2004.09.17

ぼくのせいだ。ぼくのせいで弦が切れて……

アドレッセンス 第2話「不協和音」 Part3 (22)

「ぼくのせいだ。ぼくのせいで弦が切れて、どうしよう……って思ってるうちに、ぼくまでパニック起こしちゃった。それで彼女はよけいに……」
「きみのせいじゃないよ。それに、あの人、弦が切れるということはわかっていたんだ」
「え?」
「張り替え用の弦を、ちゃんと用意して来てたんだ。天才的に耳がいいから、音でわかるんだろう。きみがあの調子で、あの頻度で弾きに来てたら、もう切れているはずだと計算していたんだろう。」
「でも、ぼくは何日か、弾きに来なかった」
「きみも天才的に耳がいいから、Gがおかしいのに気づいたんだよね」
 天才的に? むしろ「自閉症的に」とか、「聴覚過敏のせいで」とか言ったほうがしっくりくるんだけど。でも、調律師にとっては、耳がいいことは確かに天才的と言ってもいい。実際、彼女の調律師としての腕は天才的だ。ああ、それなのに……。
「やっぱりぼくのせいだ! 気にしないでもっと弾いていればよかった。もっと早く切れていたら、こんなことには……」
「そうなんだよ。というか、切れるとわかってるなら、自分があの場から逃げればよかったんだ。切れた後に戻ってきて、張り替えればよかったのに」
「それはそうだけど……」
 弦が切れる直前のG音が混ざった不協和音に、彼女は耐えられなかった。脳の中のある部分が過敏に反応して、神経系が暴発して、何も考えられなくなる。自分が仕事をやり遂げるために適切な行動――つまり、弦が切れるまで、音が聞こえない所に非難すること――をとることなんて、できるはずがない。ぼくも同じ傾向があるから、他人事ではない。

 そんなことを考えていると、またパニックを起こしそうだったが、桜子さんが煎れてくれたハーブティーで少し癒された。白い花が浮かんだカモミールティー。リラックス効果があるらしい。桜子さんは襟にレースの縁取りのあるブラウスを着ていて、その日も綺麗だった。
 藍澤くんは話を続けた。
「弦が切れそうだから、次の調律までに切れるように、弾いておいてくださいと、頼むこともできたはずだ。仕事でやってるんだから、そういうこともちゃんとしておかないと」
「そうなんだけど……」
 藍澤くんが厳しいことを言うので、何だか恐くなってきた。仕事の能力は天才的でも、彼女のような自閉症の障害を持っている人が仕事を続けていくのは大変なことなんだ。ぼくは、どうなんだろう? この先ぼくは、どうなるんだろう?
 ぼくが泣きそうな顔をしているのに気がついたのか、藍澤くんは急に調子を変えた。
「でもね、それで、おばあちゃんはあの人をクビにしたりはしないよ。ね、おばあちゃん?」
「もちろんよ」
 桜子さんは微笑みながら言った。
「それは、おばあちゃん、じゃなくて桜子さんが優しいから」
「いいえ、私は仕事には厳しいほうですから」
 桜子さんが言った。
「私があの子を辞めさせないのは、同情からではなくて、あの子の仕事がいいから。あんな状態に度々なるとしても、コミュニケーションがとりにくくても、あんなに耳がよくて、技術のある人はいませんよ。私も、もっとあの子が仕事をやりやすいように考えてあげなくっちゃ」
 桜子さんの言うことに、ぼくは感動していた。そして、桜子さんの凛とした美しさにも。
「世の中って、案外そういうものなんだろうね」
 藍澤くんがまた、中学生らしからぬことをしゃべり始めた。
「おしゃべりが上手で人づきあいがいいからというだけで、社会性があるってわけでもないんだよね? 仕事の能力っていうのも大事だよね? 例えば障害があってコミュニケーションがとりにくくても、そんなことは気にならないほどのいい仕事ができるんだったら、それで十分、社会的な能力があると言ってもいいんだよね?」
「もちろんよ」
 桜子さんが肯定した。
「でも、ユーリィさんはまた来るだろうか? もしかしたら、今日のことがトラウマになって、フラッシュバックして、もう来られないのかも」
 ぼくは本気で心配していた。もしかしたら、またリストカットをやってしまうのではないかとまで思っていた。
「気にしてないからまた来てほしいって、お姉さんに伝えてね」
 藍澤くんが言った。
「もちろんよ」
 桜子さんは微笑んだ。
「すぐには無理かも知れないけれど、待ちましょう。あの子にはね、ここで色々な失敗を経験しておいて、一つずつ克服していってほしいの。あの子はね、そのうち仕事で立派に自立できるようになりますよ。きっとそのうち、世界の名だたるピアニスト達が、あの子に調律を頼むようになります。あれほどの才能の持ち主は滅多にいませんから」
 次の調律日、ユーリィさんは来なかった。その次も、その次も。
 ぼくは待っていた。今度のことを彼女が克服して、再び仕事を始める日を。再び彼女が調律したベーゼンドルファーを弾ける日を。ぼくは待っていた。


