2005.12.24

We shall be changed.

グロリア少年合唱団のメサイア演奏会を今年も堪能した。
 イエス・キリスト(=メサイア)の降誕、受難、死去、復活、そして永遠の命に至る生涯を物語る壮大なオラトリオ(ヘンデル作曲)。毎年クリスマス間近の12月23日に、ここカトリック雪ノ下教会の聖堂でグロリア少年合唱団のメサイアを聴けるのは素晴らしいことだと思う。

 レヴュはまた改めて書くとして(と言いつつ、10月の特別演奏会のレヴュもまだ・・・)、熱いうちにレヴュ以前の私観というか覚え書き。

 『メサイア』は英語なので、リフレインされるフレーズの中にはプログラムのテキストを見なくても聞き取れるし意味のわかるものもある。そうしたフレーズには、詩篇の本来の意味を離れて、抽象的な解釈をしてしまうことがある。『メサイア』の聴き方としては正しくないと承知しているのだが、年末ともなれば毎年、自分の中に色々な思いがあって、それを抱えたまま聴きに来てしまうので、極めて私的な感覚で音楽と言葉が入ってくることもある。
 今年、特に印象に残ったのは、独唱曲の最後となるバスのアリアの最後に執拗にリフレインされるフレーズである。

 We shall be changed.
 ―私達は変容する。―

 これはイエス・キリスト(=メサイア)が死後、復活し、永遠の命を得ることを意味するのだが、私には「We shall be changed.(私達は変容する)」というそのままの意味で響いた。そう、私達は変容するのだ。変わってゆけるのだ。意思を持って能動的に(「shall」なので)変わってゆけるのだ。変われるということは勇気である。力である。
 「We shall be changed.」がこんなにも感動的に響いたのは、まさに今、変容しつつある少年達の歌をここまで聴いてきたからに他ならない。

 フィナーレ合唱で、「We shall be changed.」が希望となって湧き上がってくる。次第に調子を上げて歌い続けてきた合唱の最後の山場である。ここまできたらもう演奏する方も聴く方も全身全霊、音楽の中である。私が、「We shall be changed.」と自分の中で盛り上がっているように、一人一人が自分の感動の中にいるのだろう。そしてそれは大合唱のハーモニーのうちに共感される。

 アーメン唱が始まったらもう終わりも近い。もっともっと聴いていたい。しかし、音楽には終わりがある。終わりがあるからこそ、生まれ変われる。終わりがあるからこそ、永遠なのである。歌い終えた少年たちは、歌う前の彼らと同じではない。少年たちはきっと、私達よりも早く変容するのだ。
  

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2005.12.08

クリスマスにはメサイア!

05
 合唱を聴くなら大晦日には「第九」が定番であるが、クリスマスの定番は「メサイア」である。
 ヘンデルの「メサイア」は、救世主(メサイア)イエス・キリストの生涯の物語を歌った壮大なるオラトリオである。キリスト教の洗礼を受けていなくても、メサイア演奏会には敬虔な気持ちで臨みたい。できればコンサートホールではなく、カトリック教会の聖堂で聴きたい。


 今年も12月23日にグロリア少年合唱団のメサイア演奏会が行われる。会場は本拠地であるカトリック雪ノ下教会。この日にこの場所でメサイアを歌い続けて、今年で第17回となる。
 ボーイソプラノ、ボーイアルト、テノール、バスによる男声のみの混声四部合唱、しかも総勢100名近い大人数で本格的な宗教曲を演奏できる合唱団は、日本ではグロリア少年合唱団が唯一である。宗教曲の粋とも言える「メサイア」はグロリア少年合唱団の本領が最も発揮されるレパートリーである。
 今年は特に質の高い演奏が期待される。何故なら来春のスペイン・ポルトガル演奏旅行を目前にひかえて、最も練習に力が入っている時期であるから。


 この日、聖堂のキリスト像はライトアップされ、祝福を受ける。カトリック雪ノ下教会のイエス・キリスト像は美しい。カトリック教会でよく見かける残酷なまでのリアリズムで表現された血まみれの磔刑像ではない。十字架に至る責め苦の場面は壁面に掛けられた連続する素描画に描かれているが、聖堂のキリスト像に苦痛の表情はない。祝福を受けて昇天するキリストであろうか? グロリア少年合唱団の歌声に賛美される美しい救世主イエス・キリストの像に、今年も会いにゆきたい。


