2004.04.20

お花見奇談(短編小説) その9

「え?」
 こっちに来る? それが、<さあ、今すぐ首をくくって、人間やめて霊になろう!>という意味であることは容易に察することができた。さきほどの ウエノミエコ社員番号#5956の言動の意味はさっぱりわからなかったが、霊の言うことは不思議とわかりやすい。
 せっかくの申し出だが、即答することはできなかった。こんなときに言うフレーズは、
「ちょっと、考えさせてください」
 私は、ロダンの<考える人>のポーズになり、考えた。熟考するときにはこの体勢をとるのが、私の脳に都合が良い。それに、<おい、何してんだ?>と聞かれたら、<考えているのです>と答えれば、西洋美術に水準以上の知識を持っている人ならば納得してくれるはずだ。
 風が吹いた。考える私の上にも、無数の桜の花びらが舞い散る。首をくくって霊になるより、このまま彫刻になってしまえないものかとも思った。
「ちょっと、キミ、どうしたんだよ?」
「考えているのです」
 見ればわかるだろう。私は考えている。重大な問題だ。
 なるほど、霊の言う通り、こんなふうでよく生きていられるものだ! と自分でも思う。
 さきほどの ウエノミエコ社員番号#5956の事例でも顕著なように、私には他者とコミュニケートする能力が乏しく、他者の言動を誤って解釈する傾向がある。まったく、こんなふうでよく生きていられるものだ! 私はそもそも「この世」にそぐわない存在である。それは発達障害が受け継がれている母方の由緒正しい家系からの遺伝のせいであって、自己責任はないと知っていた。それなりの処世術というものも会得してきているので、それで自分を卑下することはなかったが、何とも生き難いのは否定できない。
 病気もなんにもない、気分障害も精神障害もない、何を言われても鬱にも躁にもならない、トラウマもすぐに消える、そんな「あの世」にとっとと行ってしまったほうが幾分楽だろう。実際、私の家系には気分障害も精神障害が原因で致死した者が少なくなかった。特に、トラウマによる鬱による自殺者の発現率は高く、最近200年の父方の系図に記載された死因を見れば、30%を超えている。私もいつかは発病するのかも知れないという恐怖感を抱いていた。兄が大鬱を発症してから、その恐怖はますます現実味を帯びてきている。
 客観的に考えて、生き難さと恐怖を抱えながら生きていくよりも、いっそここで霊の誘いにのったほうが賢明かも知れない。
 私は、ネクタイを外した。そして、叔父が精神病院のベッドで首をくくったときのやり方で首くくり紐を作り、霊に渡した。
「ちょっと、そこの枝に掛けていただけませんか?」
 霊は言われた通りにしてくれた。
 見上げると、ネクタイの輪っかの中には、サクラ、サクラ、サクラ。その中に首を突っ込んで逝くというのも悪くない。
 私は跳躍した。
                                         (つづく)

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2004.04.18

お花見奇談(短編小説) その8

「ほう」
と、私は相槌を打った。
「ユーレイに病気はない。気分障害も精神障害もない」
「ほう」
「こうなってしまえば、もう何を言われても鬱にも躁にもならない」
 そいつは悪くないなと私は思った。
「トラウマもすぐに消える」
 それはますます好都合だ。そして思わず、アニメソングの一節が口から出た。

  ♪ 楽しいな 楽しいな
      おばけは 死なない
       病気もなんにもない ♪
 
    *注記:水木しげる作詞「ゲゲゲの鬼太郎」より

「キミねえ……」
 霊はまた、あきれたような顔をして私を見た。
 酒がまわってきた。もう私には桜の木と花と、私によく似た霊の姿の他には何も見えない。周りの喧騒もまったく聞こえない。聞こえるのは、桜を散らす風の音と、頼りなげな霊の声だけ。私は、霊の声にじっと耳を傾けた。
「キミってなかなか面白い男なんだね」
「ありがとう」
 ありがとうだけは兎も角言うようにと教育されてきたので、反射的に口から出た。
「でも、やっぱり変だよ。さっきもあんなかわいい女の子ふってさ、よくもあんなひどいことができるもんだ」
「は?」
「わからないのか? あの子、キミのこと、好きだったんだよ」
「それは私に対して恋愛感情を抱いていたということですか?」
「そうだよ。わかんないのか? そんなんでよく生きてられるね。いっそ、来る? こっちに」
                                             (つづく)

