しては妥協できない。だって、痛いの&恐いの、絶対にい・や!だから。

Odakyu それからしばらく、ドクター・ショッピングをすることになった。3mix-mp法なる痛くない?治療法があることを知り、適用できないものかと、小田急線や相鉄線に乗って近くの歯科でこの治療法が可能なところに行って相談してみた。ところが、これが可能な歯科には笑気麻酔の設備を備えてないところが多く、また私の虫歯は進みすぎていて難しいということがわかった。
 Y先生にも相談してみたが、この治療法はお勧めではないとのことなので、3mix-mp法は断念。振り出しに戻った。

 結局、横須賀の大学病院に何度も通って静脈内沈静法で治療を受け、しかし(本人に自覚はないが)暴れるため、いつも治療は中断。その都度、
「ぜひ全身麻酔を検討してください。1泊しなければなりませんが、まとめて何本も治療することができるので、時間的にも金銭的にもその方がいいですよ。こうしている間にどんどん虫歯は進行していきますし」
と言われ続ける羽目になった。
 私は家族の理解が得られないため、泊り込みの治療は無理と言わざるを得ない。

 そして、とうとう、病院の方が妥協してくれた。
「特別に、日帰り全身麻酔で治療してあげます」
 担当医から自宅に電話がかかり、告げられた言葉に私は狂喜した。
 当日の前に2回ほど検査に通わなければならないこと、付き添いが必要なこと、費用はトータルで5万円近くかかること等が告げられたが、即答で「Go!」。

 全身麻酔がハイリスクなことは理論的にわかっていた。しかし、
 あらゆる手段を使って苦痛と恐怖を回避せよ。医学的に可能であれば。 それは常に最優先事項である。

 付き添いのために母が鳥取から上京してくれることになり、兄(人間性において私を超えたので弟から昇格)が横浜の大学の講義の帰りに寄ってくれることいなった。
 入院道具一式を前日から大リュックに詰めておいた。ところがその一式を相鉄線内に置き忘れてしまった。ということを京急線の横須賀中央駅に到着してから気がついた。仕方なく、ほとんど手ぶらで入院。
 病院で、久々の家族の再会。
 手術台に寝かされて沢山の担当スタッフに囲まれて、全身麻酔による歯科治療が始まった。痛くない、恐くない。眠っている間に全ては終わる。鼻から喉へ管を通すらしいが、痛いこと、恐いことは全て麻酔が効いているうちに、という約束だ。笑気を併用する静脈内鎮静法とちがって麻酔そのものの快感(そういう考え方が間違ってるって?)はないが、安堵のうちに私の意識はふっと消え、そして全てが完了した。

 麻酔の後、2~3時間は眠るのだと思ったが、私は手術室で意識を取り戻した。病室に運ばれても眠れなかったが、家族3人でゆっくりと時間が過ぎていく幸福感を堪能することができた。点滴を刺したままなので、眠れなくてもぼーっと寝ているしかない。
 やがて、担当医が抜いた奥歯をガラスケースに入れて持ってきてくれた。美人担当医は日帰りにするため、全ての虫歯を治療することはできなかったが、静脈内鎮静法のときと比べて格段に効率的に治療を進めることができたと満足そうに語った。
「綺麗。ルビーみたい」
 鮮血に染まった虫歯を陽にかざして眺めながらそんなことを言うアホ娘、アホ患者に皆が呆れたが、私はなかなかいい気分だった。

 しかし、私はこの先も、虫歯の度にこうやって全身麻酔治療を受けるのだろうか? 何か間違っていないだろうか? そもそも私は本当にフォビア(恐怖症)なのだろうか?

 疑問を感じつつも、何事もなかったように帰宅し、体調も悪くなかった。
 ところが、その夜、恐怖が襲ってきたのだった。
 私は悪夢は何度も見たことがあるが、幻覚を見たことはない。
 天井にぼんやり、そしてやがてはっきりと、頭骸骨の幻影を見たのはそれが初めてだった。踊っているようにも笑っているようにも見え、目を閉じれば消えるが、目を開ければ、ある。ダンス・マカーブル・バイ・スカルズ? ひええぇ。
 麻酔の影響の幻覚? ゴスロリ趣味の私なので、今思えばなかなかキュートな幻覚だったが、初めてのことに戦慄し金縛りに会い、恐怖の一夜を過ごすこととなった。  (つづく)

第1章 静脈内鎮静法
第2章 障害者歯科

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2010.05.31

ハッピー・バースデー・トゥ・ミー!

お誕生日プレゼントに、もう物質はいらないので、愛か股関節骨棘をください。

それが無理なら、コンサートにいらしてください。

聴きに来て、なんてとても言えません。
歌、励みば励むほど耳も肥えてきて、自分の拙い歌に満足できない。
聴きに来て、なんて滅相もない!!

コスプレするので見に来てください。
まだまだ舞台で歩ける、立てる、私を見ておいてください。

ノルマ、スザンナ、夜の女王、カルメンに変化します。

お誕生日プレゼントに、ぜひコンサートにいらして下さい!