   -クリスマスに贈る天使の歌声-
第17回 グロリア少年合唱団 メサイア演奏会

12月23日 (金) (天皇誕生日)
17時開演(16:30開場)  

カトリック雪ノ下教会 聖堂
〒248-0031 鎌倉市小町 2-14-4 TEL.0467-22-2064
JR横須賀線 江ノ島電鉄線 鎌倉駅 東口より徒歩7分 地図

全席自由 3000円

指揮     松村 努

独唱    Sop.  櫻井 悦代   Alt.   八鍬 圭
       Ten.  横山 和彦   Bass  水野 賢司

合唱     グロリア少年合唱団  グロリア男声合唱団

管弦楽   グロリア室内オーケストラ
チェンバロ 安原 恵
オルガン  相馬 晴子

【チケット お問い合せ】
インターネット予約(チケット受付メールフォーム)
松村 / 045-825-0522
グロリア少年合唱団事務所 / 0467-24-0441〈日曜3:30-6:00〉

主催 グロリア少年合唱団    後援 鎌倉市教育委員会

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2005.10.12

モーツァルトの臨終に立ち会う

W.A.Mozart: Requiem d-moll KV626

 それが錯覚であることを私は知っている。
 しかし、私は敢えて言う。
 モーツァルトの臨終に立ち会った。
 と。

 『レクイエム KV626』を全曲聴き終えたところで、確かにそう感じるのである。
 絶筆「Lacrimosa(涙その日)」の8小節目で、モーツァルトは息絶える。
 その後も音楽は続く。
 「Lacrimosa」に至って、哀しみは極まる。
 しかし、その哀しみはあまりに美しくて涙さえ出ない。
 弦楽のハーモニーにのって、合唱が繊細に厳かに「涙」の旋律を歌う。
 ジェスマイヤー版の「Lacrimosa」は短すぎて完結していない感がある。
 モーツァルトの死を看取った感傷に浸る間もなく、音楽は次へと展開していく。
 モーツァルトは恐らく、長すぎる感傷を好まないだろう。
 死を超えてなおも、音楽は展開していく。
 モーツァルトは『レクイエム KV626』を完成させることはできなかった。
 弟子の手に委ねられて完成したこの最後の曲はやはり、
 モーツァルト自身の鎮魂歌である。

 かくも多くの人がこの曲を音楽ホールや聖堂で聴く度に
 モーツァルトの臨終に立ち会うことになる。
 「Dies irae」の激しさを超えて、「Lacrimosa」の哀しみを超えて、
 最後の響きに至ったとき、モーツァルトの昇天を見届けたと、
 私は確かに感じたのだった。

   
 

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2005.10.03

少年たちのレクイエム

世界トップレベルの実力! 日本最古の伝統! 日本唯一の男声だけの混声四部合唱。
至高の響き ボーイ・ソプラノ、モーツァルトに輝く!

グロリア少年合唱団特別演奏会 2006年ポルトガル・スペイン演奏旅行プレ公演
2005年10月9日(日) 14:00開演 鎌倉芸術館大ホール 

grolia


ura↑チラシ表   *クリックすると原寸サイズで見られます。
←チラシ裏    

インターネットでのご注文はこちらへ
*当日券も発行される見込みです。 
全席自由 2,500円


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2005.09.22

至高の響き

グロリア少年合唱団 第45回定期演奏会 レヴュー
2005.4.8. 鎌倉生涯学習センター

420余年前「地の果てからの使者」4人の少年は海を渡った…
「天正少年使節の旅」
―葡萄牙・西班牙そして伊太利亜へ―

品格を感じさせる舞台

 グロリア少年合唱団は、1959年に創立された、日本最古の歴史を持つ少年合唱団である。鎌倉カトリック雪ノ下教会を本拠地とし、ヨーロッパの伝統的スタイルによる本格的な宗教曲に取り組みつつ、定期演奏会や特別演奏会では、世界の児童合唱曲や音楽劇、オペラも取り上げ、豊かなレパートリーを確立している。
 今回のテーマは「天正少年使節の旅」。第一部では、天正少年使節が旅したイタリア、スペイン、ポルトガルの歌が特集され、第二部では、天正少年使節を題材としたオペラ『忘れられた少年』第一幕から13曲が演奏された。OB中心のグロリア男声合唱団も出演。
 定期演奏会も今年で45回目を数える。半世紀近く確実に、独自の音楽が受け継がれてきた伝統ある少年合唱団ならではの品格を感じさせる舞台であった。