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2004.04.11

お花見奇談(短編小説) その7

「どうして? ボクがユーレイだから?」
 霊は泣きそうな顔をして言った。
 いや、そういうわけでもないのだが、うまく説明できないので何も言わなかった。
「やっぱりボクがユーレイだからなんだ! ひどいよ、そんなとこだけフツーだなんて」
「すみません」
 謝るしかなかった。友達をつくる、だれかの友達になるということは、私にとってはむずかしすぎる。それが25年間の失敗経験で到達した結論だった。一昨年、それを認識してから、幾分生きるのが楽になった。
「ユーレイって、ヒトから恐がられるというより、蔑まれるんだよな。生きてるときも蔑まされてきた。でも、生きてるときのほうがましだったよ」
 霊は聞かれもしないことを喋り始めた。サゲスマレルという言葉の意味がよくわからない。
「自殺者の霊は直通で天界に行くことはできない。課題をあたえられて、それを完遂してからでないと、昇華できないことになっている。ボクにあたえられた課題は、友達をつくること。この木の花が全部散るまでに完遂しなくてはならない。今年こそはと思ったけど、やっぱりダメだ。せっかく、ユーレイが見えても恐がらないヒトが見つかったのに」
「すみません」
「キミねえ……」
 霊は、あきれたような顔をして私を見た。
「どうしても、ダメ?」
「すみません」
「じゃ、1年待つよ。明日には雨が降って、今年の桜はおしまいだ。もう、時間がない。来年、また来て。それで、友達になって」
「すみません」
 私は、心底申し訳ないと思った。霊は、私に対して、良いことをした。私に花見の場を提供してくれた。人の寄りつかない桜の木を用意してくれた。首をくくってまで。それなのに、私は霊の昇華(成仏?)に協力できない。
「すみません」
 と、私はもう一度言った。
「だいじょうぶだよ。ユーレイに鬱はない。そういったとこは、生きてたときよりはマシなんだ」
                                          (つづくかも)

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お花見奇談(短編小説) その6

 実体のない霊を手でつかんで動かすなんて無理だということは理解できたので、私はそれが視界に入らない位置に移動した。
 すると、霊はまた私の前にぶらさがってきて花見の邪魔をする。それで私は何度か移動してみた。それでもまた霊が前にくる。しつこいやつだ。そんなことを何度か繰り返した後、霊が言った。
「キミって変だよ」
 そんなふうに言われるのは慣れているので気にしない。しかし、自殺者の霊に言われたくはない。
「キミの、その、反応はおかしいよ。ぜったいおかしい」
「お花見に来たのです。じゃまをしないでください」
 霊はもう、逆さを向いてはいなかった。こうして見ると、顔はますます私に似ている。
 霊は、いかにもユーレイのような白い和服を着て、ふわりふわりと落ち着きなくゆれ動いている。足がないので仕方のないことだ。無数の花びらがはらはら散る淡い色彩の中、青白い顔が映える。私も他人にこのように見られているのだろうか。
 霊は言った。
「キミの、その、しゃべり方もおかしいよ。ユーレイに敬語を使うなんて」
「すみません」
「キミは、ボクが見えても、恐くないのか?」
 霊は聞いた。
「べつに」
「やっぱり変だ。おかしいよ。ユーレイが恐くないなんて。でも、よかった。今年こそは昇華できそうだ。さがしていたんだ。ユーレイを恐がらない人間を」
「ほう」
 私は酒を飲んだ。
「シャンパン? やっぱり変だ。花見には日本酒だよ、ふつう。まあいい。単刀直入に言おう。友達になって」
「それはちょっと」
と、私は即座に答えてしまった。
                                          (つづくかも)

