2009.05.06

大仏通りに行こう!

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ふと思いついて、電車で出かけるのが好き。そんな行き当たりばったりのアナタがキライだと言われることもあるけど、そんな私が私は好き。

先日も、午後2時頃、ふと思いついて江ノ電に乗り、鎌倉の大仏さまのところへ。あの陽当たりが良くて固くもあたたかそうな手に抱かれてお昼ねをしてみたい!と貴方も思うのでは? でも、許可されてないので妄想だけで我慢しましょう。

江ノ電の長谷駅を降りて、かの大仏さまがおわします高徳院に辿り着くまでの道がまた楽しい! 駅から高徳院までの参道「大仏通り」は、湘南情緒たっぷりのお洒落な通りなのです。アジアンな雑貨屋さんや、貝や珊瑚も使ったジュエリーのお店、ヴェネツィアン・グラスのお店や、骨董店、和菓子屋さんにソフトクリーム屋さん、メロンパン屋さん、それに素敵すぎるカフェやレストラン! 竹下通りや表参道にも負けないセンスの良さ。

高徳院で大仏さまを拝んでたっぷり妄想を楽しんだら、裏庭?で一休み。ここでかわいい野性の栗鼠(リス)くんに会うことができます。するすると木を登り、枝から枝へ身軽に飛び回る栗鼠くんたち。大仏通りの店先にもあらわれることも。

大仏さまとサヨナラしたら、せっかくだから長谷寺の弁天さま、大黒さま、お地蔵さま、阿弥陀さま、観音さまにも謁見してゆきましょう。みんないいお顔をしておられます。私はいつも弁天窟の弁天さまにピンクの蝋燭をお供えして、芸事の精進をお祈りすることにしています。

長谷寺は花の寺としても有名。四季折々のお花を楽しめます。本堂のあるところは見晴らしのいい高台。黄金の阿弥陀さま、やはり黄金でもっと荘厳な観音さまにちゃんとお参りしてから、ゆっくり海を眺めましょう。

5月の風がさわやかな今、大仏通りもベストシーズンかも。
Hasedera2


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2008.08.08

華麗なるアラン人(2)

フン族とともにローマ帝国に雪崩れ込み古代末期から中世初期の激動のヨーロッパの、影の立役者となったアラン人。由緒正しいスキタイ系騎馬民族。移動範囲は広大で、コーカサス地方か、もっと東の中国西域をルーツとして、西はイベリア半島、南はアフリカ、そしておそらくユーラシア大陸極東にまで及び、東西の文化交流に大きく貢献した。

多くは土着のヨーロッパ人と同化し、民族としては姿を消していったが、今でも、コーカサス地方に住むオセット人がその血を受け継いでいるといわれる。

「アラン」は、現代でも、姓にも名にも大人気だが、この名は中世までは、「アラン人」の血が流れていることを示すものだったらしい。アラン人のヨーロッパ入り以前にはこの名は存在しなかったことが説得力ある根拠。現代に至ってはアランさん全てがアラン人の末裔ということはないだろうが。

「オセット人」といっても、会ったこともないし、馴染みは薄いように思えるが、実は日本で活躍している有名人もいる。例えば、こんな人達。

 若ノ鵬 寿則 (わかのほう としのり)
 所属部屋 : 間垣
 本名 : ガグロエフ・ソスラン・アレキサンドロヴィッチ  
 生年月日 : 昭和63年7月8日
 出身地 : ロシア・北オセチア・アラギル
 現在の番付:西前頭筆頭  最高位:西前頭筆頭
 得意技 : 右四つ・従兄

 露鵬 幸生 (ろほう ゆきお)
 所属部屋 : 大嶽
 本名 : ボラーゾフ・ソスラン・フェーリクソヴィッチ  
 生年月日 : 昭和55年3月9日
 現在の番付:東前頭7枚目  最高位 :東小結
 出身地 : ロシア・北オセチア・ウラジカフカス
 序二段優勝 : 1回   序ノ口優勝 : 1回  敢闘賞 : 1回
 得意技 : 右四つ・寄り
 ※白露山の兄

 白露山 佑太(はくろざん ゆうた)
 所属部屋 : 北の湖
 本名 : ボラーゾフ・バトラズ・フェーリクソヴィッチ  
 生年月日 : 昭和57年2月6日
 出身地 : ロシア・北オセチア・ウラジカフカス
 現在の番付:西十両4枚目  最高位 :東前頭2枚目
 得意技 : 右四つ・寄り・投げ
 ※露鵬の弟

