2005.10.15

C'est ma vie! (セ・マ・ヴィ!)

《C'est la vie. (セ・ラ・ヴィ)》という、かっこいいフランス語がある。
人生なんてこんなものさ! これもまた、人生さ! 生きていりゃあ色々あるさ!
そんな意味だと思う。不条理なことにぶち当たった時等につぶやく言葉だと解釈している(違っていたらスミマセン)。

さて、私のようなおバカさんが生きていれば、それこそ色々あるわけだが、あり得ないようなケアレスミスのために惨事に至った場合等、《C'est la vie!》なんて言う気にならない。真っ当に生きている人々の人生までをひっくるめて普遍化して、「人生なんて・・・・・・」と言ってしまうのはあまりに失礼だ。普通、人生、かくあるはずはない。私のケアレスミスでこうなっただけなのだ。

例えば、軽度な例、わかりやすい電車ネタを挙げれば、

●改札を出るときに切符が見つからなくて(バッグかポケットの中にあるはずなのに)、やむなく現金精算。しかし、その直後に見つかるのであった。特に江ノ電の無人駅の場合、運転士さんが切符回収係兼ねているので待たせるのも悪いし、すぐに現金処理を決断してしまう。

●小田急藤沢駅にて、パスネット&SUICAで連絡口を通過してJRに乗り換えようとしたとき、SUICAの点数が足りなくて呼び止められて、乗り換え電車に遅れた。

●急いで帰宅しなければならないのに、江ノ電由比ガ浜駅でつい藤沢行きに乗ってしまい(優雅に乗り換えなしで海を眺めながら行けるのはいいのだけど)、藤沢で乗り換える電車が2つ後のになってしまった。*由比ガ浜~藤沢間は、江ノ電直通で行くより、由比ガ浜―鎌倉―大船―藤沢とJR乗り継ぎにした方が早く着く。

●パスネットさんをドアの接合部のゴム材の間にどこまで深く挿入可能か実験しているうちに、最も深く挿入してしまい、つまり、ドアの外へ押しやってしまった。

・・・・・・惨事というほどのことでもないけど、こんな低レベルなケアレスミスによる時間や小銭のロスが頻発するので、その度に《C'est la vie!》なんて言ってられない。私がおバカだからこうなるだけであって、人生一般がこんなものであるはずはない。

というわけで、新しい格言をつくってみた。格言なんて言えるほど、たいそうなものでもないが。

Ce n'est pas la vie, mais c'est ma vie.

または、単純に

C'est ma vie! (セ・マ・ヴィ!)

・・・・・・なんて、フランス語でかっこつけてみても、何の解決にも進歩にもならない。それどころか、この言葉はますます私を堕落させる。《C'est ma vie!》とつぶやいた途端に、自分の愚かさを許してしまう自分がいるのだから。


*これはあくまでもおバカな私の話であって、ADHDの典型例を示すものではありません。

  

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2005.08.02

お砂糖を部屋中に

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お掃除には重曹を撒くといいと聞きます。
実は、お砂糖もいいんです。
ええっ? 砂糖? そんなまさか・・・と思うでしょうが、実際良かったんです。私には。
逆説です。=パラドックスです。

詳細はくだらないので割愛しますが、 昨夜、私はお砂糖を一袋、ぶちまけてしまいました。
スプーン印の1kg入の上白糖を一袋、床にばーん!と。
大人気ないです。愚かでした。反省してます。もうしません。
あ、これはADHDの話ではありません。
私のADHDがそうさせたのかも知れませんが、ADHDを持つ人が皆、こんなことをするわけではありません。彼らの名誉にかけて否定します。
これはADHDの話じゃなくて、私自身の、俗に言う低レベルなヒステリーの話。 暑さで頭が余計に変になっていたのかも知れません。

そう、お砂糖を一袋、ぶちまけたんです。袋が破れて、お砂糖が飛び散ります。部屋のドアを開けていたものだから、両隣の部屋まで飛び散って、床に、棚に、未整理の衣類の上に白いお砂糖がパラパラと散乱しました。
それからどうしたって?
も、もちろん、お掃除です。大掃除です。自分でやったのだから、自分で始末をつけるしかありません。
掃除機をかけた後もフローリングの床はベトベトしてるから、雑巾もかけなくっちゃ。
棚の表面にも、敷居にもお砂糖がこびりついて、大変! 拭くかなくっちゃ。何ヶ月ぶり? (何年ぶり?)
とにかくお砂糖を残しておいたら、アリさんがくるし、ベトベトだし、何とかしなくっちゃ。
ついでに欄間までチェック。お砂糖はないけど。うっ、このホコリ。引っ越して以来のホコリ?

