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2007.05.26

知里幸恵の『アイヌ神謡集』

Kamui
知里幸恵の名をご存知だろうか?
19歳と3ヶ月で夭折したアイヌの天才少女、そしてアイヌ文学史上最も偉大な作家である。
アイヌの口承文芸ユーカラを、アイヌ自らアイヌ語と日本語で記述したのは、彼女が初めてだった。

アイヌの口承文芸ユーカラの語り手「ユーカラクル」の家系には優秀な頭脳の人が続出すると言われるが、彼女も例外ではなかった。
日本政府の同化政策により、20世紀初頭の当時において既に、アイヌの若者たちはアイヌ語を忘れつつあった。幸恵は学校では成績優秀で日本人よりも上手に日本語を話すが、家では完全にアイヌ語で会話する、日本語/アイヌ語の完璧なバイリンガルであった。アイヌとしては異端のキリスト教を信仰していたこともあり、同年代のアイヌ少女達の中では一風変わった存在であっただろう。

アイヌ神謡集は、彼女が短い生涯でただ一冊遺した作品である。

ユーカラ研究のために自宅まで押しかけてきた言語学者金田一京助の薫陶を受けた幸恵は、ローマ字表記のユーカラに日本語訳をつけてノートに記述していく。優れた語り手である祖母や伯母・金成マツ、母・知里ナミのユーカラを聞いて育ち、敏感な耳で数多くのユーカラを記憶していた幸恵は、泉が涌くように美しいテキストを書きとめていった。日本語の訳詩も非常にわかりやすく、そして美しい。優しく、そしてはかない哀愁を帯びた言葉の響きに心が表れるようである。

  「銀の滴降るふるまわりに,/金の滴降るふるまわりに」
  という歌を静かにうたいながら/この家の左の座へ右の座へ
  美しい音をたてて飛びました.
  私が羽ばたきをすると,私のまわりに
  美しい宝物,神の宝物が美しい音をたてて
  落ち散りました.

  (『アイヌ神謡集』 知里幸恵 岩波文庫)


彼女が師と慕った金田一はしかし、政府の同化政策の賛成論者だった。アイヌの若者たちには、アイヌ語の保存やアイヌの研究は自分にまかせて、君たちは日本語で日本に同化して近代化の道を歩みなさいと言っていたという。従順でまだ若い幸恵は師に反論するようなことはしなかったが、『アイヌ神謡集』には、アイヌ自らアイヌ文化を継承していくことの大切さを伝えてくれる、静かだが強烈なメッセージがこめられているように思える。序文にも彼女自身のアイヌへの愛と失われていくアイヌ文化を惜しむ気持ちがあらわれている。師へのささやかな抵抗のようにも思えるが、金田一は気づいただろうか?

この文庫本には、彼女の作品の他に、金田一の手記も掲載され、短かった彼女の東京での生活の様子を知ることができる。心臓病を患う病弱な身で師の赤ん坊の子守までしていたという健気な少女であった。明るくてお喋り好きな少女であった。
子守までさせなければ、金田一先生がもっと気遣ってくれたら、もう少し長生きできたのではと思うのは私だけかも知れないが、これほどまでの才能がこんなに早く失われてしまったことが痛ましい。珠玉の言葉、至宝のテキストの一つ一つを、ありったけの感謝をこめて受け取りたい。

アイヌ神謡集 知里幸恵
岩波書店 (1978/01)  ISBN-10: 4003208013

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▼アイヌ・ユーカラについては、コチラをどうぞ!(書店にあります)
古代文明ビジュアルファイル16号 「古代へのアプローチ アイヌの叙事詩ユーカラに隠された史実とは?」


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