                        アドレッセンス 第2話「不協和音」 完
                                 第3話「レクイエム」に続く


*ご精読ありがとうございました。やっと第2話「不協和音」完結しました。あ、ずっと間違えて第3話「不協和音」と書いておりましたが、間違いですのでご了承ください。ブログヴァージョンでは、エピソード盛りだくさんで思いつくまま書き続きけていっています。推敲リライトヴァージョンを後日html化してアップいたしますが、もっとコンパクトな内容になると思います。ブログヴァージョンはこのまま残しておきますので、これはこれとしてお楽しみください。
「アドレッセンス」 ブログヴァージョン


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2004.09.16

ぼくはきみを羽がいにした

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (21)

「ぼくはきみを羽がいにした」
「え?」
 すべてがおさまり、落ち着いた後、ぼくはソファに寝かせられていた。
 ベーゼンドルファーの弦が切れて、ユーリィさんと二人してパニックになって、何がなんだかわからなくなって……、どうやら脱力して気絶したらしい。
「きみのあれ」
 と、藍澤くんは、ハンガーに掛けられた胸部バンドを指さして言った。
「あれのこと、知ってるから」
 まだ頭がぼうっとしているせいか、彼が何を言いたいのかわからなかった。それより、気絶している間に脱がされて、「あれ」を外されたことがひどく恥ずかしかった。
「きみは締め付けられると落ち着くんだろう?」
「え?」
「そう思って、羽がい締めにした。後ろから、こう……」
「ぼく、きみに乱暴なことしなかった? 突き飛ばしたりとか、殴ったりとか?」
「いや、きみはすうっと静かになって……気を失ったというか、寝ちゃった」
 パニックの最中に後ろから羽がいに抱き締められて、ぼくは何も反応しなかったのだろうか? 普段なら、ピリピリしているときに他人の体が触れただけで過剰に反応してしまうのに。
「ユーリィさんは?」
「帰ったよ。おばあちゃんが電話したらお姉さんが駆けつけてくれた。すぐに車に乗せられて、調律道具置きっぱなしにしたまま、行っちゃった」
                                              (つづく)


     

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2004.09.15

パニック? どうして急に?

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (20)

 パニック? どうして急に?
 ぼくが感じた気色悪さを、彼女はもっと過敏に感じてしまったのだろうか?
 やっぱりこのG音のせい?
 ぼくはGの白鍵を叩いてみた。やっぱりおかしい。それに、音が小さくなっている。よせばいいのに、このGを二~三度を叩いた。すると、ユーリィさんは、
「やめてください! やめて! やめて!」
 と一層ヒステリックな声で叫んだ。
「どうしたの?」
 と、聞いてはみたが、相手は答えられる状態じゃない。彼女は、両手で耳を塞いで座り込んで、全身ぶるぶる震えていた。すごい過呼吸状態で、ハァハァいっている。どうしよう? どうしよう?
 彼女は、声にならない声で、
「げ……」
 と言った。
「G?」
「げーのげ……」
「Gーのげ?」
「げん……」
「げん?」
 過呼吸がおさまらないので、彼女はうまくしゃべれない。しかし、息も絶え絶えにようやく言った。
「ミュージックワイヤー」
 そこまで言われてようやくわかった。ピアノの構造に関する専門用語は一通り知っていたので。ミュージックワイヤー=弦? 
 ピアノのふたの下をのぞくと、Gの弦が切れて、ダンパーに引っかかっていた。
 どうしよう? 弦が切れちゃった。いつも乱暴に、ハイパーに激しく弾いていたから。どうしよう? ぼくのせいだ。それで、彼女がパニックになっちゃった。
「わああっ、ごめんなさい!」
 ぼくは動転して、大きな声でわめいていた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 ぼくの大声に驚いて、ユーリィさんは悲鳴をあげた。
 あまりの騒ぎに桜子さんが駆けつけたときは、二人ともひどいパニック状態で、手のつけようがなかった。