 阿覧 欧虎(あらん はくとら)
 所属部屋 : 三保ヶ関
 出身地 : ロシア・北オセチア・ウラジカフカス
 現在の番付:東十両14枚目
 ※若ノ鵬寿則の従弟

かつて、その強さでローマ人やゲルマン人を魅了したアラン人の末裔に相応しく、強さを競う大相撲で活躍している。ソスラン、バトラズといえば、オセット人がアラン時代から口承で語り継いできた『ナルト叙事詩』の英雄の名。そして、そのものずばり、「アラン」の名も。本名もアランさんとのことだが、今もオセット人にはアラン人の末裔を意味するこの名が多いのだろうか。

アラン族の華麗なる歴史を振り返ってみると、大相撲に北オセチア・アラニア共和国出身の力士が最極東の島国、日本に存在することが感慨深く思える。流石は最強の騎馬民族アラン族の末裔!と褒めるのは大関以上に昇進してからにしたい気もするが、オセット人力士たちの活躍を見守っていきたい。


※番付は2008年7月現在
※参考:goo大相撲、Wikipedia

※「アラン人」についてもっと知りたい方は『古代文明ビジュアルファイル第78号「中世騎士道の原点? 騎馬遊牧民アラン族の軌跡」(足立夕佳=遠野阿璃子執筆)をごらん下さい。

※再掲です。

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2008.08.07

華麗なるアラン人

 ヨーロッパが古代から中世へと移行する激動の時代、様々な民族が入り乱れて乱闘を繰り広げた。この激動の時代を語るのに、滅びゆくローマ人、勝ち残るゲルマン人、悪役フン族に役者をしぼった方がシンプルでわかりやすいともいえる。しかし、もう少し掘り下げて、教科書に出てこない脇役にも注目してみると、もっと歴史が面白くなる。

 いかに帝国が衰退していたはいえ、武装難民に過ぎなかったゲルマン人だけの力でローマに勝利し、中世の基本を築き上げるのは無理だったかも知れない。しかし、彼らには強力な同盟者アラン人がいた。最古の騎馬民族スキタイ系の流れを汲むアラン人は、騎馬遊牧民族特有の派手で濃厚な文化をもっていた。彼らの騎馬軍団はゲルマン人の難民集団と比べてはるかに統制がとれ、洗練されていた。アラン人の成人男子は全員が熟練した騎馬戦士で、幼い頃から乗馬に慣れ騎馬戦法に長じていた。同盟したゲルマン人のブレーンとして戦術を指南したにちがいない。

 アラン人はいつも自分たちの能力を最も高く評価してくれる者を見極め、味方についた。フン族に国を奪われ服属し、フン族に便乗してヨーロッパに流れ込んだが、彼らが加わることで、フン族連合軍はより強力になったといえるだろう。ヨーロッパにやって来たアラン人はやがて分派し、フン族連合軍から離脱し単独でゲルマン人を襲った集団もあった。ローマ帝国もまた、アラン人の能力を見ぬいており、皇帝自らアラン人の民族衣装を着て懐柔にかかったという。当時の最強の戦力は騎兵部隊であり、騎馬戦術に長けたアラン人をいかに味方につけるかが勝敗の鍵になったといえるだろう。

 分派したアラン人は、各派の直感となりゆきでゲルマン、ローマ、フンのいずれにもついた。ゲルマン人たちは最初はアリウス派などのキリスト教を信仰し異端とみなされた後カトリックに改宗したが、アラン人は最初からカトリック派を信仰したので、改宗する必要もなかった。アラン人は騎馬遊牧民特有の要領の良さと適応力の高さで激動の時代を生きぬいていった。やがて、勝利をおさめたゲルマン人は新国家でもアラン人を重用し、中世初期の混乱期を乗り切った。

 アラン人は旧ガリアの貴族となり、ゲルマン人とともに勝者となって、管轄の土地を統治した。やがて、馬車での移動遊牧生活をやめてその地に定住し、地元民と結婚し、土地の文化に同化する道を選んだ。そのうち本当にすっかり同化してしまい、民族としては消滅していった。

 しかし、全世界のアラン人が滅亡したわけではない。実は彼らの一派は現代まで生き延びているのだ。フン族から追われた後、カフカス山脈へ逃げ込んだ人々は、アラニアを再興し、その後、ユダヤ教のハザール王国に支配されたり、蒙古に滅ぼされたり、ロシアに組み込まれたりと苦難の道を辿りながらも、現在、北オセチア・アラニア共和国というロシア連邦内の国家を築いている。