藤花会コンサート

2010 年6 月12 日( 土) 14:15 開演 14:00 開場 
サンハート音楽ホール
相鉄線「二俣川」駅 徒歩2 分 
二俣川ライフ5F TEL.045-364-3810
入場:無料

◆ 出 演
野崎 かおり ソプラノ
遠野 阿璃子 ソプラノ
井手籠 栄理子  ソプラノ
相原 聰 バリトン
比嘉 粛人 フルート
野崎 みちる ピアノ
野口 朝子 ピアノ伴奏

◆ 曲 目
♪ヴェルディ:オペラ『ファルスタッフ』より
 「夏のそよ風にのって」
♪プッチーニ :オペラ『ジャンニ・スキッキ』より
 「私のお父さん」 
♪モーツァルト:オペラ『フィガロの結婚』より
 「手紙の二重唱」
♪モーツァルト:オペラ『魔笛』より 「 夜の女王のアリア」
♪ビゼー: オペラ『カルメン』より 「闘牛士の歌」
♪ベートーベン:ピアノソナタ Op.31-2 
 第1楽章「テンペスト」
♪ J.S. バッハ: 無伴奏フルートソナタ イ短調BWV1013
 第3楽章「サラバンド」     他

主催:藤花会
協力:㈲相原聰建築設計事務所

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2010.05.11

Twitter始めました。

 「ツイッター」じゃないでしょ? 「トゥウィッター」でしょ?

 motivationを「モチベーション」って言うのも許せない。
「モティヴェイション」でしょ?
なんてウルサイことを言っていたらトモダチができない?

 てなわけで(?)、Twitter始めました。

 とりあえずのお楽しみは、@JohnnyGWeirさんの生の声をリアルタイムで聞けること。

 もう一つ、@akihiromiwaさんの「今日の名言」?を聞けること。素敵なメッセージに毎日感動!
例えば、こんなの:

 「女優は様々な役を演じ、完成された女に近づく。美しい言葉遣い、立居振舞、教養、美意識。それが美しい女を作る。美しい女は、オペラと同じ総合芸術。 12:32 AM May 7th 」

 @akihiromiwaさんだからすごい説得力。


 まだまだ初心者なので、発信するより、受信することを楽しんでいます。


 フォローしてね。
 Autisian です。

   

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2010.04.27

コンサートのお誘い

11

藤花会コンサート

2010 年6 月12 日( 土) 14:15 開演 14:00 開場 
サンハート音楽ホール
相鉄線「二俣川」駅 徒歩2 分 
二俣川ライフ5F TEL.045-364-3810
入場:無料

◆ 出 演
野崎 かおり ソプラノ
遠野 阿璃子 ソプラノ
井手籠 栄理子  ソプラノ
相原 聰 バリトン
比嘉 粛人 フルート
野崎 みちる ピアノ
野口 朝子 ピアノ伴奏

◆ 曲 目
♪ヴェルディ:オペラ『ファルスタッフ』より
 「夏のそよ風にのって」
♪プッチーニ :オペラ『ジャンニ・スキッキ』より
 「私のお父さん」 
♪モーツァルト:オペラ『フィガロの結婚』より
 「手紙の二重唱」
♪モーツァルト:オペラ『魔笛』より 「 夜の女王のアリア」
♪ビゼー: オペラ『カルメン』より 「闘牛士の歌」
♪ベートーベン:ピアノソナタ Op.31-2 
 第1楽章「テンペスト」
♪ J.S. バッハ: 無伴奏フルートソナタ イ短調BWV1013
 第3楽章「サラバンド」     他

主催:藤花会(主宰:野崎かおり)
協力:㈲相原聰建築設計事務所


ぜひいらしてくださいませ♪
私は、ノルマ、スザンナ、夜の女王、カルメンと
七変化します。
スーブレット、やらない主義ですが、『フィガロ~』の「手紙の二重唱」のスザンナ役だけはやります。

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2010.04.02

彼女の手で癒される私の下半身

1001368000030r エログロ・ヌード画像です。

 グロいだけですよね? 失礼いたしました。

 これが私の右股関節の X-RAY 画像。
 正常な人のは股関節(骨盤の窪み&大腿骨骨頭)がもっとがっしり噛み合っているらしいのです。

 生まれつき臼蓋形成不全で噛み合わせが悪かったけど、知らなかったのでフツーにしていたら、悪化して変形性股関節症になり、余計に磨り減ってきてガタガタに崩壊中。大腿骨骨頭に穴が開いているので自骨手術しても改善する可能性が高くないとのこと。

 崩壊を遅らせるために、あまり磨り減らないように外出を控えたほうがいいのかも知れませんが、何しろ判明したのが最近なので、まだカラダに性格が適応していないのが現状。
 
 ええ、何処にでも行きますよ。タクシーを多用しますが。おデートはもちろん、旅行にも行きます。海外旅行にだって。舞台にも立ちます。オペラにも出演しますよ。スーブレット(女中役)は致しませんが。バレエの舞台にも立ちます、いえ、座ります。王妃役限定ですが。だから、ご遠慮なく、お誘いくださいませ。

 まだまだ大丈夫! 

 しかし、進行性なので、いずれは崩壊する運命。鎮痛剤も効かないほど痛くなって、歩行不能になり、足の爪も切れなくなり、靴下も自力でははけなくなるそうです。そうなったら人工股関節に換えて人体改造です。手術入院中、術後、不自由な期間ができますが、それまでは多動モードのままでいきたいと思います。その後、どうなるか、何年持ちこたえるかは運命次第。

 日々、股関節崩壊中なので脚筋を酷使することになり、油断すると脚筋ガチガチになります。

 それを防ぐために、日頃から脚筋を鍛える自主トレに励み、週1で整形外科のリハビリに通っています。理学療法士さんにマッサージと筋トレ指導を受けるのですが、上手な方にやっていただくと、これがもう気持ちいい! 担当の美人理学療法士さんのおかげで、週1で至福の時を味わえるようになりました。

 機能回復のための理学療法なので、気持ちよくなる必要はないのですが、これがもうたまらないの!! 彼女に下半身を触れられるだけで至福の快感! 
 痛くなってからいった方が至福度が高くなるのでわざと頻度を減らしたりしていたら、ちょっと悪化したような感覚が。やっぱり、真面目に週1で行くようにしなければ。