というわけで、お砂糖のおかげで、大掃除をすることができました。
お掃除嫌いな自分にお掃除を強制するには、お砂糖です。ぶちまけるんです。

・・・・・・大変失礼いたしました。ご精読ありがとうございました。


素材提供: Cloister Arts
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2004.11.05

夢がこわれるとき その2

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線路は続くよ どこまでも

 幼少時代を過ごした地方都市の線路は、本当にどこまでも続いているように見えた。だから、歌の通り、「線路は続くよ どこまでも」と信じていた。
 が、阪急梅田駅にて玉砕。
 線路には終わりがあった。先端には、電車の顔がこちらを向いて並んでいた。
 私鉄の終着駅によくある風景。
 しかし、、「線路は続くよ どこまでも」の妄想を抱いていた子ども心には、かなり残酷な光景だった。
 ロマンがこわれた。

 やっぱり、あたしって おバカ。


*冒頭の写真は、江ノ電藤沢駅。線路の終わりが写ってないので、挿絵としてはあまり意味ないかも。このへん(神奈川県)の都会の子たちは、「線路の終わり」を、ロマンがこわれた~!なんて思わないで、当然のこととして受け入れるのでしょうね。

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夢がこわれるとき

はっきり言って、私はバカだ。
いや、別に卑屈になっているわけではない。
客観的に考えて、本当におバカさんとしか言いようがない勘違いを頻発している。

例えば、掃除機。
最近の新型にはフィルタは不要だが、1ランク以上旧式の電気掃除機には、使い捨ての紙フィルタが必要だった。それを、結婚して新品の電気掃除機を購入するまで、知らなかった。バカだ。

ひとり暮らしのOL時代、マンションを世話してくれた不動産業者が、親切心から中古の電気掃除機をプレゼントしてくれた。私は、フィルタの交換が必要なことをで知らなかった。当然、掃除機はすぐに臭くなり、吸引力が低下し、使い物にならなくなった。だから、捨てた。こんな壊れかけたのをくれるなんて、失礼しちゃうわ。

さて、結婚して、初めてまともな電気掃除機を買い、取扱説明書を読んだ。
フィルタ? ゴミがいっぱいになったら取り換えてください?

そのとき、私の夢というか、妄想がこわれた。
ヴァキュームクリーナーの中には、完全なる真空状態が実現していて、吸入した塵芥に何らかの超次元的な物理作用または化学作用を及ぼし、消滅せしめるのだという、客観的に考えて、おバカな妄想が、完全に粉砕された。

回収されたゴミは捨てなければならない。そんなあたりまえのことを、私は知らなかった。バカだ。
今、新型の電気掃除機を使用しているが、吸い取ったゴミは、透明なケースの中に収集されているのが一目瞭然になっている。これでは誰も、完全なる真空空間における奇跡を妄想することができない。掃除機の内部にロマンを抱くことはできない。

というわけで、私はやっぱりおバカです。


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2004.06.10

ショック!!!

 ショッキングな出来事があった。 一晩越したがいまだに立ち直れない。

 行きずりのローソンでお金をおろした。 \9,000。

 出てきたのは、見慣れない札。脳の中からぞわぞわと血が引いていく。
 うっ、何 これ? 吐きそう……


 恐る恐る 手に取ってみたら、 \2,000札が4枚に、\1,000札が1枚。

 これって超レアな組み合わせ? もしかしてラッキーなの?