                                              (つづく)


       

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2004.09.14

カデンツァの最中に突然……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (19)

 カデンツァの最中に突然やめることなんてできるはずがない。複雑な音形を描きながら鍵盤の左端から右端まで上昇する壮大なというか、ハイパーなカデンツァ。それには不調なハイGの音も含まれていた。
 昇りつめたところでぼくは、背筋が凍るような気色悪さを覚えた。異質な音が混ざった不協和音。しかし、それが何なのかを考える間もなく、もっと恐ろしい不協和音を聞くことになった。
「ああっ、ああっ、ああっ!」
 ユーリィさんは両耳に手を当てて、くず折れた。そして、そのまま額をフロ-リングの床に何度も何度も打ち付けて、金切り声をあげた。

                                       (つづく)


     

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2004.09.05

ぼくのピアノを七分間聴いてから……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (18)

 ぼくのピアノを七分間聴いてから、調律を始める。それがユーリィさんの「儀式」だった。例外的な事態に遭遇するのは、彼女にとっては耐えがたいストレスだ。だからぼくは、その日もいつもと同じように弾いた。
 Gはやっぱり狂っている。でも、じきに直してもらえるのだと思うと何だか安心になって、存分に弾くことができた。弾きながら、ぼくは彼女が来るのを待った。もうすぐ逢えるのだと思うと心が踊り、即興曲も踊った。ドビュッシーの「喜びの島」のヴァリエーションのような、G-majorの曲。曲は、しだいに速く激しくなり、タッチもいっそう強くなった。久しぶりに彼女に逢えることが、Gを直してもらえることが、「喜びの島」への逃避行のように嬉しかった。

 しばらくして、ユーリィさんが入ってきたのを背後に感じた。でも、振り向かない。弾く手を止めることもしない。いつも通りに弾き続ける。いつも通りにやらなければ、パニックを起こすかも知れない。
 ところが、彼女はいつも通りではなかった。いきなりピアノの側まで駆け寄ってきて、何か言った。聞こえない。弾くのに集中していたから。ぼくは無視して弾き続けた。曲が最高に盛り上がるところだったので、中断してまで聞き返そうとは思わなかった。
 すると、ユーリィさんはぼくの前に来て、大声で叫んだ。
「やめてください!」
                                     (つづく)

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2004.08.14

Gの音が狂っている……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (16)

 Gの音が狂っている。いや、音程がおかしいわけではない。音色が、響きがどこか変だ。
 ララ・リリコさんがハイGを決めてから、ぼくは同じ三点Gの音を美しく際立たせることにこだわっていた。それで、即興を弾くときには、そのGが多用された。それなのに、Gの音が狂っている。そして、ぼくの調子も狂ってきた。
「どうしたの? もうやめちゃうの?」
 藍澤くんが言った。お言葉に甘えて弾いてはみたが、こんなGで弾きつづけるのは、自虐行為だ。
 ちがう。これはベーゼンドルファーの音ではない。Gだけがおかしい。ぼくにとって、一番大切な音なのに。
「ゲー」
 と言って、ぼくはその音を弾いた。
「Gが何か?」
 藍澤くんは、Gの不調に気づいてないようだ。
「変だよ」
「え? そんなことはないよ」
「変だ。ぜったいおかしい」
「そうかなあ? ぼくにはわかんないけど。どうせ来週の火曜日には直してもらえるんだから、あんまり気にしないで」
 そうだった。来週の火曜日は第一火曜だから、ユーリィさんが調律に来る。そのときに直してもらえるだろう。藍澤くんにはわからなくても、彼女にわからないはずがない。そう思うとほっとして、ぼくはまた弾きたい気分になった。Gのための即興。ああ、やっぱり変だ。Gがおかしい。
 それでもぼくは狂った調子のまま、G-minorの曲を弾き続けた。