 身体障害ゆえの愉しみもあるのねと実感。
 私ってやっぱりヘンタイだわ・・・…

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2010.03.09

痛いの恐いの飛んでゆけ 〔歯科治療録1997-2010〕 2

2.障害者歯科

Huukei 想像力が豊かなことは長所だといわれるが、歯科治療中にはあまり想像力をはたらかせないほうがいい。もし、歯医者さんの手元が狂って電動削り棒が頬を貫通したらどうしよう?とか、顎を粉砕したら?とか、唇炸裂するかも…、脳を掘削するかも…等など、想像力が豊かな人はスプラッタな被害妄想を際限なく繰り広げてしまう。
 こんな人には静脈内鎮静法がいい。全く意識のない状態にはならないらしいが、本人には記憶が残らない状態で治療を受けることができる。

 ここで、あらためて静脈内鎮静法について略説。
静脈内鎮静法:催眠鎮静導入剤を血圧や呼吸を監視しながら、点滴から少しずつ投与する歯科麻酔法。緊張感や不安感・恐怖感が薄れ、ストレスの無い快適な状態で歯科治療を受けることが可能となる。全身麻酔と異なり完全に意識は消失せず、また全身麻酔よりも回復が早いのが特徴。
〔参考:From NAGASAKI 歯科用語集

 私は想像力が豊かな人なので、自分にあった治療法を続けていたのだが、ある日突然、薬事法?が変わったため、この夢のような麻酔法、静脈内鎮静法を一般の歯科で受けることはできなくなったと宣言された。
「ええええ~~~?!」
 派手なリアクションで落ち込む私に、Y先生は言った。
「麻酔医のいる病院でならできますが、紹介状を書きましょうか?」
「ハイ、お願いします」
即答。
「放っておくと激痛が来るので、早く行った方がいいですよ。1~2週間後で都合のいい日を3日ほど教えてください。その中で予約を入れておきます。そこに1度行けば、後はうちでやれますから。場所はヨコスカなのでちょっと遠いですけど、いいですか?」
 痛いの恐いのを避けるためなら、ちょっと遠いくらいなら何でもない。あらゆる手段を使って苦痛と恐怖を回避せよ。医学的に可能であれば。それが私の信念なのだから。いや、アスペルガー的こだわりか?  兎も角、私は自宅から約2時間かけてヨコスカの大学病院に出向き、静脈内鎮静法を受けることを決意した。

Kekyuu その後、大学病院の担当医から電話が来て、通院日が伝えられた。よく聞いてみれば、初診時はカウンセリングのみとのこと。最低2度は通う必要があるらしい。
 相鉄線と京浜急行線に乗ってヨコスカの大学病院へ。「成人歯科」でY先生ご紹介の歯医者さんの質問に答えていった。それなりの必然性がなければこの病院で静脈内鎮静法を受けることはできないらしい。
「暴れちゃうんです」
「音を聞くだけでもう、死にそうなんです」
 そのうち、自分の回答が真意なのか演技なのかわからなくなってしまった。Y先生に出会う前は、何とかと表面麻酔と笑気で治療を受けることが可能だったので。結局、どうにか「歯科恐怖症」と診断され、静脈内鎮静法を受ける資格を取得した。
 こうして、神経のある歯を削る必要があるときには、片道約2時間をかけてヨコスカの大学病院に行き、静脈内鎮静法で処置してもらうという治療法を続けることになった。

Tenteki 途中、Y先生の判断で「成人歯科」から「障害者歯科」の女医さんに担当医が変わった。こちらでは、見たところ子供の患者さんが多いようだ。
 点滴で入眠?状態。気がついたら病室のベッド。 2時間くらい、休養。腕には麻酔剤ではない点滴。ええ、何も覚えていません。気がついたら痛いの&恐いのを伴う治療が完了・・・自分はただベッドに横になっていただけとはいえ、何という充実感! この充実感が得られるのなら、2時間かけてヨコスカに通うくらい何でもない。

 ところが、ある日、治療を終えた後、別室に通されて怖ろしいことを言われてしまった。
「あのー、覚えていらっしゃらないとは思いますが、すごく痛そうにしていていらっしゃってかなりお動きになられまして、20分くらいで中断することになりまして、1本の治療も完了してないのです」
 時間的に大変なこともあり、また予約待ち期間に進行して要治療歯が増えてしまうので、いつも何本かまとめて処置しもらっていたが、1本の治療もできなかったなんて。
「クスリも全身麻酔と同じくらいの強さにしたのですが、やっぱりお動きになって……このままでは危険ですし、次回予約を入れるとしても2ヶ月後になり、その間にまた進行して虫歯も増えますし、このままでは治療にすごく時間がかかってしまいます。全身麻酔で集中して治療するのをお奨めすします」
 お動きになって? つまり暴れたということ? いい大人が病院で暴れるなんて……。しかし、記憶にないので特に恥ずかしさは感じない。もしかしたら私は歯科恐怖症を装うあまり、麻酔下でも演技をしているのだろうか?
 全身麻酔の場合、1泊の入院が必要なこと、近親者の付き添いが必要なこと、費用が数万円かかること等を聞き、愕然とした。静脈内鎮静法をやってもらえないなんて!