 しかし、使う目的があっておろしたお金。
 記念にとっておくような余裕なし。さっさと使ってしまおう。

 だいたい、\2,000札のデザインは好きじゃない。
 色彩的にコントラストの強すぎる部分があって、
 それが生理的にきらいだ。


 それにしても、日常生活において、予期しなかった光景
 (ローソンのATM機で\9,000おろしたら\2,000札が4枚に、\1,000札が1枚,etc.)
 を突然目にしたときに脳が受けるダメージは大きい。

 しかし、このようなことは起こりうるのだ。受け入れる柔軟さを持たなければ。

 そんなことはわかっている。精神的には受容可能だ。

 それでも、あのとき脳に受けたダメージの余韻は、いまだに響いている。
 きわめて身体的な現象として。

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2004.06.01

Happy Birtyday to Me!!!

 お誕生日は5月31日。
 昨日は、またノートPCの電源を入れたままコンセントを抜いてしまったせいで調子悪くなって、インターネットに接続できない状態だったので、一日遅れでHappy Birtyday to Me!
 Windows再セットアップしてデータも全部初期化して(バックアップはとったけど)、気分も一転!(わざわざそうしたわけじゃなくてそういうハメになっただけ)。
 さて、もういいトシなので、ムダなテイコーはやめて、幻想も妄想も捨てて、謹身を解いて、遠慮もやめて、・・・・て、・・・・・・て、etc.、生きてゆくのよ! 
 ファッションと美容とお勉強にはお金をかけます。自分にはトシ相応のキャパシティがあるものとして、もっともっと仕事をやります。そして、
 書き急げ! 時間がない! をお題目に、ここかしこで書いていきます。お誕生日ごとに切実に、わが身に迫ってくるこのお題目。

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2004.04.30

私の反省態度に関する反省

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 みなとみらいを散歩してきた。家を出る前にちょっと嫌なことがあったので、歩きながら、こんなことを考えていた。

 本題に入る前に、まずは、三省堂国語辞典より、

反省
(1)振り返って考えること。過去の自分の言動やありかたに間違いがなかったかどうかよく考えること。
「自らの行為を―する」「―の色が見えない」「―を促す」
(2)〔哲・心〕〔reflexion〕注意・感覚・思考など、意識の作用を自分の内面、自己自身に向けること。何らかの目的や基準に照らしつつ行われる判断であり、普遍原理の窮極的把握そのものとは区別されることが多い。ヘーゲルがカント・フィヒテなどの哲学を、現実の具体性にいまだ媒介されていない抽象的な内省、理性に至らぬ悟性的思惟による反省哲学と呼んだのはその意味による。

 私は、「反省がない」とよく言われる人間である。
 しかし、今、確認したところによると、「反省」とは、必ずしも過去の自分の言動やありかたを否定的にとらえて批判、後悔することではないらしい。それならば、私は決して、「反省がない」人間ではない。
 自分の言動やあり方を振り返って考えることはちゃんとやっている。間違いがなかったかどうかもよく考えているつもりだ。ただ、結論が自己否定ではなく、自己肯定になったというだけのこと。
 こういう人間は甚だ迷惑な存在だとつくづく思う。
 「反省」の後、反省を求められた、他人から見て甚だ迷惑なその状態に関して、何ら改善されることがないのだから。それどころか、論理的に裏付けられたつもりで開き直ってしまうので、大抵の場合、ますますひどくなっていく。論理的というか、はっきり言って屁理屈による正当化なのかも知れない。

 例えば、電話代の振込をついうっかり悪気もなく忘れていて、自宅の電話が数時間<お客様のご都合により~>状態になっていたとする。それを夫の実母に知られ、それは恥ずかしいことだ、よく考えてごらんなさいと、反省を求められたとする。反省の結果、<それは確かに恥ずかしいことだが、私の恥であって、あなたの恥ではない、だからあなたにとやかく言われる筋合はない>という結論に至る。自転車で5分のところにあるNTTに行って直接払い込み、電話回線はすぐに回復する。もう済んだことだ。かくして、翌月も同じことが繰り返される。反省が足りないのだろうか?
 片付けや掃除を怠っていることをとやかく言われても、<……それは私の恥であって、あなたの恥ではない、だからあなたにとやかく言われる筋合はない>という結論に至ってしまう。
 そして私はいつか、そのまま口に出してしまうだろう。
「それは、私の問題であって、あなたの問題ではありません」
 と。
 例えば、<どういう面の皮してんだか>とか言われたとする。反省。結論は、<よーし、面の皮の厚い人間として生きて、世の中に憚ってやろう!>。そして、問題にされた行為はたぶんまた、繰り返されるだろう。
 