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2004.04.09

お花見奇談(短編小説) その5

 ようやくたどり着いた。
 首くくりの桜の木。見事な枝ぶりだ。花も満開。私好みに散り始めている。
 案の定、この木の下に、他に人はいない。首くくりの桜の木だから。
 隣の木にも人はいない。その隣の木にはゴザ敷きの宴会が行われているが。
 インターネットで情報が流れているくらいだから、首くくりの桜の木として有名なのだろう。それを知ってわざわざこの下にゴザを敷く輩はいない。
 私は幹にもたれ、独りの花見を始めた。
 酒を出して栓を抜く。シャンパンだ。シャンパンの栓はポンと音をたてて、桜の花房の中へ飛んだ。すると上から声が聞こえた。
「痛ッ……」
 それがこの木の主、つまり首をくくって成仏できずにいる霊の声であると、私にはすぐにわかった。
「すみません、おけがはありませんか?」
 私は言った。返事はない。
 返事がないので、私は飲んだ。一口目のアルコールが脳に直撃する感覚が快感だ。満開の桜の下だから、なお快感だ。私の場合、アルコールが脳に作用すると、視覚と聴覚の及ぶ範囲をより狭くすることができるらしい。隣の隣の木の下のどんちゃん騒ぎも、下手な流行歌をダミ声で歌いながら並木道を千鳥足で通る酔っぱらいも、もう何も目にも耳にも入ってこない。桜の美を鑑賞するのに没頭することができる。風が吹いて、花弁がはらはらと舞い落ちる光景を、私は至福の思いで眺めていた。
 しばらくして、私は目の前に、私によく似た男の顔があるのに気がついた。逆さを向いているが、私とうりふたつであることは明確だった。花見に邪魔なのでどかそうとした。が、手がすりぬけてしまって動かすことができない。
「無駄だよ」
 と、その顔の口は言った。何故無駄なのか、私はすぐに納得した。それはこの木の霊だった。
                                         (つづくかも)