 ここでグロリア少年合唱団を語るうえで重要な要素である「クラス」編成について触れておく。。
 ●Cクラス  ちびっ子クラス。幼稚園年中~年長。
 ●Bクラス  二部合唱にも挑戦。小1~小3。 
 ●GMクラス 混声四部合唱に取り組む。小4~変声前がG、変声後~高3がM。
 GMクラスは、メサイア演奏会や聖堂演奏会、海外演奏旅行等で本格的な宗教曲に取り組み、高い評価を博している。卒団後はグロリア男声合唱団に入団し、生涯に渡って音楽活動を続けていくことも可能だ。私が理解している限りにおいて、グロリア少年合唱団では、各クラスの独自性が重視された音楽教育が徹底されている。Cクラス、Bクラス、GMクラスは、別々に練習を行い、共に歌うことはあまりない。今回の定期演奏会でも、このスタイルが貫かれており、最後の全体合唱を除いて、各クラスが独自のプログラムを演奏した。


第一部 ポルトガル、スペイン、イタリアの歌

 第一部では、まず、Bクラス、Cクラスが児童合唱に編曲されたポルトガル、スペイン、イタリア各国の歌を歌った。初めて聴く曲も多かったが、幼い少年達が完全暗譜で真剣に、そして楽しそうに歌っている姿が微笑ましく、どの曲も親しみを持って聴くことができた。

 「ちびっ子クラス」のCクラスは、いかにも元気で可愛らしい。十人くらいの少人数で、(幼児だからという贔屓目はなしで)十分に観客が共感して楽しめる歌を歌っていたのだから、一人一人が十分な声量を持っている(あるいは効果的な発声法を体得している)と評価してよいだろう。
 選曲も良く、まさにこの年頃の子供の声で聴きたい曲が選ばれていた。どの曲も魅力的だったが、特にイタリアの子供の歌「がちょうのおばさん」や「自転車になったカメの歌」といった、動物が出てくるファンタジックな歌が特に楽しかった。訳詞を楽しめたということは、日本語の発音が良いということである。愛らしい持ち味もさることながら、発声と発音という基本がこの年代にしてしっかりとできている。今後の成長が楽しみである。

 小学校低学年の児童によるBクラスには、Cクラスの童謡とは一線を画する選曲がなされており、「禁じられた遊び」等、馴染みの深い曲もあった。ポルトガル語やスペイン語の原語の曲も難なくこなした。変声前の少年に限定したいわゆる少年合唱団のイメージに近いのは、Mクラスと共に混声四部合唱に取り組むGクラスよりも、むしろBクラスの方かも知れない。ソプラノ、アルトの二部合唱のハーモニーも美しく、特に短調の曲の繊細な響きが心に残った。
 1曲目よりも2曲目、2曲目よりも3曲目と、時間を経るにつれて、声が調子に乗っていくのがはっきりとわかり、その場のムードを共有して共感しながら盛り上がっていく合唱の面白さが感じられた。

 第一部の最後を飾ったのは、GMクラスによるヴィヴァルディの『グロリア』。いきなり、圧巻である。グロリア男声合唱団の大人も交えてのテノール、バスに、ボーイソプラノ、ボーイアルトの清澄な響きが映える。重厚なテノール、バスに埋もれない凛としたスピントな響きが変声前の少年の歌声にはある。特に、豊かな声量と響きを持つ変声直前直後のボーイソプラノ/アルトの声が輝く。絶妙なバランスである。
 BCクラスにはある音域を超えると声が裏返る歌い方であったが、Gクラスにおいては完全に克服されている。
 「Gloria! Gloria! Gloria! 」とリフレインされるグロリア唱に、グロリアの本領が全開で発揮される。無垢とか純粋とか言った言葉がぴったりなBCクラスの歌を楽しんだ後に、突然、GMクラスの『グロリア』、昨年の特別演奏会でも演奏した十八番のレパートリーをぶつけてくるのは効果的、と言うか衝撃的である。第一部を通じて、C,B,G,Mと成長していく少年達のドラマ、大きな音楽の流れが感じられた。