 オセット人と呼ばれている彼らの人口は約50万人だが、イラン系の言語を保存し、民俗学的に非常に興味深い英雄叙事詩『ナルト叙事詩』をもっている。バトラズ、ソスランという二人の英雄を中心に展開するこの叙事詩は、世界の様々な神話と類似性があるとわれる。アラン人が数多く定着したブルターニュ地方は「アーサー王伝説」の源流の一つでもあるともいわれるが、中世騎士道のお手本となったこの伝説は『ナルト叙事詩』との共通点が多く、作家や詩人のパトロンとなったのがアラン系貴族であった可能性が高いといわれる。『ナルト叙事詩』の系譜をたどると、日本神話にも関わりがみられ、アラン人はヨーロッパから極東まで実に広い範囲を移動して文化を伝播したことがわかる。(つづく)


※「アラン人」についてもっと知りたい方は『古代文明ビジュアルファイル第78号「中世騎士道の原点? 騎馬遊牧民アラン族の軌跡」(足立夕佳=遠野阿璃子執筆)をごらん下さい。

※再掲です。

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2006.09.30

アイヌ・コタン

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また、北海道旅行の話。

アイヌ民族博物館に行く予定だったが、 相撲博物館や硫黄山に立ち寄っているうちに時間が危なくなってきたので、断念。 かわりに、阿寒湖畔のアイヌ・コタンを訪れた。 現存する最大のアイヌ集落らしい。

集落というより、商店街。 テーマ・パークと言える規模ではないが、 「アイヌ生活記念館」、「ニタイトー森と湖の藝術館」、といった展示館や、 民芸品店、飲食店がコンパクトに集まっている。木彫り体験、刺繍体験、伝統楽器ムックリの講習等も受けられる。

民芸品は高級品仕様で、値段も高め。摩周湖や硫黄山等のドライブインで見かけたアイヌ風グッズとは一線を画している。この柄、色彩感覚は、いわゆる和ものとは、明らかに異質の感性によるもの。
だから面白い。現代風のアレンジもあるのだろうが、なかなか斬新で味わい付会モダンで素敵なデザインである。

私にとって一番エキサイティングだったのは、ここで初めてアイヌ民族の人に会えたこと。民芸品店の店頭で一見してアイヌ民族とわかる顔立ちの職人さん達が木彫りの実演をしている。はっきり言って(主観もあるが)、全員、美形男子。若い女性はいないものかとキョロキョロしていたら、2名、発見。民族衣装がよく似合う、笑顔がかわいい小柄な美女。
人を珍しがってジロジロ見るのなんて失礼なので申し訳なかったが、店構えよりも、商品よりも、そこに確かに存在するアイヌ民族の人たちが一番印象的だった。

明治維新以来、アイヌ民族の人への差別やイジメが激しかったらしいが、掘りが深くて全員美形(少なくとものっぺり顔の和人よりは見ばえのする顔立ち)、西洋人っぽい顔で、コーカソイド説(現在では否定)もささやかれていた彼らに対して、優越感というより、劣等感もあったのでは? 

最近、NHKで萱野茂さんの生涯と、アイヌ民族の差別との戦いに関する番組が再放送されたので、録画してじっくり見たが、民俗学的な研究対象としても興味深い存在であるアイヌ民族の文化を擁護しないで保護という名のもとに絶滅の危機にさらした日本政府は愚かだ。

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 かなり唐突だが、藤沢市湘南台文化センターこども館宇宙劇場(プラネタリウム)で上演されたプログラム「火星」の最後のナレーションを思い出した。

  しかし、火星に生物が生息することがわかれば、
  私たちはこの星を利用するのをあきらめることも考えなければなりません。
  (中略)、この星はその生物の「もの」なのですから。


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2006.09.01

硫黄山

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北海道を旅すると、特に道東をドライブすると、
行けども行けども、緑の大地。
どこまでも続く緑の放牧場。
山に入ると、原生林のまた緑。
摩周湖など、湖にたどり着くと、「青」が目に新鮮。

もっと目に新鮮な風景は、「硫黄山」。
だって突然、白。
緑とはまったく色相の異なる、白。
緑と比べたら、ぐっと明度の高い、白。

文字通り、硫黄(S)の山。
木は生えないので、遠くから見たら禿山。
到着すると、突然、白~砂色の岩肌。
煙も沸いて硫黄(S)の匂い。
硫黄(S)そのものの黄色、それも鮮やかなレモン色も露出。

緑の大地の中、ここだけ妙に白い。
ここだけ妙に明るい。
地質上の奇跡に突然出会ったとき、旅はまた面白くなる。

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*詩ではなく、ブログ調の改行の多い文章です。
+硫黄山は、摩周湖と阿寒湖との間にあります。ドライブインが1軒あるだけで、あまり観光地化されていません。

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2006.08.29

旅には「悔い」を

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旅には後悔を残したほうがいい。

完全満足!なんて旅をしてはいけない。

あそこにも行きたかった!
あれも見たかった!
あれもやりたかった!
あれも食べたかった!
あの人にも会いたかった!

