彼女がしゃべっている間、ゴルトムントは彼女の目を見ていたが、その目は憎しみの燃え立つかげになにかしら輝くものがあって、それが彼を感動させ恥ずかしい思いをかきたて、心の奥深くしみとおってきた。彼はその目のうちに死を読みとったのだ。といっても、それは死すべき運命としての死ではなく、死への欲望であり、いつ死んでもいいという死であり、母なる大地の呼び声に静かに従い、身をゆだねようという態度だった。*
ヘルマン・ヘッセの 『知と愛』(原題『ナルチスとゴルトムント』)は、中世のドイツを舞台に、「知」の人ナルチスと、「愛」の人ゴルトムントの生きざまを描いた長編小説である。大部分を占めるのは、ナルチスのいる修道院を脱走したゴルトムントの長く苦難に満ちた愛と芸術の日々であり、美しい女達との恋愛のエピソードが数多く描かれている。
冒頭に引用した一節は、ユダヤ娘レベッカとの短すぎる恋愛の結末である。
ペスト流行地域の廃墟で出会った美しいユダヤ娘レベッカ。
ペストが猛威をふるう町を旅してきたゴルトムントは、人々が死の恐怖でいかに愚かしく狂っていくかを目の当たりにしてきた。「ユダヤ人街が残らず焼きはらわれ」、「泣き叫びながら逃げ出すユダヤ人は、武器の力で力ずくで火の中に追い返され」、「いたるところで罪のない人びとがうち殺され、焼き殺され、拷問をうけて」いる光景を、「憤怒と嘔吐をもよおすような思いで」ながめてきた。
レベッカの父もまた、「役所の命令」で焼き殺され、逃げおおせたものの独りぼっちになった彼女は、絶望のどん底にいた。この極限状況で彼女を見初めたゴルトムントは、灰の中から骨を拾い集め、遺体を埋葬するのを手伝ってやる。泣き疲れて眠った彼女が目覚めると、一緒に旅立とうと口説き始める。「ユダヤ娘とわかれば殺される」し、浮浪者や狼に襲われる危険もある。実際、この状況で彼女が一人で生きてゆけるはずがなかった。
しかし、レベッカは、きびしく拒絶する。その目を見て、ゴルトムントは、救済が不可能であることを悟る。
彼は帽子を脱いで王侯の奥方にでもするようにふかぶかと頭を下げて挨拶し、思い心を抱いてそこを去った。彼女は破滅するにまかせておくほかなかった。*
捨て置いたら死ぬとわかっている相手を置いて立ち去るのは、人道上許されることではない。残酷だ。極悪非道だ。ここでのゴルトムントの判断は間違っている。中学生の頃、初めてこの本を読んだときにはそう感じたように記憶しているが、それなりの年月を生きてきた今なら、共感できないこともない。
芸術家の旅の人生で、様々な女性との恋愛遍歴を重ねてきたゴルトムント、その方面には長けた彼にとって、誠実な愛を完全に拒絶されてしまうこのエピソードは例外的であると言っていい。しかし、精神的にも身体的にも全く触れ合うことのできなかったレベッカは、ある意味、彼にとって最も官能的な愛の対象だったのかも知れない。
……あの高価な花を救う力は、救う魔法はないものか? あるのだ。あの花が彼の内部で生きつづけ、かたちを与えられ、保存されていくこと、それがその魔法なのだ。*
以上、2004.07.15の記事のコピペ。本題に入ってなかったので、以下、本題を展開。
ところで、ネットでコミュニケーションをしているうちに、「彼女は破滅するにまかせておくほかなかった」というシチュエーションに出くわすことが度々ある。
例えば、発達障害系サイトのチャットで、親しくなった人達と親しくチャットする。するとそのうち、悩みを打ち明けられるようになり(私は弱みを見せるのはイヤなので決して打ち明けたりしないが)、死にたいとか、自殺するとか言われてしまう。チャットの場で皆で止めようとするが、決意は固いらしい。あるとき、絶望的な捨て台詞を残してチャット落ちし、それから何日経ってもあらわれなかった・・・・・・。こんな場合。
私の小説のファンだと掲示板に書き込んでくれた人とSNSで再会。互いの日記に書き込みをするようになり、写真で見る限り、私好みの美少年。ところが、ある日、「サヨナラ」と、自殺をほのめかす日記を残し、それきり消えてしまった・・・・・・。こんな場合。
友情は感じている、でも、所詮は見ず知らずの人、住所も電話番号も知らないから、自殺予告されても警察に通報もできないし、生死を確認することもできない。「彼女は破滅するにまかせておくほかなかった」の境地に入るしかどうしようもない。冷たいようだが、本当にどうしようもない。あとは「内部で生きつづけ、かたちを与えられ、保存」の境地にまで至るのなら、本当に自殺してしまった人にとっては本望なのかも知れないが。
ネット友達というのは不可解な存在で、文字コミュニケーションならではの深みと、距離感、それゆえの緊張感のなさで、リアル友からも聞かないような深刻な話を聞かされてしまったりする。それでも、所詮は会ったこともない人。自分のリアルな生活や家族とのコミュニケーションを犠牲にしてまで、チャットに付き合うべきではないとも思う。そんな関係はいっそ結ばない方がいいのかも知れないが、ネット友も、一度会えばもうリアル友。できれば一度でもオフ会に参加したり、デートしたりして、実体のある間柄になるべきなのだろう。
『知と愛』のレベッカとは状況が違うが、このようなことがある度に(実際、よくある)、いつもこの場面を思い出す。
*『世界の文学37 ヘッセ』 ヘルマン・ヘッセ著 山下肇ら訳 中央公論社
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