(つづく)

Sotetsu1.静脈内鎮静法

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2010.03.06

浅田真央 バンクーバー2010 「鐘」の悪夢

 バンクーバー・オリンピックのフィギュアスケートをエキシビションまで一通り鑑賞して、2番絵目に印象に残ったのは浅田真央の「鐘」(1番はもちろん、私を悶絶萌死状態にしたジョニー・ウィア姫の「ドクトル・ジバコ」よ!)。

 キム・ヨナVS浅田真央の熾烈な闘いに全世界のファンの注目が集まる中、ジョニ姫萌えが冷めやらず、すっかり非国民になってしまった私。ジョニ姫を見てしまった後では、女子シングルの皆さんが実際よりもおブスに見えてしまい、技術は素晴らしくても華に欠けるように思えてしまい、本当に申し訳ない。あまりに申し訳ないので、女子シングルのFSはランチタイムのカフェでTV前席を確保してリアルタイムで応援することに(男子シングルFSをリアルタイムで見られなかったのが残念!)。

 結果は、金メダル=キム・ヨナ、銀メダル=浅田真央。実力を出しきれなかった、悔しい!と涙する真央ちゃん。今回のオリンピックでジャッジの採点基準については色々疑問の声が上がっているし、私もジョニ姫の6位には納得がいかないのだが、ヨナVS真央対決では、やはりヨナの方が出来映えは上? それは真央本人も潔く認めている。

 しかし、私的に心に残ったのは(何度も再放送されているせいもあるが)、完璧なキム・ヨナのガーシュインではなく、浅田真央のラフマニノフの方だった。
 ラフマニノフの前奏曲「鐘」は、華やかなガーシュイン「ヘ調の協奏曲」とは正反対の悪夢のように重く暗く激しい曲。この曲で滑るのは難しいのでは? はっきり言ってまだまだ可憐な19歳の美少女には似合わない。せめて、次のオリンピックで23歳の真央「さん」に滑って欲しかったとも思う。

 自分に合った曲を選ぶのも実力のうち。背伸びしすぎるのも未熟さのあらわれ? などと辛口の批評をしてしまいたくもなるが、オリンピックの大舞台で敢えてこの曲を選んだ浅田真央に拍手を贈りたい。彼女は普段からクラシックの曲を色々聴いていて、音楽の趣味はとても高尚なのかもしれない。

 彼女自身が築いてきた可憐なイメージを払拭するかのようなダイナミックな曲想。曲のもつ緊張感、悪夢のようなムードと闘い打ち勝ちながら滑らなければならないという状況に自らを追い込んでの演技。アスリート精神というか、ほとんどマゾ? しかし、その中でもトリプルアクセルを2回も成功させた浅田選手。後半にミスがあったが、全体として実に魅力的なプログラムに仕上がっていた。ミスさえも、「鐘」の悪夢をリアルに体現する要素のように思えてしまうのは私だけだろうが。

 メダルの色が銀だったからこそ、浅田真央の挑戦はこれからも激しさを増していくだろう。キム・ヨナの最高得点を超える! 4回転ジャンプを成功させる! 自ら宣言をして、熾烈な勝負の世界に身を投じる真央。故障しない程度にがんばって欲しい。


 

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2010.03.04

バンクーバー・オリンピック 独断&偏見な感想

 バンクーバー・オリンピック終了。閉会式を見逃してしまったので、オリンピックのない日常にいきなり戻るのに違和感。そのうち慣れるのだろうが。
 2月は在宅時間が長い状況にあったので(深いことは聞かないで!)、大好きなフィギュアスケートの半分くらいをリアルタイムで見ることができた。見終わっての感想は、 楽しかった!の一言。

 今回のオリンピックで自分に起きた大事件は、ジョニー・ウィアー姫の萌えファンになったこと。そのことはこれからもじっくり書いていく予定だが、ペア、男子シングル、アイスダンス、女子シングルの4種目を一通り見たので、勝手な総括を繰り広げてみることにする。全員の演技を見たわけではないし、採点基準や技の名称など、専門的なことを理解しているわけでもないので、「評」ではなく独断と偏見だけのツブヤキ。

 まず、感じたのは、選手の一人一人がアスリートとして芸術家としてアグレッシブともストイックともいえる果敢な精神をもっているということ。メディアの評価なんか気にしないで、しっかりとした方向性をもって自分の道を突き進んでいるということ。
 あとは、どうでもいいことだが、フィギュアスケートといえば華奢な金髪美少女!というイメージはもう古いということ。メダリストにオリエンタル率が高いことからも一目瞭然。
 ついでにもう一ついえば、リアルタイムで見ておかなければ、テレビのニュースや特集番組では日本人選手の演技しか見せてくれないということ。高橋君や真央ちゃんのメダルに沸く中、非国民的に「ジョニーを見せて~!」と叫んでも無理。録画しておけばよかったと激しく後悔。
 では、種目別に独断と偏見。

[フィギュアペア]
 うっかりしていてリアルタイム演技は見逃してしまった。本来、ペアは最もアクロバティックで華麗な種目だったはずなのに、日本ではシングルばかりが注目されていたので、存在さえ忘れかけていた(私だけ?)。中国が強くなっているとは知らなかった。
 日本人選手は出場できなかったが、ロシア国籍を取得してロシア代表で出場した川口悠子の組が4位入賞。メダルは逃したけど、ミスはあったけど、可憐な笑顔と確かな技術で観客を魅了。単身ロシアに渡り国籍まで変えてがんばってきた甲斐があったというもの。これからもがんばってほしい。日本に彼女と組める技量の男子がいないのが残念。