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2004.04.06

お花見奇談(短編小説) その4

 後をつけてきただって? 女のすることはよくわからない。
 ウエノミエコ社員番号#5956は、いきなり饒舌に喋り始めた。
「新人の女の子の間で、ハザマさん、なかなか人気なんですよ。あたし、留学してアメリカでマスター修了してからの入社だから、新人といっても老けてるんだけど、若い子達、あたしを頼りにして、何でも話してくれるんです。ハザマさんってすてきですね、ちょっと変わってるけどってみんなが言うんです。ハザマさんって顔もいいし、背も高いし、服装のセンスもいいし、組織に媚びない一匹狼って感じがイケてるって」
「すみません。急いでいるので行きます」
 女のお喋りを聞いているヒマなどない。実際、私は急いでいた。首くくりの桜の木。一刻も早く、あの木の下に行きたいのだ。
「ちょっと待ってください!」
 ウエノミエコ社員番号#5956は、品のない大声を出した。
「私、ハザマさんのあと、つけてきたんです。私も、ハザマさんのことすてきだって思ったから。言ってること、わかります?」
 ウエノミエコ社員番号#5956は、感情むき出しで言った。
 私は硬直して立ち止まった。そして、自分にストレートに向けられてくる「感情」が恐くて、退いた。
「ハザマさん、逃げるなんて、ヒキョーだわ。ちゃんと私の方を見てよ」
 それは不可能だ。この状況において、相手の方をちゃんと見るなんて。しかし、母から受けたソーシャルスキルトレーニングで習得したように、一応顔面は相手の顔面に平行に配されるようにしようと努力した。しかし、やはり私は、退いた。
「あたしはあなたのこと、つけてきたんです。この忙しい時期に、定時に帰るなんて顰蹙だけど、勇気を出して来たんです」
 だから何だと言うんだ? 女の言葉はよくわからない。わからないので何も返答できなかった。
「すみません。急いでいるので行きます」
 私はやっとのことで声を出したが、蚊の鳴くような声になってしまった。
「待って。お花見するなら、男一人じゃつまらないでしょう? あたしがご一緒してあげます」
 あろうことか、ウエノミエコ社員番号#5956は、私と腕を組もうとした。いきなり脇腹を触れられて、私は反射的にその手をはねのけてしまった。
 ウエノミエコ社員番号#5956は、いきなり目に涙を浮かべて、
「ひどいわ」と、言った。
「女のあたしにここまで言わせて、そんな冷たい仕打ちをするなんて」
「え?」
「ひどい。あなたってやっぱりただの変人だったのね。あたしにここまで言われて無視する男なんてありえないわ。せっかく私が」
「ありがとう。でも、結構です」
 私は、ソーシャルスキルトレーニングで丸覚えしたフレーズを、なるべく穏やかな口調で言った。口もとに微笑を浮かべるのも忘れなかった。
 ウエノミエコ社員番号#5956の涙は止まらなかった。私は、ポケットからハンカチを出して手渡した。
「返さなくてもいいです。じゃ」
 ウエノミエコ社員番号#5956は泣き止まなかったが、もう追っても来なかったので、ようやく私は逃れることができた。
 今の出来事は、一体何だったんだ? どうして泣くのだろう? 私は何か悪いことをしただろうか? 手をはねたのは悪かったが、大人が泣くようなことだろうか? さっぱりわからない。
 考えてもわからないことには慣れていたので、考えるのをやめることにした。
 首くくりの桜の木はもうすぐそこに見えていた。自殺者の男の霊が手招きしているのがはっきり見える。
                                       (つづくかも)

*なりゆきにまかせて進めているので、どういう展開になるのか自分でもわかりません。何とか「短編」におさめたいです。

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お花見奇談(短編小説) その3

 定時午後5時30分に仕事を終えると、17:31と記録されるようにタイムカードを処理した。
 退社時刻が毎日17:30というのは都合が悪いらしい。定時ギリギリまで仕事をする義務があるので、記録がピッタリ17:30というのはありえないと上司が言っていたらしいが、その論理はまちがっている。私の席からタイムカードまで徒歩20秒で到達できるので、退社時刻が毎日17:30であっても何の非があるだろう。しかし、何十秒かのことでウルサイことを言われるのはめんどうなので、17:31と記録されるように処理することにしていた。
 ちなみに、何故かはわからないが、私の部署で、定時に退社する者はあまりいない。
 毎日定時に退社するのが気に入らない、熱意が感じられない等と個人面談のときに言われたことがあるが、就業規定に基づいて、その理論は誤りであると上司を諭してやった。与えられた仕事をこなし、定時に退社することに何の非があるだろう。
 私の仕事は速くて正確で、独創的だ。他者と会話して楽しむという趣味は私にはない。雑談の習慣もない。したがって、余計なことに時間を使って仕事を遅らせることもない。昼食用の1時間の休憩時間は、私には長すぎる。昼食を終えると、すぐにコンピュータに戻る。そして、没頭する。トイレに行く時間も決めている。集中のあまり、トイレに行くのも忘れ、膀胱炎になったことがあるので。
 私に比べて、他の社員は無能である。定時に仕事を終わらせることもできない。しかし、私はそのように思っていることをなるべく悟られないように努力していた。私の兄は、それで自滅に至ったので。