                            (つづく)

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2004.08.02

彼女はきみが好きなんだよ……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (15)

「彼女はきみが好きなんだよ」
 ぶ!
 また吹き出しちゃった。藍澤くんが変なことを言うものだから。
「ごめん」
 と、先に言ったのはまた藍澤くんの方だ。
「ま、まったく、きみは、の、飲んでるときにかぎって、変なことを言うんだから」
 と、ぼくは咽ながら言った。藍澤くんが背中をさすってくれたので、少し落ち着いてきたが、ありえないことを突然言われたのでまだ気持ちが動揺していた。
 今度は給食の牛乳ではない。ハーブティー、いや、ハーブ入紅茶。桜子さんが煎れてくれた。
「ごめん」
 藍澤くんは、キッチンから清潔なタオルを搾って持ってきてくれた。
「水でたたいておかなくっちゃ、染みになっちゃうよ」
 紅茶が熱くなかったので火傷はしなかったが、カッターシャツの左袖を紅茶で濡らしてしまった。
 藍澤くんは、ぼくの左手をとって、袖をタオルで拭いてくれようとしたが、ぼくは乱暴にその手をはねのけてしまった。
「いいよ。どうせとれないから」
「ごめん」
 藍澤くんはまた謝った。そして、ぼくの目をのぞきこんで、
「怒った?」
 と、言った。ぼくは目をそらして、
「べつに」
 と、言った。
「きみに告白されるんだとでも思ってたんだろうね? 知ってる? あそこの下足置き場に一人で来てと言われたら、それは『つきあってください』という意味だって」
「えっ?」
「知らなかった? あの学校では、何年か前から、そういうことになってるらしい」
「え、えっ? ぼくはただ、あやまろうと思って」
「でも、一人であそこに来てなんて言ったら、そうだと思うよ、普通。特に、河合さんがきみのことを好きだった、というか、気になっていたとしたら、期待しちゃうよ、普通」
 そうだったのか。そう言えば、あれから、なぜか「秋川は河合にふられた」と言われるようになって、何のことだかわけがわからなかったんだ。
「女の子の心、傷つけちゃったよね」
 女の子の心だって? ただでさえ、人の心を察するのは苦手なのに、そんな難しいこと、わかるはずがない。はァ・・・・・・。ぼくはがっくりとしてため息をついた。
 まったく、学校ってところは、わけがわからない。自分自身がどういう状況にいるのかも、藍澤くんに解説してもらわなければ理解できないんだから。
「ごめんね。きついこと言って。でも、もう気にしなくていいよ。河合さん、もう立ち直ってるから。きみのことも、もう、みんなにあれこれ言われていい気味だくらいにしか思ってないかも。それより、せっかく来たんだから、弾いていきなよ、ベーゼン」
 その日は火曜日で、ユーリィさんに会えると思ってきたのだが、会えなかった。第五火曜日だったので。それで久しぶりにこの部屋で藍澤くんとゆっくり話ができたというわけ。

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2004.07.31

それでもどうしてもあやまりたくて……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (14)