[男子シングル]
 SPはリアルタイムでしっかり見ることができて満足。実はこのときは、ジョニー・ウィアーに惹かれながらも、ランビエールの方が色っぽくてステキ。なんて思っていた。ところがところが、再放送で見たFSでジョニーに激萌え。今まで彼の存在に気づきもしなかった自分の鈍さに呆れるばかり。詳しいことは前にも書いたけど、またあらためて書く予定。でも、一言だけ。採点結果には私も「Boo!」。
 プルシェンコのいかにも「俺様は王者」な態度が鼻についたが、半月板の除去手術を受けたという膝で4回転ジャンプを成功させたのは凄い。
 日本人選手の活躍にも拍手。銅メダルの高橋大輔の4回転ジャンプ失敗にもめげずに滑りきったことで彼が演じたかった道化がリアルに伝わってきたような気がするし、織田信成君の演技も靴紐切れ中断でチャップリンのペーソスが深まったような気もする。減点対象だけど、贔屓目で見るとミスも魅力の一つに。小塚崇彦君もちょっと地味な雰囲気が好き、高速スピンがステキ。これからも頑張って欲しい。

[アイスダンス]
 金髪の長身美女の魅力にどっぷり浸ってしまった。特に、アメリカのベルビン嬢とロシアのドムニナ嬢。女性が大きいほどダイナミックでスリリング。ローテーショナルリフトってエロくて素敵なんて感じてしまうのは私だけ? 
 SPでアボリジニのダンスを披露して顰蹙?を買ったロシアのシャバリン&ドムニナ組。前の大会でも同じ反応だったとのこと。何か言われることはわかっていてもオリンピックでも敢えてこのプログラムで挑む勇気に拍手。個人的には彼らの美貌に似合うオーソドックスな演技の方が好みですが。ドムニナ嬢に一つだけ言いたいこと。エキシビションではサングラスなんかかけないで、美しいお顔を見せて欲しかった!
 
 ジョニー・ウィアー姫が美人すぎたので、誠に申し訳ないのだが、女子シングルの皆さんが全員おブスに見えてしまった。技術的にはシャープで素晴らしい選手も多いのだが、優美さにおいてはジョニ姫にかなう女子はいないのでは? 
 キム・ヨナVS浅田真央の対決には私も注目。キム・ヨナの作戦勝ちのようにも思えるが、技術的安定性、完成度では現時点ではキム・ヨナの方が上なのかも知れない。しかし、心に残ったのは(何度も再放送されているせいもあるが)、浅田真央のFSの演技。これについてはあらためて詳述の予定。
 安藤美姫も健闘。メダルを狙うなら、SPとFSを入れ替えたほうがよかったのかも知れない。奇をてらったキャラクターものはSPで派手に見せて印象づけて、FSではもっと普遍的なテーマでじっくり見せた方が実力をアピールするのには効果的だったのでは? 「レクイエム」はFSでじっくり取り組むのにぴったりな曲だと思うが。

 以上、自分が偶然見たシーンだけが対象の独断偏見感想。
 これを機会に、ただでさえ広げすぎて収拾がつかない趣味の間口をさらに広げて、フィギュアスケートのレビューにも積極的に取り組んでいく予定。

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2010.02.22

ディーヴァ=ジョニー・ウィアーに萌え~

 ちょっと今、イエデ中なので、突発的に書く時間が降って沸いたところ。この先どうするのか? とか、残してきた人々はどうなるのか? とか、色々と考えるべきことはあるのですが、こんなシチュエーションでも、不思議と悲壮感なくシアワセ・モード。何故かといえば、ジョニー・ウィアー君がオリンピックで見せてくれた演技の感動がまだ生々しく残っているから。

Weir_2008sa_gala_by_carmichael 私は面倒なことが苦手で、事務的なことやお片づけの優先順位がいつも最下位になってしまってなかなかやらない人なのですが、ジョニー萌え~の衝動性で、フリーの演技を見た翌日に、エアメイルでラブレターとプレゼントを発送してしまいました。発送なんて事務的な作業をこんなに迅速にやり遂げられるなんて、私ってスゴイ! プレゼントの中身は、本です。著書です。こんなときのために英文もつけてあります。ジョニー、読んでくれるかしら? とりあえず、とにかく贈りたい!の一心で何も考えずに送ってしまいました。閉幕までに届かなかったら悲しいので、オリンピック選手村ではなくてニューヨークの事務所へ。

 今、イエデ中という最悪シチュエーションなのですが、ネットカフェでジョニーの画像を見ながら、我ながら呆れるほど幸せ。
 氷上を、ジョニーが舞う、ジョニーが跳ぶ、ジョニーが回る……。ジョニーが滑ると、氷そのものも美しく変貌。今回のオリンピックのフリープログラムの演技で初めて虜になったという、遅れ馳せすぎのファンだけど、私の憧れる美の世界をこんなにも理想的に体現してくれるスケーターはジョニーだけ。あの少年っぽい美しさがたまらないのよ~! 言葉でどんなにほめても陳腐な感じになってしまうけど、純粋で、しなやかで、それでいて色っぽい動きの一つ一つにクラクラ。

 「princess」、「diva」と呼ばれるのを好んでいるという彼(1)。彼のことをもっと色々調べたら、もっと深いことがわかるのかも知れませんが、彼が自認している自分の魅力、そして目指している美の世界がますます私好みだとわかり、恐れ多くも共感!

 オリンピックのあの評点を見るかぎり、その路線はタブーなのかも知れません。だって、6位って何? 完璧だったのに! でも、本人は自分で満足のいく演技ができたからと、幸せそう。キスアンドクライでの、あの笑顔! 薔薇冠の似合うこと。メダル獲得のための傾向と対策…とかあるのでしょうが。最後まで自分のスタイルを貫く通したジョニーに拍手!