第二部 柴田南雄作曲 オペラ『忘れられた少年』第1幕より

 当演奏会のテーマである「天正少年使節の旅」を描いたオペラ『忘れられた少年』の第一幕をオラトリオ形式で上演。派手な演出はないが、団長で指揮者の松村先生の力強く気品ある語りに導かれ、合唱の魅力が生きる感動的な舞台に仕上げられていた。
 G(ボーイソプラノ、ボーイアルト)のみの曲、M(テノール、バス)のみの曲もあり、それぞれの魅力を楽しむことができた。
 歌は声帯だけではなく全身の響きで歌うものであるから、一般に(テクニックの問題もあるので一概には言えないが)体格が充実していると響きも充実してくる。子供であるボーイソプラノ/アルトに十分な響きを求めるのは難しいが、Gクラスの中学生の団員には、それが可能だ。幼い頃からグロリアで磨き上げられた声が、逞しく成長しつつある全身に共鳴して、芯のある美しい響きに昇華する。その響きは、女声のソプラノやアルトとは異質の、青年へと進化していく過程にある少年の声、若々しい男声の響きである。その境地に至ったらもう変声期も近いということであり、Gのみで歌われた短い曲『信じましょう、主のみわざを』では、そんなボーイソプラノ/アルトの声をちょっと感傷的な思い入れをもって堪能した。
 M(+グロリア男声合唱団)のみの曲には、技術的なレベルの高さが感じられ、序曲に続く導入曲である『ときゆく者のヴォカリーズ』の迫力のあるハーモニーに圧倒された。『O Vos Omnes』(T.L de ヴィクトリア作曲)では、ヨーロッパの教会音楽の伝統であるファルセットの歌唱も披露した。これだけの人数による男声ファルセットの合唱を聴いたのは初めてであり、その暖かみと深みのある声に癒しを覚え(ファルセットにはもう一つ特異な種族が存在することを私は知っているがここでは触れない)、ファルセットの魅力を知ると同時に、ボーイソプラノの魅力を再確認した。
 第二部では、Gクラスの小6~中1くらい(天正少年使節が旅立った時とほぼ同年齢)の団員が従者服を着てソリストを務め、語り、歌唱ともに好演した。戸川先生(前日に交通事故で重傷を負い車椅子で出演!)と服部先生によるヴァリニャーニョと大名の二重唱、陣内先生によるベルナルドのレシタチーフとアリアも素晴らしく、少年達が目標とするに申し分ない歌声であった。

 奇しくも、当日は教皇ヨハネパウロ二世の葬儀の日であり、天正少年使節がローマを訪れたときにもちょうど教皇の葬儀が行われていたらしい。グロリアの第1回海外演奏旅行で謁見したヨハネパウロ二世を偲んで歌が捧げられた。
最後を飾ったのは、天正少年使節が最初に上陸したポルトガルの民謡『ローズマリーの歌』。ここで初めてグロリア少年合唱団、グロリア男声合唱団、指導者の全員が舞台に上がり、大合唱となった。約100名を擁するという団員の数、そしてその歌声に、これからも確かにグロリア少年合唱団の歴史が続き、この音楽が受け継がれてゆくという希望を感じた。

 幼児のあどけない歌から、純粋な児童合唱、至高のボーイソプラノ/アルト、青年の若々しいテノール/バス、重厚な響きを持つ大人の声、そしてファルセットまで、男声歌唱芸術のあらゆる要素を堪能することのできる演奏会であった。
 10月5日には、 グロリア少年合唱団の 特別演奏会が鎌倉芸術館大ホールで開催される。天正少年使節の行程を辿り鎮魂歌を捧げるスペイン・ポルトガル旅行のプレ公演である。四月の定期演奏会の成功から半年近く経つが、このときの舞台で味わった感動が次の特別演奏会でも生かされてくるだろう。この夏、少年たちは、厳しい合宿や普段の倍以上の練習でさらなる研鑚を積んだ。熱い夏を越えて、この秋、彼らの芸術がまた新たな豊饒をむかえ、至高の輝きを放つことが期待される。
 