 それでもどうしてもあやまりたくて、とうとうぼくは声をかけた。廊下で、すれ違いざまに。
「あの、河合さん」
 河合小百合は振り向いた。
「えっと、あの、話があるんだけど」
「何? 秋川くん」
 一緒にいた女子達がニヤニヤしているのが気にいらないので、
「ちょっと、その、あっちの、誰もいないとこで」
 と、下足置き場の方へ誘導した。不協和音の河合小百合は一人で着いて来て、もう一度、
「何? 秋川くん」
 と言った。
 ぼくは、勇気を出して、言った。
「ごめん」
「え?」
 声が小さかったし早口だったので、聞こえなかったらしい。ようやく言えたのに。しかたないのでもう一度言った。今度はもっとまともに言えた。
「えっと、あの、ごめんね」
「え?」
「だから、ごめん。不協和音なんて言って」
 そこまで言うと、自分的にはもう満足だったので、
「じゃ」
 と、立ち去ろうとすると、河合小百合が呼び止めた。
「ちょっと待って」
「え?」
「それを言うためだけに呼び出したの?」
「うん」
 すると、何故だかわからないが、突然、河合小百合の目から涙があふれてきた。
 え、え? 何?
「わざわざ呼び出しておいて、ひどいわ!」
 河合小百合は、そう言うと、泣いた顔のままで走り去った。
 話の内容は誰にも聞かれなかったが、この状況を遠目に見ていた奴が何人もいて、「不況和音」の秋川が河合小百合ちゃんにひどいことを言って泣かせた、やっぱりあいつはひどい奴だという噂がまた広まって、その汚名は当分拭えそうになかった。

                                        (つづく)

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2004.07.26

あれは自閉症的な聴覚過敏と、ADHDの衝動性のせいだった……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (13)

 あれは自閉症的な聴覚過敏と、ADHDの衝動性のせいだったと、今なら説明することができるが、あのときは校長のお言葉が相当ショックだった。そうだ、思いやりの心があれば、「不協和音」なんて言葉が出るはずはない。どうして「不協和音」なんて言ってしまったのだろう? ぼくはバカだ、最低だ! 
 不協和音のトロンボーン奏者にあやまらなくっちゃ。名前は忘れたが、隣のクラスの女子。一年のとき同じクラスだったが、話をしたことはない。頭はそれほど良さそうではないが、国語だけは最優等生で、要領が良くて、教師受けと男子受けのいいタイプ。トロンボーンを吹くには、肺活量が足りない。
 ぼくは、「ごめん」の一言が言いたくて、でも、何だか恥ずかしくて言えなくて、廊下や帰り道に不協和音のトロンボーン奏者が通るのを何度も待ち伏せする羽目になってしまった。そのうち、秋川は「河合小百合ちゃん」(不協和音のトロンボーン奏者の名前、やっと思い出した)が好きらしいとか、ストーカー行為をやっているとかいう噂が広まってしまい、それで余計に言いにくくなった。
 皆が冷やかすせいで、河合小百合は廊下ですれ違う度に、顔を背けるようになった。その顔が真っ赤になっているのに気がついたが、嫌われるのには慣れているので気にならなかった。

                                           (つづく)

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2004.07.24

ぼくのボーイソプラノの声は……

アドレッセンス 第3話「不協和音」 Part3 (12)

 ぼくのボーイソプラノの声は、全校生徒がしんと静まりかえる中、異様にはっきり聞こえてしまった。まるでエコーがかかっているみたいに。
 不協和音。それは本当のことだった。校歌の後奏で、ブラスバンド部のトロンボーン奏者が音を間違えた。それで本当に不協和音で曲が終わってしまったんだ。気がついたのはぼくだけではないはずだ。悪気はないけど、言ってしまった。だって、本当に不協和音だったのだから。
 そんな一言は無視してくれたらいいのに、その後、ちょっとした騒ぎになってしまった。
 突然、間違えたトロンボーン奏者が泣き出した。名前は知らないが、教師や男子生徒から人気のある、隣のクラスの女子だ。
「おまえのせいだぞ」
 ぼくの前に並んでいた奴が振り向いてなじった。
 そうだ、そうだと近くの奴らに言われて、それがまた恐ろしい不協和音になって、ぼくの脳を攻撃してきた。
 朝礼の校長の話は、「思いやりの心」について。人を思いやる心があれば、傷つくような言葉を口にしたりはしないものだ、だと。そして、不協和音の言葉の意味の説明。集団生活において、不協和音にならないように注意しよう、だと。
 それからぼくのあだ名は、「不協和音」になってしまった。

                                        (つづく)

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