 ちょっと検索してみたら、ウルサイことを言う方が多いらしく、今回のオリンピックのSPで選んだあの素敵なブラック&ピンクレースのコスチュームも非難の対象になっていたようです(2)。それをわかっていながらあれを着てオリンピックで堂々と演技する彼。かわいいお顔と愛くるしい笑顔の奥底に秘められたアグレッシヴな芸術家の魂。ますます惚れてしまうのでした。

「ギャラとかじゃなくて、自分で満足のいく演奏ができたかどうかってことなんですよね~」
 ヴァイオリニストの友人がこんなふうに言っていたけど、それが芸術家の目指すところなのね。
 おこがましくも自分の話をしてしまいますが、思えば、私の本も、テキスト、デザイン、イラスト、装丁、全て自分の納得いくものをつくることができたから、何の躊躇もなく衝動的にジョニーに贈ることができたのかも。と、自己満足。そういえば、このデザイン、何となくジョニーが演じた「Fallen Angel」の世界に似てるでしょ? と、ますますハイテンションに幸せ気分のまま、イエデの夜は更けてゆくのでした。

Johnny Weir Online
http://www.figureskatersonline.com/johnnyweir/
(1)http://www.the700level.com/2006/02/johnny_weir_vai.html
(2) http://articles.latimes.com/2010/jan/17/sports/la-sp-figure-skating-weir17-2010jan17

※画像は2008年スケートアメリカのエキシビション。撮影:David W. Carmichael 『Wikipedia』より


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2010.02.15

痛いの恐いの飛んでゆけ 〔歯科治療録1997-2010〕 1

1.静脈内鎮静法

Tulips 精神的にも肉体的にも回避可能な苦痛や恐怖は、医療技術で回避するべきである。というのが私の主義。絶対に譲ることはできない。

 だって、苦しいの嫌! 痛いの嫌! 恐いの嫌! でしょ?
 医学の力で避けられるのなら、避ければいい。逃れる方法があるのに敢えて利用しないで我慢するなんて、現代科学に対する冒涜だ。というか、そんなマゾっ気は私にはない。
 詳述しないが、医学では避けられない苦痛というものがたくさんあるし、十分に経験してきた。これからも色々あるだろう。医学的に避けられる苦痛は積極的に避ければいい。

 歯科治療も然り。私は人一倍、痛みや恐怖を感じやすい方で、神経のある歯を削るときは麻酔&笑気で処置してもらったが、それでも、いつも不十分だと感じていた。あの音がイヤ! あのダメージ感は強烈。もっと完全に、苦痛と恐怖を回避する方法はないのだろうか? 全身麻酔ほど大げさでなくて、誰でも受けられる治療法がないのだろうか? いつもそう考えていた。

 もうかれこれ10年以上も前のことになるが、右下の奥歯を激痛が襲った。何年か前に治療済みで被せてあるのに、その下で痛みが爆発。我慢しない主義なので近所の歯科に飛び込むと、痛みを麻痺させましょう~とローラーのような器具でマッサージされた。しかし、痛みはおさまらず。

 土曜日なので、夕方になると開いている歯科もなく、激痛に泣き叫ぶしかなかった。
 そのうち出血してきたので、
「ゴホッゴホッ、うっ、血、血が~~!!」
 と、椿姫ごっこを始めてしまった。「ゴホッゴホッ」は不要だが、口から血があふれてくるほどになり、鏡を見ると悲壮感たっぷりなので、どっぷり19世紀の薄幸の結核美女の気分になってしまった。

 そんなAHOな演技を続ける私に呆れたらしく、建築家の相原聰さんが同級生の歯科医さんに電話をかけてくれた。診察時間は終了しているが、すぐに診てくれるとのこと。車に乗せてもらい駆けつけると、Y先生がすぐに応急処置をして下さったので、とりあえず痛みはおさまった。
「これは痛いですね。明日、治しましょう」
「明日は日曜日ですけど……」
「これはとても我慢できないと思うから、明日、やってあげますよ」
 確かに、被せてあるものを外してから、さらに削って根っこの治療をするなんて、私に耐えられるはずがない。
 休業日に治療して下さるとは! Y先生が神様に見えた。しかし、私は畏れ多くも言ってしまったのだ。
「あのー、私、医学的に避けられる痛みは避けるべきだという主義なんですねー」
 こんなことを言ったらお説教が返ってくることもあるのだが、Y先生は穏やかに言った。
「僕もそういう主義です。静脈内鎮静法でやりましょう。点滴しながらやる方法ですが、痛みを感じずに治療を受けることができます。終わったら元に戻す薬を飲むので、その日のうちに帰れますよ」
「マイナートランキライザーを点滴……ですか?」
「そう、マイナートランキライザー」
「明日は朝食抜きで来て下さい。治療中に戻したら危険なので」

「笑気もお願いします」
 実は笑気のあの香りとふわーっとした感覚が好きなので併用してもらうことにした。静脈に点滴の針を刺すのは、笑気が効いてきてから。兎も角、あらゆる手段を使って痛みを回避せよ、医学的に可能であれば。Y先生は私が「主義」を貫き通すのに協力して下さった。
「では、ちょっとチクッとしますよ」
 その声を最後に、私の意識は消えた。どのくらい時間がたったのかわからないが、
「……飲んでください」
 と言われてある薬を飲んだら、意識が戻った。そして、治療は終わっていた。何の苦痛も恐怖も感じることなく。

Sotetsu 静脈内鎮静法の治療中は、意識がない…ような状態になるが、完全に意識喪失しているわけではないので、「口を開けて」とか「この薬を飲んでください」といった指示には従うらしい。脳が前頭葉ロボトミー状態になるのかも知れないし、何をされているのかわからないのだが、痛くなければ何でもいい。ロボトミーでもアナトミーでもゾンビーでも。