 こういう人間は甚だ迷惑な存在だとつくづく思う。しかし、私が他人に何を言われようと鬱に陥ることがないのは、こうした性向のおかげだとも思っている。私のセルフエスティームは低くないレベルで保たれていると思う。私の精神は健康だ。公共料金の支払いを忘れることや、家事が苦手なことを気に病んでいては生きていけない。まずそうした欠点を改善してから、などと言っていたら、いつのことになるのかわからない。私の生きる道は切り開けないのだ。
 いや、やっぱり反省がない、というか反省が足りないのかも知れない。「よく考えること」とは、自分が悪かったと落ちこむまで考えることなのかもしれない。自分が嫌いになるほどに、鬱になりそうなほどに、自分の言動を責めなければならないのかも知れない。そうした過程を経なければ、何も改善されないのかもしれない。
 しかし、それで必ずしも改善されるとは限らないし、何年努力しても改善されないようなら、本当に鬱病になってしまうかも知れない。どうも私はそちらの方向にいきそうな気がする。
 私の反省の結果が自己肯定になるのは、あるいは年の功で、反省して落ち込んでみても何もいいことはないということが学習された結果なのかもしれない。自分を責める方向に反省して、自己嫌悪に陥り、そうした積み重ねで鬱に陥って自殺するよりは、こうして図太く生きていけるほうがまだましだ。かくして、反省に関する反省も、自己肯定の結論に至ろうとしている。ここまで書いてきたことも、所詮は自己正当化のための屁理屈に過ぎないのだろうと薄々感じつつ、しかしそれが私の生きる道なのだと開き直ってみる。
 
 翌朝読み返しての追記:
 これからはせめて、「反省の色」くらいは見えるようにしていかなければ、自己評価は維持できても、他人からの評価、社会からの評価が危うくなるかも。

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2004.04.26

頭を冷やしたかったから その2

 さて、と。
 頭部を冷蔵庫の冷凍室につっこんでで短時間、冷却した結果――

 一応、午前中のノルマは果たせたので、超眠い状態から覚醒したということで、それなりの効果はあったと思われる。劇的にはかどったというわけではないので、今ひとつ、釈然としないのだが。

 この方法の正当性を脳科学的に説明できるのかどうかわからない。ただ、頭を冷やして足を温めると、お勉強がはかどると、大学受験のときに担任の先生に言われたような気がする。

 もし、脳を短時間でも冷却すれば、思考する機能が増強するということが脳科学的に実証できるのなら、我が家の冷蔵庫の冷凍室は、食品保存に使うのはやめ、専ら脳機能回復室として使うことにしてみたい。生鮮食料品ではなく、脳機能を昂進させる香りを放つものを普段から入れておいて、回復機能をより高めるなど、工夫してみたい。
 
 と、今、思いついたのだが、家族の反対で却下されるに決まっているので、やはり実行するのはやめておこう。

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頭を冷やしたかったから

 冷蔵庫の冷凍室に頭をつっこんでみた。あまり冷たくなかった。
 さて、効果のほどは?

 わからないことにぶち当たると眠たくなる。特許文書にはわからないことが多い。頭の調子の悪いときには余計にわからない。調子のいいときにはわかることもある。
 さしあたり、今、調子が悪い。というか、寝不足で、眠い。
 しかし、迫り来る締め切り。コーヒーも効かない。ローズマリーを摘んでこようかとも思ったが、庭に出るより、冷蔵庫に行くほうが楽。

 というわけで、冷凍室に首をつっこんでみた。さて、効果のほどは……?

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