お花見奇談(短編小説) その9
「え?」
こっちに来る? それが、<さあ、今すぐ首をくくって、人間やめて霊になろう!>という意味であることは容易に察することができた。さきほどの ウエノミエコ社員番号#5956の言動の意味はさっぱりわからなかったが、霊の言うことは不思議とわかりやすい。
せっかくの申し出だが、即答することはできなかった。こんなときに言うフレーズは、
「ちょっと、考えさせてください」
私は、ロダンの<考える人>のポーズになり、考えた。熟考するときにはこの体勢をとるのが、私の脳に都合が良い。それに、<おい、何してんだ?>と聞かれたら、<考えているのです>と答えれば、西洋美術に水準以上の知識を持っている人ならば納得してくれるはずだ。
風が吹いた。考える私の上にも、無数の桜の花びらが舞い散る。首をくくって霊になるより、このまま彫刻になってしまえないものかとも思った。
「ちょっと、キミ、どうしたんだよ?」
「考えているのです」
見ればわかるだろう。私は考えている。重大な問題だ。
なるほど、霊の言う通り、こんなふうでよく生きていられるものだ! と自分でも思う。
さきほどの ウエノミエコ社員番号#5956の事例でも顕著なように、私には他者とコミュニケートする能力が乏しく、他者の言動を誤って解釈する傾向がある。まったく、こんなふうでよく生きていられるものだ! 私はそもそも「この世」にそぐわない存在である。それは発達障害が受け継がれている母方の由緒正しい家系からの遺伝のせいであって、自己責任はないと知っていた。それなりの処世術というものも会得してきているので、それで自分を卑下することはなかったが、何とも生き難いのは否定できない。
病気もなんにもない、気分障害も精神障害もない、何を言われても鬱にも躁にもならない、トラウマもすぐに消える、そんな「あの世」にとっとと行ってしまったほうが幾分楽だろう。実際、私の家系には気分障害も精神障害が原因で致死した者が少なくなかった。特に、トラウマによる鬱による自殺者の発現率は高く、最近200年の父方の系図に記載された死因を見れば、30%を超えている。私もいつかは発病するのかも知れないという恐怖感を抱いていた。兄が大鬱を発症してから、その恐怖はますます現実味を帯びてきている。
客観的に考えて、生き難さと恐怖を抱えながら生きていくよりも、いっそここで霊の誘いにのったほうが賢明かも知れない。
私は、ネクタイを外した。そして、叔父が精神病院のベッドで首をくくったときのやり方で首くくり紐を作り、霊に渡した。
「ちょっと、そこの枝に掛けていただけませんか?」
霊は言われた通りにしてくれた。
見上げると、ネクタイの輪っかの中には、サクラ、サクラ、サクラ。その中に首を突っ込んで逝くというのも悪くない。
私は跳躍した。
(つづく)







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