 もう歯医者さんなんて恐くない! 痛みを感じたらすぐに相鉄線に乗ってY歯科クリニックへ。深い治療が必要なときは、全て静脈内鎮静法(&笑気)で。これを知ってしまったら、もう他のに戻ることはできない。
 静脈内鎮静法のおかげで、歯関連の痛いの、恐いのは永遠に吹っ飛んだかのように思われた。

 ところがついに、その日が来てしまった。
「じゃ、静脈内鎮静法で」
 と、当然のように言う私に、Y先生は宣告した。
「薬の規制が厳しくなって、鎮静法は麻酔医さんがいる病院でしか受けられなくなりました。もうこのクリニックではできません」

(つづく)

Kekyuu2.障害者歯科

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2010.02.11

死に至るナルシズム (とプリクラ)

 ふと手にとって読んだ萩原朔太郎の本にこんなことが書いてあった。

 故芥川龍之介の自殺については、色々な動機が憶測されているけれども、或る確かな一節によれば、あの美的観念の極度に強い小説家は、常に自分の容貌のことばかり気にして、老醜を曝すのを厭がっていたということであるから、あるいはおそらくそうしたことが、有力な動機となっていたかも知れないのである。(中略)芸術家という人種は、原則として皆一種の精神的ナルチスムスである。(中略)常にイメージしている自分の姿は、永遠の美少年でありたいのである。
――萩原朔太郎「老年と人生」(猫町 他十七篇』岩波文庫)より――

 なるほど、審美眼の強い芸術家ならではのナルシズム。それも死に至る強烈なナルシズム。それも「有力な動機となって」ほんとうに自殺してしまった芥川。何となくわかるような気がする。


「君と僕と、審美眼は同じくらいなのに、鏡を見て受ける印象は何とちがうことだろう。僕は毎日、老いてゆく自分の姿にうちのめされるが、君は・・・・・・」

 これは美輪明弘さんの著書に記録されていた、三島由紀夫の言葉。手元にその本がないので正しい引用ではないが、こんな意味の言葉だったと思う。※後で確認して改正しますね。

 三島由紀夫は晩年、映画に出演する、自身の前衛ヌード写真集『薔薇刑』を発表するなど、自己への執着を激烈に暴露する表現活動を行い、あの凄絶な自死へと駆り立てた原動力の根底にナルシズムがあったと解釈されている。


 と、カッコつけて書き出してみたが、久しぶりに「プリクラ」をやってみて、上記のようなことを思い出した。最近、プリクラは色々と自分でアレンジできるようになっており、どんな人でもフォトジェニックに、そう、ナルシズムを満足できる写真に仕上げることができる。

 自殺したくなるほどのナルシズムと審美眼をお持ちの方は、とりあえずプリクラをやってみてはいかがだろうか? とりあえず、今日はやめておこうか・・・・・・という気分になるかも知れない。

 あり得ない「If....,」だが、もし芥川や三島がもし現代の人だったとしたら、プリクラを試していただろうか? 子煩悩だったという芥川は、サティのゲームコーナーに子供を連れて行って一緒に撮ってみたりしなかっただろうか? 三島なら、個室で半裸になって美しい筋肉体を撮ってみようと考えなかっただろうか? 美青年恋人とツーショットを試したりしなかっただろうか? そして、現代の技術でそれなりに仕上がったプリクラシールを見て、何日か生き長らえることができなかっただろうか?

 いや、あり得ない。芸術家のナルシズムや審美眼はそんな安っぽいものではないだろう。

 大体、現代のプリクラがいくら進化しているとはいえ、私が知る限り全てギャル向け。死に至るナルシズムに憑かれた芸術家に自殺を思いとどまらせるタイプのプリクラというのは見当たらなかった。そこまで凄いのは期待できないかも知れないが、とりあえず、年取ってもそれなりの美しさがあるんだからね!と思わせてくれる、プリクラがあればいいのにと思う。

 

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2010.02.02

キョ~フ! 自分を撮ったのに他人の顔?

Hondanightfasard ケイタイをインカメラ・モードにして自分を撮ったら、他人が写っていた! というのはやっぱり、超状現象ですよね?
 最近、そういうキョ~フ?に2回も遭遇してるんです。それも、同じ場所で。

 まずは、私の至福のコースをお教えします。一仕事終わった~♪とき,etc.の自分へのご褒美。

 1.ホンダプレミアヘアインターナショナルでキレイにしてもらう。
   カット、パーマ、カラーリング、ブロー、セット、メイク、眉カット、
   まつげパーマ、エステ,etc.

 2.カフェテリアみなみ風でランチ&自分写真撮影。
   ケイタイでもOK。

Minamikazembirdsofview このカフェテリアは日当たりが良くて、加齢を誤魔化す写真を撮るのにピッタリ。
 ※最近、加齢を誤魔化せる光線の中でしか写真を撮らないことにしています。

 ピンボケと言われますが、自分的に満足度の高い写真を撮ることができるので、加齢を誤魔化したい方にはお薦めです。

 カフェテリアみなみ風に長時間居座って、色々な表情やポーズで自分写真を撮り続けるという変な客になってしまうのですが、気にしない!

200908154_2 自分でも飽きるほど撮っていくのですが、後でデータを見て、ビックリ!
 何これ? 私じゃない。という写真が幾つか混じっているんです。同じ場所だし、同じもの着てるし、同じ髪形だから確かに自分なのですが、顔がちがうのよ! 顔が!