*遅れ馳せながら(遅れすぎ!)のレヴュー。ブログの文章としては長すぎてすみません。コンサート評としては長くないでしょ? 未校正なので後でまた直します。

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2005.05.13

予定された至福の瞬間

~約8小節の休符の後に~

ヘンデル作曲『メサイア』より「ハレルヤ!」を聴きながら


至福の瞬間。それは突然に訪れる。とは限らない。
突然に訪れた方が嬉しい。というわけでもない。
予定された至福の瞬間。というものもある。
それが格別に喜ばしいこともある。

例えば、ヘンデル作曲「メサイア」のハレルヤコーラス。
長大なオラトリオの第二部の終曲。「ハレルヤ!」の順番が近づいてくると、心踊る気分になり、まだかまだかと待ち受けている自分に気づく。待っていれば必ず順番通りに「ハレルヤ!」の至福の時間は訪れる。

至福の瞬間は、「ハレルヤ!」一曲の中にも予定されている。第49小節。初めてこの曲を聴く人も、その瞬間を予感することができる。

and He shall reign forever and ever.

第41小節目から、このフレーズがバス、テナー、アルト、ソプラノの順に、上昇する音形で歌い継がれる。低音が先であるから、ソプラノパートの沈黙は長い。長く感じられる。まず、バス、テナー、アルトが厚みを加えながら"and He shall reign...."と入っていく。来たるべき高音のクライマックスを予感させる曲作りになっている。そして、この間、約8小節の沈黙の後、ソプラノの"and He shall reign...."が入る。ここの2点A音の響きがたまらない。待たされた期待を裏切らない爽快な響き。

この至福の瞬間は、楽譜に明記されているので、「ハレルヤ!」第49小節目に必ず訪れる。
至福の瞬間が必ず訪れると予定されている。待って入れば必ず訪れる。それもこの上もない至福の瞬間が。音楽って素晴らしい!

*ブログ向き小文/エッセイ

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2005.04.22

純粋なる響きのなかに

グロリア少年合唱団 第45回定期演奏会 レヴュー
2005.4.8. 鎌倉生涯学習センター

420余年前「地の果てからの使者」4人の少年は海を渡った…
「天正少年使節の旅」
―葡萄牙・西班牙そして伊太利亜へ―

 グロリア少年合唱団は、1959年に創立された、日本で最も長い歴史を持つ少年合唱団である。鎌倉カトリック雪ノ下教会を本拠地とし、ヨーロッパの伝統的スタイルによる本格的な宗教曲に取り組みつつ、定期演奏会や特別演奏会では、世界の児童合唱曲や音楽劇、オペラも取り上げ、豊かなレパートリーを確立している。

 定期演奏会も今年で45回目を数える。45年間連綿と、声と音楽が受け継がれてきた伝統ある少年合唱団ならではの品格を感じさせる舞台であった。
 今回のテーマは「天正少年使節の旅」。第一部では、天正少年使節が旅したイタリア、スペイン、ポルトガルの歌が特集され、第二部では、天正少年使節を題材としたオペラ『忘れられた少年』第一幕から13曲が歌われた。OBの合唱団であるグロリア男声合唱団も出演。OBを含む指導者が指揮を務め、控えめながら独唱、二重唱等も披露した。

 ここでグロリア少年合唱団独特のクラス編成について触れておく。「クラス」は、グロリア少年合唱団を語るうえで重要な要素であり、プログラムでも紹介されている。

 ●Cクラス   ちびっ子クラス。幼稚園 年中~年長。
 ●Bクラス   二部合唱にも挑戦。小学校1年生~3年生。 
 ●GMクラス 混声四部合唱に取り組む。
          小学校4年生から変声前までがGクラス。
          変声後から高校3年生までがMクラス。

 GMクラスは、メサイア演奏会や聖堂演奏会等で、本格的な宗教曲に取り組み、高い評価を受けている。なお、卒団後はグロリア男声合唱団に入団し、生涯に渡って音楽活動を続けていくことも可能である。
 私が理解している限りにおいて、グロリア少年合唱団では、各クラスの独自性が重視された音楽教育が徹底されている。Cクラス、Bクラス、GMクラスは、練習も発表も別個に行い、共に歌うことはあまりないようだ。
 今回の定期演奏会でも、このスタイルが徹底されており、最後の全体合唱を除いて、各クラスが独自のプログラムを演奏した。このやり方は正しい。少年合唱団のあり方として極めて正しい。年代も声質も違う各クラスがそれぞれ独立して活動し、演奏することに意義がある。全曲を聞き終えた後、私は感動とともにこの「正しさ」を実感したのだった。