そんな後悔をいっぱい残しておいたら、
その地にはまた、きっと行けるのだから。


*詩ではなく、ブログ調の改行の多い文章です。
*写真は風蓮湖(北海道)。

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2006.08.17

オオクラヤマ、ノボレ

坂を登って大倉山記念館へ。

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2006.02.10

椿姫の小径

江ノ島サミュエル・コッキング苑内の小さな道

 江ノ島に行こう! と言ったからには、一つくらいお薦めスポットを紹介しなくっちゃ。
 ということで、マイナーだけど超メジャーな施設の中にある、ぜったいお薦めスポットをご紹介。


 江ノ島植物園(=サミュエル・コッキング苑)に、私が(たぶん私だけが)「椿姫の小径」と呼んでいる素敵な道がある。

 大恋愛中の恋人達、ちょっと悲しい事情がある恋人達が歩く道。『椿姫』(デュマ)のアルマンとマルグリッド(または『ラ・トラヴィアータ』のアルフレードとヴィオレッタ)が歩くのに似合う道…。 何も語らず、愛の喜び、それが永遠でないことの悲しみを心に抱きながら。

 その道は植物園の中の一つの通路に過ぎない、何の変哲もない細い道なのだが、「椿姫の小径」と呼ぶのに相応しい。何故なら椿園に沿う道だから。様々な品種の椿の木が集められていて、3月頃になると、紅や白、八重や一重の色々な椿の花を楽しむことができる。

 花の季節が終わっても、その道はやはり「椿姫の小径」の風情がある。薄命の美女マルグリットが愛した椿の花、散るのではなく丸ごと地に落ちる花を咲かせる椿の木には、独特のオーラがあるように思える。その道は、いや、その道の上の空気は悲しく、美しく、そしていつも穏やかで、どこか優しい。


 平日の午後、あまり人のいない時間帯にこの道を一度訪れてみることをお薦めしたい。
 大人の貴方にこの道で素敵な出逢いがあれば素敵だと思う。
 束の間の恋とか?



   

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2005.05.16

伝説の樹の下で

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枯れちゃったのね!
と、思った。
鎌倉 鶴岡八幡宮の大銀杏。別名:隠れ銀杏。
この木の影に隠れていた公暁が源実朝に切りかかり、暗殺したという伝説の樹。
樹齢約千年と記されている。実際、銀杏の樹齢を考慮すると、暗殺の時の銀杏とは別物の、二代目の樹だという説も有力らしい。
2月に訪れたときには、このように壮絶な枯れ木だった。伝説の樹もとうとう枯れ果ててしまったのだと思い込んでしまった。あの樹は今、どうでしたか? と知人に聞かれたが、枯れちゃった、死んじゃったとはとても言えなかった。
しかし、インターネットで検索してみる限り、伝説の樹が枯れてしまったという記事は見当たらない。

kimay3 kimay2 kimay

さて、春になった(もう初夏だ)。ふと思い立って、伝説の大銀杏の生死を確認に行った。
生きている! 老いた枝から生い茂る若葉、若葉、若葉。
樹は確かに生きていた。銀杏の木は、落葉後はあのように枯れ木のようになるらしい。老木だけに枯れっぷりも迫力があって、朽ちてしまったのだと誤解していた。
観光客達が樹の下で記念写真を撮っていく。伝説の樹は、老いてもなお人を惹きつけるアウラを放っている。
小枝に若葉が茂っていても、幹の大枝の老いっぷりは凄まじい。若葉をつけているからこそ、老いの迫力も凄みを増して見える。

枯れちゃった、死んじゃったなんて誤解してごめんなさい。もっともっと永生きして欲しい。また度々会いに来るから。夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、老樹のアウラに我が身を浴びせたい。

*鎌ブラ日記 2005.05.15
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2005.04.09

鎌倉 小町通ミモザ 2005.04.07

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