 でも、他のよりも明らかにいいお顔。このお顔、どこかで見たことがあるような・・・・・・そう、これはミユちゃん(仮名)のお顔。大学のクラスメイトで、90/50/80の炸裂美人。お色気ムンムンで私とは全くちがうタイプ。思い浮かぶのは、「自分で編んだんや~(関西弁)」の編み目グスグスのボディコン超ミニワンピの姿。鼻血が出そうなほどのエロティシズム。似てるなんて言われたことないけど、この写真はどう見てもミユちゃん。

 でも、ま、そういう偶然もあるわよね。憧れてたミユちゃんに再会できてよかった。そう思いつつ、ブログのプロフィール画像を明らかに自分じゃない顔の写真に変える私って・・・・・・? 

Yuka2010_3 そして、先週、また、至福コースに行ってきたのですが、またまた、ミユちゃん?? な写真を撮ってしまいました。髪型変えたけど、ミユちゃんがこういう髪型だったとき、こんな感じだったような・・・・・・

 たぶん、今でも自分的な美人の基準に「ミユちゃん22歳」があって、ヘアサロンに行くたびに、目指せ「ミユちゃん22歳」で髪色とか、スタイルとか選んでしまうのでしょうね。22歳には見えないけど、今のミユちゃんってこんな感じ? な自分写真が撮れてラッキー♪

 こんなキョ~フ現象なら大歓迎! またミユちゃんに会いたいな~


ホンダプレミアヘアインターナショナル大和店
カフェテリアみなみ風
設計:(有)相原聰建築設計事務所

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2010.01.22

敗者のヒロイズム

 今日は、と始めたかったが、もう日付が変わってしまったので、昨日はルイ16世の命日だった。
800pxlouis_xvi_et_marieantoinette_2     ※サン=ドニ大聖堂のルイ16世の慰霊碑 (C)Eric Pouhier

 小学生のとき読んだツヴァイクの『マリー・アントワネット』に「1月21日の朝」という章があったのを覚えている。1793年のこの日、フランス国王ルイ16世はギロチンの露と消えた。ルイ16世の後世の評価は様々だが、華麗なるルイ14世とルイ15世、王妃マリー・アントワネットと比べて、何とも影が薄い存在である。

 ルイ16世が優柔不断だったため王妃の浪費を招いたともいわれるが、絶対王政全盛の時代なら平穏な人生を送れたかも知れない。よりによって革命期に王位を継ぐ番が回ってくるとは、最悪の貧乏くじを引いてしまったと言わざるを得ない。

 そのルイ16世の最期の言葉は、太鼓の音に消されて全ては聞き取れなかったとされるが、次のようであったと伝えられる。

  余は、余の全ての敵を許す。
  余の血がフランス国民にとって有益ならんことを、
  そして神の怒りを鎮めんことを、余は切望する。

 ギロチンで斬首される寸前に、「全ての敵を許す」とは、なかなかかっこいいではないか。ルイ16世はフランス大革命において最大の敗北者だったが、最期まで王だった。王に相応しい器の大きさを失わなかったと評価していいだろう。

 勝者となるにこしたことはないが、運命的に敗者となるのを避けられない場合、敗北の美学、敗者のヒロイズムを極めて潔く美しく滅び去る道を選ぶしかない。ルイ16世の最期の言葉は単なるヒロイズムではなく、本心からの叫びだったのだろうが、それだけにかっこいい。


 最後に現代日本の世俗の話題を持ち出して申し訳ないが、例えば、JAL株を売り損ねた方は、こんなふうに言ってみるのはいかが?

「私、あえて売りませんでしたの。日本航空さんに寄付いたします。再建のためにお役立てください。いいえ、かまいませんの。本当に、大した額ではありませんから、オホホホホ」

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2010.01.19

追悼・小林繁さん

 小林繁さんが亡くなったショックから立ち直れない。

 私が子供の頃、街中に小林繁さんのダンディーなポスターが貼ってあった。小林繁さんは、当時、地元の紳士服メーカー・鳥取エフワン(現・グッドウィル)のモデルでもあった。鳥取県出身ということで引き受けたのだろうが、ダンディなスーツがよく似あい、ポスターはいつも市内に貼られている広告印刷物の中で最高水準の美のオーラを放っていた。

 野球選手として華やかに活躍している最中だったが、私は野球に興味のない子供だったので、小林繁さんといえば、ただただかっこいいお兄さんだった。スポーツマンではなく上品なダンディ系美青年の姿が思い浮かぶ。
 父の仕事の関係で、本人のサイン入ポスターを簡単に手に入れることができたので、同じようなファンの友達のために何枚か取り寄せたことがあるが、何故か自分のは手元に残っていない。

 江川事件で悲劇のヒーローとして祀り上げられ、その後の活躍でテレビでも話題になり、子供の目で見てもポスターの中の男ぶりにも磨きがかけられたように感じ、ますます小林繁さんのファンになった。

 いつの間にか、街であのかっこいいポスターを見かけることがなくなり、大人になって忙しくなると思い出すことも少なくなってきたが、私の男性の好みは、若き日の小林繁さん、エフワンのポスターの中の彼の美しい姿も一つの要素となって形成されたような気がする。美貌と才能に恵まれ、しかし少し地味で上品な謙虚さが漂う感じのする男性が好き。それが一貫した私の男性の好みらしいが、鳥取県民以外はあまり知らないダンディズムの極致としての小林繁さんが理想の男性像なのだ。

 一昨年の江川氏との対談の番組をみて、あらためて、小林繁さんってかっこいい!と実感した。姿だけではなくて、生き様が丸ごと、美しい人だった。もうこの世にいらっしゃらないと思うと悲しくてたまらないが、同時代を生きることができて、間接的ではあるが何らかの影響を受けることができたのを光栄に思う。

 ご冥福をお祈りいたします。

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