 首くくりの桜の木。
 それは私の最も苦手とする、花見の名所にあった。つまり、その木にたどり着くまで、どんちゃん騒ぎの中をくぐりぬけて行かなければならない。それは私にとって試練であったが、あえて耐えて進んでみることにした。幸い、まだどんちゃん騒ぎは大した盛りあがりに至ってはいない。それぞれの組織において下位に位置する人々がゴザを敷いて準備を進めているといった段階で、酔っ払いもまだ少ないようだ。
 今年は例年よりも暖かく、桜はもう満開だ。風の具合もよく、たくさんの花びらが私の好きな按配に、舞い散っていく。この日を逃すと、せっかく見つけた首くくりの桜の木も葉桜になってしまうだろう。
 私は、桜並木の下の桜吹雪の中を、その木を目指して邁進した。
 霊の棲む桜の木が、遠目にもよく見えてきたとき、突然、背後に人の気配を感じて、ぞっとした。
 振り向くと、25歳くらいのショートカットの女性がいた。身長163センチメートルくらいか。
 私は確認すると、再び目標の木に向かって歩き出した。すると、後ろから女性の声が聞こえた。
「ハザマさん」
「はい」
 私は反射的に返事をして立ち止まったが、不意に声をかけられて恐ろしくなった。
「ウエノミエコです」
「はい」
 突然のことに、私は硬直してろくに声を出せなかった。
「同じ課の、ウエノミエコです」
 私はようやくその女性が同じ課に所属する新人SEのウエノミエコであることに気づいた。
「つけてきたんです、ハザマさんのこと」
「え?」
「だって、ハザマさん、かっこいいから」
                                         (つづくかも) 

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2004.04.03

お花見奇談(短編小説) その2

 首くくりの桜の木。その気になれば、探すのはむずかしくない。
 私は霊感が強いらしく、霊を見るのはめずらしいことではない。
 霊はいつも近くにいる。時おり私の体をすりぬけていく。もう慣れたので恐くはない。人に触れられるのは我慢ならないのだが。霊はニオイもなく、しゃべりもしないし、触りもしない。慎ましやかなものだ。一番の美徳は、目線を合わせないこと。大勢の人に囲まれるのは苦手だが、多くの霊に囲まれるのは全く平気だ。もっとも、それほど多くの霊が現世に留まっているわけでもないらしい。霊はいつも単独で、ひっそりと何かの陰にいる。まるで私みたいに。
 そんなわけで、首くくりの桜の木、霊の気配を感じる木を、探し出すのはむずかしくない。しかし、わざわざ歩いて探すなんて、そんなアクティブなことをするのは性に合わない。そんなことをするくらいなら、花見を断念した方がマシだ。
 そんなわけで、私は大人になってから、花見をしたことが一度もない。

 昼休み、私はいつものようにGoogleに計算をさせて遊んでいた。
 <100 cubits * (1 quattuordecillionth)>と入力して検索させると、<4.57200 × 10-44 meters>と瞬時に解答が出てきた。他にも、<(500 PB) / (56 kbps) = 2 488.72609 millenium>とか、<(i + 2) * (i - 2) = -5>とか、思いつくままに式を入力して、答えを出しては楽しんでいた。
 <square root((gravitational constant times mass of the sun) over (1 au)) = 29 785.5982 m / s>というのは、地球が太陽の周りを時速何キロでまわっているかという式とその答えだが、地球がこんなにも高速で移動しているということにあらためて感慨した。
 時間を忘れていくつもいくつも式を入力していくうちに、ふと思いついて、日本語の単語を検索してみたくなった。しかし、「桜」「首くくり」をキーワードに検索ををかけても、エッセイやネット小説のサイトが出てくるだけで、実在する木と所在地を教えてくれるサイトは見つからない。あきらめきれず、キーワードを色々と変えてみた。瞬時に解答が出る数式の世界と比べ、探索するのは厄介な作業だったが、何度も検索を繰り返すうちに、ようやくそれらしき木が見つかった。