 さて、前置きが長くなったが、以下、いかに正しいかを考察しながら、この演奏会のレヴューを試みたいと思う。

 第一部では、まず、Bクラス、Cクラスが児童合唱に編曲されたポルトガル、スペイン、イタリア各国の歌を歌った。初めて聴く曲も多かったが、幼い少年達が完全暗譜で真剣に、そして楽しそうに歌っている姿が微笑ましく、どの曲も親しみを持って聴くことができた。

 幼稚園児さんのCクラスはどこまでも元気で可愛らしい。十人くらいの少ない人数で、(幼児だからという贔屓目はなしで)十分に観客が楽しめる歌を歌っていたのだから、一人一人が十分な声量を持っている(あるいは効果的な発声法を体得している)と思ってよいだろう。
 日本ではマイナーな曲が多いながら、選曲も良かった。彼らの魅力が生きる、まさにこの年頃の子供の声で聴きたい曲が選ばれていた。全曲が日本語で歌われたが、わかりやすく愛らしい訳詞を楽しむことができたのは、歌い手の日本語の発音が良いということである。観客が日本語の歌詞の内容を正確に聞き取って味わうことができるように歌うのは案外難しい。それがこのCクラスの幼稚園児さん達には完璧にできている。Bravi!である。
 どの曲も魅力的だったが、特にイタリアの子供の歌「がちょうのおばさん」や「自転車になったカメの歌」といった、動物が出てくるファンタジックな歌が特に良かったように思う。この子達は、子供ならではの想像力で、がちょうさんやカメさんをリアルに思い描きながら歌うことができるのだろう。それで大人のプロ歌手が上手に歌うよりも、生き生きとした歌となって聴き手の心に響いてくるというものだ。

 小学校低学年の児童によるBクラスは、もっと馴染みのある曲を歌った。「禁じられた遊び」等、有名な曲もあったし、名前は知らなかったが何処かで聴いたことのある曲も何曲かあった。ポルトガル語やスペイン語の言語で歌われた曲もあった。Cクラスの童謡とは一線を画する選曲であり、意味深い詩になっている訳詞の日本語の美しさを味わいながら聴くことができた。
 一見、いわゆる出来のいい児童合唱団のようであるが、小学校1年生~3年生のみの編成でこのレベルが達成できているこのは驚くべきことなのかも知れない。二部合唱のハーモニーも美しく、「禁じられた遊び」等、特に短調の曲が良かった。
 1曲目よりも2曲目、2曲目よりも3曲目と、時間を経るにつれて、声が調子に乗っていくのがはっきりとわかり、その場のムードを共有して共感しながら歌う合唱の面白さを感じた。
 当然ながら、最高の調子で歌われた最後の2曲、「白い道」、「海はまねく」が素晴らしかった。この調子のままでもう何曲か聴きたいと思った。
                                    (つづく)


*グロリア少年合唱団の紹介等に関して、以下のホームページを参考にしました。
グロリア少年合唱団
ボーイソプラノの館

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2005.02.07

ハレルヤ、ハレルヤ!

 自分のHPのアクセス解析でリファラー(アクセス元?)を調べてみたら「少年合唱団」「ボーイソプラノ」のキーワードを検索して来て下さっている方が少なくないことがわかった。そして、そう言えば私は昔からそういうものが好きだったし、私の小説にもそういうものが頻繁に登場していることを思い出した。ついでに同じ検索リストに並んだURLから、自宅に遠くないところに本格的な少年合唱団が存在することを知った。
 幸いうちにはボーイソプラノが在る。年齢的にも入団可能だ。ようやくこれを説得して見学に行くことになった。

 さて、二月の日曜日、見学に訪れると、既にソプラノ/アルトと、テナー/バリトンの二組に分かれての練習が始まっていた。
 ソプラノ/アルトの練習室に入り、同伴のボーイソプラノを有無を言わさず練習に参加させ、私は一人、後ろの椅子で見学。
 定期演奏会の曲の練習ということだが、少年だけの合唱の純粋な響きにすぐに引き込まれた。まだ不慣れなところもあるが、若い先生の指導のもと、一人一人が真剣に歌っている。

 その中に、ひときわ輝かしい声で歌うボーイソプラノがいた。13~14歳くらいか。小学生より声量もあり、独特の迫力を持っている。
 休憩のとき、その少年が私達に話しかけてきた。初めての場所で緊張している私達に優しい言葉をかけてくれた。言葉づかいも礼儀正しくて、いかにも育ちの良さそうな気品が漂う。

「すてきな声ね。感動しちゃった」
「あ、でも、ぼく、もう声変わりしちゃったんですよ。何とかマグレで出してるけど、もう……」
「ええっ?」
 少年は明るくさりげなく言ったのだが、私はショックだった。そう言えば、話し声は明らかに変声した声だ。つまり、既にカウンターテナーであり、「マグレ」と言うからには特にその発声法の指導を受けたわけではなく、変声前の自分の声の記憶と天性の勘で習得したテクニックで歌っているのだろう。

「そんな……本当なの?」
「はい」
 過度に感傷的になっている私に、少年はさらりと答えた。特にそれで落ち込んでいるという様子はなく、現実を冷静に受け入れているといったさわやかささえ感じられた。

「あの、これ、私の本だけど、何かあげたくなっちゃったから、もらってくれる?」
「あ、ありがとうございます」
「そのペン貸して。サインしたいから名前教えて」
 私は衝動的に贈りたくなったときにその場で渡せるように、いつも著書を持ち歩いている。実際、あまり人に贈ったことはないのだが、この美しい声の少年、ボーイソプラノを既に失ってしまった少年にどうしてもこの本を渡したくなった。

 休憩の後も、見学を続けた。ボーイソプラノ、ボーイアルトの合唱の中で、やはり彼の声が際立って聴こえてくる。声変わり前の、ボーイソプラノとしての彼の最盛期の声を聴くことはできなかった。しかし、この瞬間の声を記憶にとどめておこうと、合唱の中でも際立つ彼の声の響きにじっと耳を傾けた。

 最後に、中高生のテナー、バリトンも交えてのハレルヤ・コーラス(ヘンデル作曲オラトリオ「メサイヤ」より)を聴いた。日本では珍しい少年だけの混声合唱である。12月の聖堂でのメサイヤ演奏会のときにも聴いたが、至近距離でしかも観客は私達二人だけという幸運に歓喜し、身震いするほどの感動を覚えた。大合唱の中で、彼の声が特に際立って聴こえることはない。しかし、重厚で純粋なハーモニーの中で、その輝きを失うことなく確かに息づいていた。団員一人一人の様々な色合いの歌声が互いに共鳴し、荘厳な響きの中で一つの音楽として昇華していく。

 思えば、パート練習のときに彼の声が際立って聴こえたのは、年長でキャリアがある分、曲の飲み込みも早く、不慣れな小学生の後輩達をリードしていたのだろう。後輩達は、彼のこの声を聴きながら共に歌うことで、曲を覚え、声を磨いてゆくのだろう。必ず失われる宿命にあるボーイソプラノであるが、この合唱団では、こうして後に続くものを育て、引き継がれていく。しかも、この合唱団では変声したら退団というわけではなく、テナー、バリトンのパートが待っている。

 ハレルヤ・コーラスの響きの中に、私の感傷もすっきりと昇華されていった。声変わりの時が来て、至高のボーイソプラノが失われても、その輝きは音楽の無限に広がる響きの中に、絶えず前へと進む流れの中に、なおも永遠である。


   

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2004.12.27

合唱の魅力を知る

グロリア少年合唱団 メサイア演奏会(2004.12.23 カトリック雪の下教会) 
レビュー(3)