「ハザマくん、何をやってるのかね?」
 ねばりのあるイヤな声に振り向くと、上司がイヤな目で見下ろしていた。
「インターネットで検索していました」
「今、何時かね?」
「午後1時14分25秒です」
 私は、自分のモバイルパソコンの右下角の時刻表示を見て言った。腕時計をはめているのに、どうして時間をたずねるのだろう。私は検索で得た情報をメモ帳にコピーして、フロッピーディスクに納めた。
 上司はまだ私の側に立っている。
「何か?」
「勤務時間に、君は一体何をやってるんだね?」
「検索です」
 上司はまだ離れようとしない。整髪剤のニオイがムカつく。
「だから、今、何時なんだ?」
「午後1時15分57秒です」
「勤務時間には仕事をしろと言ってるんだ」
 ああ、そういうことか。それならそう言ってくれなければわからない。しかし、私にも言い分があった。
「使用しているのは私用のモバイルパソコンであって、私用のPHSに接続しています。それに、私用外出ということでタイムカードに記録していますので、問題はないはずです」
「どうして君はそうやって、自分の評価を落とすようなことばかりするんだね?」
「理由は、特にありません。私用外出の何回目からが賞与減額の対象となるか公表されていないのですが、評価低下の対象の回数に到達したのでしょうか?」
「いいかげんにしろ! 何だ、その態度は? どこまで人をバカにすれば気がすむんだ、君という男は?」
 とうとう上司は罵声をあげた。唾液が飛んできたので、ポケットからハンカチを出して顔を拭いた。唾液を吸収したハンカチはすぐにゴミ箱に捨てた。
「まあまあ、スズキ課長、いつものことですよ。ハザマさんに悪気はないんです」
 年下の同僚がそう言ってくれている間に、私はタイムカードを処理しに行った。
 席に戻ると、メモが置いてあった。
<今の君の態度について、反省文を書いて提出すること>
 反省文? わけがわからない。私はそのメモを丸めてゴミ箱に捨てた。
 首くくりの桜の木が見つかった。遠くはない。今日の会社帰りにでも行ってみよう。
                                       (つづくかも)
 

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お花見奇談(短編小説) その1

 私は花見が嫌いだ。
 いや、ソメイヨシノは好きだし、じっくり鑑賞したいとも思う。
 でも、職場で花見に誘われても、絶対に行かない。花を見るというより、人、それも酔っ払いを見ることになるので。
 私は酔っ払いが嫌いだ。どうしてソメイヨシノの下で酒を飲んで泥酔騒ぎをしたいのか、私にはわからない。
 いや、ソメイヨシノは好きな花だ。特に、散るときがいい。あの潔ぎよさが、好きだ。
 特に、夜に、見たいと思う。闇の中、風まかせに花弁を散らすソメイヨシノの木の下で、一人でぼうっと過ごしたいと思う。散りゆく無数の花びらの下で、一人で飲むのもいいと思う。
 私は酒が嫌いではない。でも、酔っぱらいは嫌いだ。なれなれしくからまれたら、何を仕返してしまうか、自分でもわからない。上司をつきとばしてケガをさせたこともある。
 私は夜のソメイヨシノが好きだ。私は酒が好きだ。
 それなら花見に行こうと同僚は言う。でも、行かない。酔っぱらいは嫌いだ。
 ゴザを敷いて醜く泥酔し、大声で下品な会話をし、セクハラ容認の酒宴で盛りあがるなんて、桜に対する冒涜だ。桜の美しさとは、そのように鑑賞すべきものではない、と私は思う。
 私なら、やはり、散りゆく無数の花びらの下で、瞑想する。好みの酒を、ちょっと飲むのもいいかも知れない。
 しかし、この季節、枝振りのいい桜の下は、どこもどんちゃん騒ぎの連中に陣取られていて、私のようなものはとても近寄れない。
 どこかに、美しくてもなぜか人が寄りつかない桜の木はないだろうか? たとえば、だれかが首をくくったことのある桜の木は……?
                                       (つづくかも)

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