 この日の収穫はもう一つある。オペラアリア独唱が趣味の私が「合唱」の魅力に気づいたことだ。聴くのも独唱が中心で、が少女時代に夢中になったウィーン少年合唱団を除いて、合唱そのものに興味を抱いたことはあまりなかった。この日も、少年合唱団の歌に期待しつつ、独唱者の歌にも大いに期待していた。しかし、第一部の途中で独唱よりもむしろ合唱の方を楽しんで聴いている自分に気づき、我ながら意外に思った。私にとって本格的な宗教曲はオペラアリアほど馴染みのある音楽ではないため、ある意味難解であり、長時間聴いていると退屈してしまうこともある(不勉強のせいです)。特に、独唱の場合、変化に富んだ表現力がないと、同じ声で聴き続けるうちに飽きてくることもある(不勉強のせい)。この日の独唱者の歌は素晴らしかったが、私にとっては一曲ずつがちょっと長すぎるように感じてしまった(実際、長い)。
 ところが、合唱の場合、私のような不勉強な者でも、聴いていて飽きない。大人数の歌手の様々な色彩の声で、様々なハーモニーで、変化に富んだ展開で歌われるので、すぐに音楽に引き込まれ、わくわくと楽しみながら聴くことができる。魂が揺さぶられるという感覚。聞き覚えのある英語の単語が明快な響きを持ってリフレインされるのを聴くのは快感である。グロリア少年合唱団+グロリア男声合唱団の場合、小学四年生の少年から大人まで、様々な年代の歌手によるボーイソプラノ、ボーイアルト、テナー、バスの歌声が圧倒的な響きで調和し、その音楽的な純粋さ、荘厳さにおいて、独唱を凌駕するほどである。特に「ハレルヤ」と終曲の合唱は圧巻であった。
 もっとも、このオラトリオ自体、独唱者に役が与えられているわけではなく、合唱と同様に物語を語り歌うわけであり、合唱は独唱のバックコーラスではなく、独唱と合唱が同等の扱いになっている。また、私だけの印象かも知れないが、どうも曲の出来ばえが独唱曲よりも合唱曲の方が良いように思える。しかも、独唱曲は長めで合唱曲は短めの構成になっている。こうしたヘンデルの「メサイア」そのものの特性もあるので、比べるのはフェアではないかも知れないが、とにかく私はこの演奏会で、変声期前の少年の声の美しさを再確認するとともに、合唱の魅力を初めて知った。

グロリア少年合唱団【未公認】サイト
ランキング

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少年の声の響きと輝き

グロリア少年合唱団 メサイア演奏会(2004.12.23 カトリック雪の下教会) 
レビュー(2)

 グロリア少年合唱団は、鎌倉のカトリック雪の下教会を本拠とする、日本で唯一の少年だけの混声合唱団であり、1959年の創立以来、聖堂演奏会、定期演奏会等、積極的な演奏活動を展開している。カトリシズムを母体に本格的な宗教曲に取り組み、アッシジの聖フランチェスコ教会上部大聖堂やパリのノートルダム寺院等、海外の聖堂演奏会でも成功をおさめている。
 「少年だけの」というところに魅力を感じ、聖堂に響くボーイソプラノに期待しつつ、演奏会に臨んだ。 期待通り、ボーイソプラノは素晴らしく、比較的大規模なカトリック教会の聖堂でキリスト像を背景に響きわたるハーモニーは繊細、というより荘厳でさえあった。私は昔からボーイソプラノが好きで、少女時代にウィーン少年合唱団に夢中になったこともある。大人数の少年合唱団の演奏を生で聴くのはこれが初めてだが、ボーイソプラノの魅力を再確認することができた。しかも強烈に。
 翌日、ふらりと立ち寄ったサレジオ教会で少女だけの合唱を聴く機会があり、変声前の少年の声と少女の声とは、音域は同じであっても、本質的に「違う」ものであると感じた。話し声もそうであるが、少年の声の方が少女の声よりもスピントである。凛と張った響きがある。その輝きが刹那的な輝きであると、私たちは常識的に知っている。その響きと輝きを「少年少女合唱団」で埋もらせてしまうのはもったいない。やはりボーイソプラノ、ボーイアルトを聴くなら「少年合唱団」である。
 グロリア少年合唱団は、変声後の高校三年生までの少年がテナー、バスのパートを受け持ち、音楽的に重要な役割を担っている。 変声したら退団という少年合唱団とは異なり、少年だけの混声合唱を成立させ、あらゆる合唱曲を演奏することが可能である。ここにおいて、ボーイソプラノ、ボーイアルトの響きと輝きはいっそう際立ち、純度の高いハーモニーを満喫することができる。
                                            (つづく)

グロリア少年合唱団【未公認】サイト

*健康上の理由で中断しますが、もう少し続きます。

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